(承前)改めて祝祭劇場支配人が、練習公開の意味を語っている。今回本番当日の朝一番での練習公開が急遽決まった。勿論お知らせがあれば万難を排して出かけるしかなかった。本番は大切であるが、やはりそのベルリナーフィルハーモニカーの練習風景にも興味がある。ラトル時代にも公開されていたと思われるが、キリル・ペトレンコの練習となるとまた異なる興味が湧く。
実際には友の会など本番に来ない人も来ていたようで70人定員は一杯になっていたと思う。但し一般公開という事で平土間の身近での見学ではなくて、バルコンから離れて拍手など一切ない形でのただのオブザーヴァ―でしかなかった。通常の練習を近くから見学というのとは違う。なによりも指示の細かなところが聞き取り難い。音楽が鳴ったのを想像するしかない。それも予定されていて、一時間半早起きでレクチャーまで受けたメンデルスーンバルトルディーの「スコッチ交響曲」はなくて、ショスタコーヴィッチの10番交響曲となったので、曲が十分に頭に入っていなかった。だから分からぬ講義を聞くようにメモするだけだった。それでも出来るだけ声の通りやすい席を選んで着席したので、練習番号や二言三言はメモ出来たので良かった。
それを本番までの車中でくっていたのだが、全てを再現するのは難しかった。更にそれが本番で上手く行っているところを確認すると同時にここそことチェックするまでには至らなかった。しかし当夜の演奏会は収録されていて、流されないほどの傷はなかったと思われるので改めてチェックすることになると思う。しかしそのプログラム自体もその次にはアーウスで演奏されていたので一過性の記録でしかないともいえよう。
しかし、思い思いに音出しをしていて最後の団員が入った後にいつもの普段着姿で舞台にペトレンコが表れて、急な練習曲目変更を詫びていたようだ。指揮者の意思で変更されたことが分かり、前回のベルリンでの演奏などから問題点をチェックしていたことがどうしても気になったのだろう。逆に「スコッチ」を直すには時間が掛かっても、こちらはより意向に近づけることが可能だったとしてもよい。
最初から飛び飛びで最後まで通していく手際の良さは評判通りで、箋の入っているところをめくり開ける手も恐ろしく早い。本当に数秒を無駄にしない練習風景で、楽団の方もそれに慣れていて、短い集中した時間でものにしていく合理性が更に極まってきているように思われた。
経済性を考えるとあれが出来るからこその超一流管弦楽団であって、やればやるほど効果があって、本番での一期一会の演奏会への成功への最大の近道でしかない。それが出来るのがキリル・ペトレンコであって、経済性芸術性を兼ねた唯一の指揮者という事になる。公開練習を見てそれを再確認した。
時間終了後に我々は会場を後にしなければいけなかったのだが、弦楽奏者など熱心に相談しているのを尻目に会場を後にした。ミュンヘンでも見られたその通りの光景で、こうしたことの積み重ねが阿吽の呼吸に繋がっていくのだろう。
因みに拍手に関してはペトレンコのお願いとして拍手お断りがあったので、流石に誰もそれを破る人はいない。更に舞台上で皆が私服でいるところにカメラを向ける人もいなかった。特定のグループに向けての招待という事での公開なので、その点は紳士協定がよく効いていると思った。こうした高尚な芸術文化畠でそうした前提が無くなれば、芸術家と支援者という関係も存在しない。そうした良識もないところでなんだかんだと蠢いていても芸術行為自体が全く意味のないことでしかない。(続く)
参照:
音楽祭の新機軸を目指す 2021-11-19 | 文化一般
悪騒ぎしないロマンティック 2021-11-04 | マスメディア批評
実際には友の会など本番に来ない人も来ていたようで70人定員は一杯になっていたと思う。但し一般公開という事で平土間の身近での見学ではなくて、バルコンから離れて拍手など一切ない形でのただのオブザーヴァ―でしかなかった。通常の練習を近くから見学というのとは違う。なによりも指示の細かなところが聞き取り難い。音楽が鳴ったのを想像するしかない。それも予定されていて、一時間半早起きでレクチャーまで受けたメンデルスーンバルトルディーの「スコッチ交響曲」はなくて、ショスタコーヴィッチの10番交響曲となったので、曲が十分に頭に入っていなかった。だから分からぬ講義を聞くようにメモするだけだった。それでも出来るだけ声の通りやすい席を選んで着席したので、練習番号や二言三言はメモ出来たので良かった。
それを本番までの車中でくっていたのだが、全てを再現するのは難しかった。更にそれが本番で上手く行っているところを確認すると同時にここそことチェックするまでには至らなかった。しかし当夜の演奏会は収録されていて、流されないほどの傷はなかったと思われるので改めてチェックすることになると思う。しかしそのプログラム自体もその次にはアーウスで演奏されていたので一過性の記録でしかないともいえよう。
しかし、思い思いに音出しをしていて最後の団員が入った後にいつもの普段着姿で舞台にペトレンコが表れて、急な練習曲目変更を詫びていたようだ。指揮者の意思で変更されたことが分かり、前回のベルリンでの演奏などから問題点をチェックしていたことがどうしても気になったのだろう。逆に「スコッチ」を直すには時間が掛かっても、こちらはより意向に近づけることが可能だったとしてもよい。
最初から飛び飛びで最後まで通していく手際の良さは評判通りで、箋の入っているところをめくり開ける手も恐ろしく早い。本当に数秒を無駄にしない練習風景で、楽団の方もそれに慣れていて、短い集中した時間でものにしていく合理性が更に極まってきているように思われた。
経済性を考えるとあれが出来るからこその超一流管弦楽団であって、やればやるほど効果があって、本番での一期一会の演奏会への成功への最大の近道でしかない。それが出来るのがキリル・ペトレンコであって、経済性芸術性を兼ねた唯一の指揮者という事になる。公開練習を見てそれを再確認した。
時間終了後に我々は会場を後にしなければいけなかったのだが、弦楽奏者など熱心に相談しているのを尻目に会場を後にした。ミュンヘンでも見られたその通りの光景で、こうしたことの積み重ねが阿吽の呼吸に繋がっていくのだろう。
因みに拍手に関してはペトレンコのお願いとして拍手お断りがあったので、流石に誰もそれを破る人はいない。更に舞台上で皆が私服でいるところにカメラを向ける人もいなかった。特定のグループに向けての招待という事での公開なので、その点は紳士協定がよく効いていると思った。こうした高尚な芸術文化畠でそうした前提が無くなれば、芸術家と支援者という関係も存在しない。そうした良識もないところでなんだかんだと蠢いていても芸術行為自体が全く意味のないことでしかない。(続く)
参照:
音楽祭の新機軸を目指す 2021-11-19 | 文化一般
悪騒ぎしないロマンティック 2021-11-04 | マスメディア批評