Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

バタバタしないように

2022-05-11 | 料理
散髪を済ました。嬉しい。暑くなれである。水曜日は摂氏30度を超えるというので、準備を考える。朝からお茶を沸かして冷やしておく必要はありそうだ。1リットルでは足りないだろう。

甘いものが欠けると不甲斐ない。先週パン屋で購入したベーコンとか玉ネギとか入っているスティックは甘くはないがそれなりに良かった。途中でお茶のところてんゼリーも作ったが、チョコレートもないので飴ぐらいでは直に口が寂しくなる。

本格的に暑くなる前に一発頂上攻撃が可能なのかどうか。散髪して頭は軽くなったが、気温が高い中での体温の上昇に耐えられるか。汗を掻くだけの水分は足りているのか。紅茶に蜂蜜とレモンで補給しておこう。

ミュンヘンで一昨年無観客初日が生中継された新制作「バラの騎士」が初めて観客を入れて、そして大編成で上演された。批評は、十八番になっていた前の演出で二幕の幕が上がると拍手があったが、今回も踏襲しているとあった。そのバリーコスキーの演出自体は抽象化されてよく考えられているだけに、十八番として引き継がれるものになるのだろう。

しかし、音楽監督ユロウスキーは、普通ないほどにブーイングを浴びていたようで、想定よりも悪かったようだ。新聞評でも、直線的に走って滑って仕舞ったようだ。ロンドンでライプチッヒの世界最古の交響楽団ゲヴァントハウスとのツアーでネルソンズ指揮が滑っているのとは若干意味が違う。指揮が違う。ユロウスキーの指揮は生では都合三回観たが、バタバタして仕舞うのはいつものことで、違う面でもう少し聴かせて行かないと苦しい。特に「バラの騎士」は「それ程興味がある作品ではなくて、その特徴をポストモダーンと定義」したところで、そのバタバタ感とごった煮感は煮えついてしまった。昨年はコロナの制限で奈落の中で小編成で演奏をしたので目立たなかった。

ミュンヘンの劇場での音楽監督としての最初の新制作はショスタコーヴィッチ作「鼻」であった。その時のその作品自体がそれで済んだのだが、流石に今回はそれだけでは終わらない。誰が振っても分が悪すぎるのだが、前任者のペトレンコ指揮と比較されることになって、その洗練さが全くなくなっていて、楽団迄ガタガタになっているとされている。大編成の練習不足ならばいいのだがとされても、12月のエンゲル指揮でのストラヴィンスキーやシェーンベルク、バルトーク、コルンゴールトの挿入曲を聴いた感じからすれば、それは通らないだろう。

来月末にはペンデレツキの新制作「ルードンの悪魔」が待たれていて、此の侭ならば雑な演奏になってこうした超一流の歌劇場で演奏される意義すらなくなってしまう。今回の批評を真摯に受け取って、是非修正していって欲しい。



参照:
夢のような倒錯した舞台 2021-03-22 | 音
ゴーゴリの鼻の威厳 2021-10-27 | 音
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