山をも動かす、「秋の小復活祭」前半が終わった。奇しくも予定されていた東京公演の為のプログラムが完全な形で演奏された最初で最後の機会となった。キリル・ペトレンコが正式就任しての極東凱旋ツアーと同じく、バーデンバーデンでも過去三晩、就任後初めての指揮であった。よって前半最終日も初めて聴いた人も少なからずあったと思われる。マインツからの車もあって、近郊から初めて祝祭劇場を訪問するような好事家が集まったようだ。
取りを飾ったショスタコーヴィッチ交響曲10番はとても多くのことを語っていた。そして圧倒的な喝采を受けていた。それはどいうことか?先ずはプログラムの逐一に触れる前に同じような状況を祝祭劇場で経験したことがデジャヴの様に戻ってくる。前任者サイモン・ラトル指揮ベルリナーフィルハーモニカー演奏会だ。ああいう熱狂はそれしかない。日本などでもお馴染みの光景である。そして、まるで嫌がらせの様にペトレンコがラトルのプログラムの曲目をリピートしていた意味の回答もそこにある。
今回のプログラムの真意をペトレンコのアドヴァイザークラスティングがプログラム冊子に書いている。それによると、フランクフルトでの一晩の「ロマンティック」を超えて、二晩のショスタコーヴィッチのそれまでを其処に括っている。天空の星空の様に「掴みたくても掴めない」とアルフレードアインシュタインの言葉を引用する。
スターリン時代のそれ以前の「鼻」から死後の交響曲10番、ここに西欧における工業化、官僚主義化した社会と小市民ビーダマイヤー文化の中で失われたそのファンタジーはより大きな現実のとの断層になる。そこでより発展した形である筈のイデオロギーの独裁者の下でエリートであり続けた作曲家の見かけ上の創作とその表現の二重の意味、曖昧な「私」がまさにこの創作であった。その意味からマーラーにおけるそれを次ぐロマンティックの範疇に置かれている。
午前中の練習は、前半の曲「スコットランド」が予定されていて、入念にレクチャーも行われるために一時間以上早く出かけたのであるが、実際には楽員が勢揃いしだして、ショスタコーヴィッチが練習に掛かった。冒頭ペトレンコは急な変更を楽員に誤っていたようだが、力の抜けた聴衆もいたであろう。実際には友会を中心に集められていたので、夜の演奏会と掛け持ちで出かける人がそれほど多くはないように思われた。だから定員の70人は集まっていたのだが、前夜から続けて出かける人は少数派だったろう。そういう町の人たちにとっては編成が大きい方が面白かったかもしれない。
なぜ多くの団員が朝から出勤しなければいけないのに変更になったのか。収録の為にこちらをやらなければいけなかったその内容は、あくまでも丁寧に表情をつけていくこと、各楽器間の奏法などで合わせていくことで、例えば二楽章の弦での抒情的な弦楽部分で緊張感を保つことや終楽章のコーダへのファゴットのソロの表情など、録音などでもやるように表現の足りないところを楽譜に忠実に音楽をさせていくことでしかない。その成果は本番を聴いた限り半分は達成されていたと思うのだが、指揮者としての誠実さでもあろう。そしてそこにソヴィエトが描き出される。
そしてクラスティングは、ヒンデミートに関して若い人に音楽を提供するとしたらやはり世代によって受け取り方が違うということを示唆している。つまりこの交響曲の場合も典型的で、冷戦時代を生きていた我々にとってはスターリン時代は知らなくともその表層的なソヴィエトにおける表現の仕方はとても実感としてよく分かる。つまりそうした今日から見たその歴史的な距離感を感じられないことには芸術的な意味などは生じないということでもある。
ベルリナーフィルハーモニカーがキリル・ペトレンコをシェフとして極東特に東京で示そうとしたことはこれでしかない。ロマンティックな音楽芸術のその意味。(続く)
参照:
バーデンバーデン初日前夜 2021-11-06 | 文化一般
「ありの侭の私」にスポット 2021-11-05 | マスメディア批評
赤い風船が飛んでいく高み 2021-10-29 | 文化一般
取りを飾ったショスタコーヴィッチ交響曲10番はとても多くのことを語っていた。そして圧倒的な喝采を受けていた。それはどいうことか?先ずはプログラムの逐一に触れる前に同じような状況を祝祭劇場で経験したことがデジャヴの様に戻ってくる。前任者サイモン・ラトル指揮ベルリナーフィルハーモニカー演奏会だ。ああいう熱狂はそれしかない。日本などでもお馴染みの光景である。そして、まるで嫌がらせの様にペトレンコがラトルのプログラムの曲目をリピートしていた意味の回答もそこにある。
今回のプログラムの真意をペトレンコのアドヴァイザークラスティングがプログラム冊子に書いている。それによると、フランクフルトでの一晩の「ロマンティック」を超えて、二晩のショスタコーヴィッチのそれまでを其処に括っている。天空の星空の様に「掴みたくても掴めない」とアルフレードアインシュタインの言葉を引用する。
スターリン時代のそれ以前の「鼻」から死後の交響曲10番、ここに西欧における工業化、官僚主義化した社会と小市民ビーダマイヤー文化の中で失われたそのファンタジーはより大きな現実のとの断層になる。そこでより発展した形である筈のイデオロギーの独裁者の下でエリートであり続けた作曲家の見かけ上の創作とその表現の二重の意味、曖昧な「私」がまさにこの創作であった。その意味からマーラーにおけるそれを次ぐロマンティックの範疇に置かれている。
午前中の練習は、前半の曲「スコットランド」が予定されていて、入念にレクチャーも行われるために一時間以上早く出かけたのであるが、実際には楽員が勢揃いしだして、ショスタコーヴィッチが練習に掛かった。冒頭ペトレンコは急な変更を楽員に誤っていたようだが、力の抜けた聴衆もいたであろう。実際には友会を中心に集められていたので、夜の演奏会と掛け持ちで出かける人がそれほど多くはないように思われた。だから定員の70人は集まっていたのだが、前夜から続けて出かける人は少数派だったろう。そういう町の人たちにとっては編成が大きい方が面白かったかもしれない。
なぜ多くの団員が朝から出勤しなければいけないのに変更になったのか。収録の為にこちらをやらなければいけなかったその内容は、あくまでも丁寧に表情をつけていくこと、各楽器間の奏法などで合わせていくことで、例えば二楽章の弦での抒情的な弦楽部分で緊張感を保つことや終楽章のコーダへのファゴットのソロの表情など、録音などでもやるように表現の足りないところを楽譜に忠実に音楽をさせていくことでしかない。その成果は本番を聴いた限り半分は達成されていたと思うのだが、指揮者としての誠実さでもあろう。そしてそこにソヴィエトが描き出される。
そしてクラスティングは、ヒンデミートに関して若い人に音楽を提供するとしたらやはり世代によって受け取り方が違うということを示唆している。つまりこの交響曲の場合も典型的で、冷戦時代を生きていた我々にとってはスターリン時代は知らなくともその表層的なソヴィエトにおける表現の仕方はとても実感としてよく分かる。つまりそうした今日から見たその歴史的な距離感を感じられないことには芸術的な意味などは生じないということでもある。
ベルリナーフィルハーモニカーがキリル・ペトレンコをシェフとして極東特に東京で示そうとしたことはこれでしかない。ロマンティックな音楽芸術のその意味。(続く)
参照:
バーデンバーデン初日前夜 2021-11-06 | 文化一般
「ありの侭の私」にスポット 2021-11-05 | マスメディア批評
赤い風船が飛んでいく高み 2021-10-29 | 文化一般