Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

黒い森の教育程度の低さ

2021-11-22 | 文化一般
ワイン街道を15時に出た。アウトバーンへのバイパス乗り継ぎ箇所が工事中の為に二つ先の乗り口まで走った。途中に銀行があるのでそこに立ち寄って現金を下ろした。バーデンバーデンの祝祭劇場の駐車料金やプログラムその他を買う為だ。先日散髪したので10ユーロ少ししか財布に残っていなかったからだ。

結局トルテとエスプレッソに更にコーヒーで12ユーロ程、更にプログラムと駐車で9ユーロ、入場券の11ユーロの倍ほどになった。更に売れ行きが悪かったので電話で連絡があったように、平土間に席替えになった。メールが入っていなかったのでそこで直接交換した。座ったこともないような屋根の下の最奥の席で、少なくとも視界だけはよく効いた。

音響は会場の残響を楽しむことはできないのだが、少なくとも直接音はしっかりと飛んできた。とても分析的な視聴となった。その事後に目を通したプログラム冊子と演奏会の内容共に素晴らしいもので、それは改めるとして、それ以外にもメモをする必要があった。

祝祭劇場にしっかりと苦情をすることになった。先日の「マゼッパ」の時にも気が付いたのだが、この祝祭劇場で音楽の享受を邪魔するのは空咳でも話し声でも飴の袋の音でも携帯電話のそれでも光でもない。なんと、会場案内人が闊歩してドアを開け閉めする騒音である。これは今後のことを考えるともはや看過できない。

一曲目のモーツァルトのアンダンテで舞台脇ドアの横の腰かけから最後尾まで歩いてドアを荒っぽく占めるおばさんは教育期間一週間は必要であろう。更に後半のブラームスのアレグロで遅れた人を横から入れさす無神経さ。更にアンコールでドアを開けて出ていく会場係員。もう許されないだろう。

私などプロは大抵の音をノイズキャンセルする能力があって、ドア際に座っていなければ気にならないだろう。しかしこれはやはり注意すれば避けれることであって無用の騒音や光である。少なくとも演奏者は気が付く。矢張り許せない。今後世紀の演奏がなされて録画されるときに、編集されなければいけないのが会場係員の立てた騒音だとすれば、なんてことだ。

成程地元のおばさんにそこまで教育する余裕も組織もなかったのだろう。そして今までの興行師のおやじが支配人をしていた時のパーソナルも生きているに違いない。継がれるのは程度の低い係員教育である。

しかしこれからは、ミュンヘンやヴィーンから観光承招致して、世界に問うときにこれは許されない。今回は嫌がられてもいいので厳しくし指摘したいと思う。こうしたことの小さな積み重ねでしか音楽祭の質は上がらない。

ユネスコとの世界遺産のバーデンバーデンのイメージとそれをどんなふうに演出していてもこれでは駄目なのだ。結局シュヴァルツヴァルトの文化程度が低いという事になりかねないのである。



参照:
どのように転んでも無関心 2021-11-21 | アウトドーア・環境
ペトレンコ指揮の練習風景 2021-11-20 | 音
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