Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

キャラクター付けの衣装

2022-05-26 | マスメディア批評
承前)新聞に更なる評が出てきている。企画や制作に深入りする前にその評価も紹介しておかなければいけない。フランクフルトターアルゲマイネ新聞は、その書き手はある意味我々の仲間で、最初からそこにおかしなことは書いていないと思ったら、上手に綴っていた。

特に演奏に関しては、娘を性的に支配した父親役のボー・スコーフスの力強いグリッサンドと母親役の関係や、それに対してカウンターテナーのハーゲン・マットツァイトのキャラクター付けに言及している。最後の役は公演前に楽屋入口に近いところに衣装らしきでいるのを観察していて何役かと考えていた人だった。

ブルーのスーツでこの時期に不可能ではないが、珍しいなと思ったのでやはり不動産屋役の衣装だった。舞台の背景やプロジェクトに映される光景はモノクロで、誰かが書いていたように演出のクラウス・グートのいつもの殺風景なコンクリート壁の室内に対して、衣装はカラフルながら、昨年のコメディー「マスケラーダ」のカラフルさではなく、各々のキャラなどを引き立てるコミックな衣装となっていた。

勿論、現実とトラウマの世界双方を行ったり来たりして出っ放しの主役ナーディア役ヴェッラロッテ・ベッカー、更にプロジェクトとライティングそして、三人のテルツァ-童子の素晴らしい三重奏が特筆される ― これに関しては改めて言及するしかないだろう。そしてハイライトは、登場者と演出だけでなく、ティ―トュス・エンゲル指揮の室内合奏団として、BRの様にお役目を果たしたとだけではなくて、スポーティーな要求をされていたとしている。ここまで書けば少なくとも音楽関係者には指揮者として何を成し遂げたかは明らかになる。

そしてこれら一つ一つであっても、最後の激しい喝采の理由になる所だとして、創作者を含めて例外なく全ての関係者にそれは当て嵌まると大絶賛としている。流石の通称ベックメッサ―の表現である。

中々短い字数では書き尽くせないことは分かる。それでも大風呂敷を広げて感想を述べたくなるのが今回の企画であり、実演実践だった。実際に、「ブルートハウス」と月曜日に初日だった「トーマス」がプログラムで一緒に扱われていて、その内容に二つのインタヴューは既にここでも言及した様にネットで紹介されていたものだ。しかしそれに終わらず、「トーマス」の演出家のマーラー女史のインタヴュー以外にも、死への医学的な見解や、トラウマに関して、そしてハースの作曲家としての位置づけが書かれている。

特にシュトックハウゼンとの関係において扱っていることは、今回の開催された新たな音楽祭の基本的な企画意図になるようなことであり、とても興味深い。その意味するところは既にインタヴューなどでも明らかだったのだが、客観的に叙述されている。(続く



参照:
Horrorglissando in Vaters Stimme, Max Nyffeler, FAZ vom 25.5.2022
徐々に遠くなる二十世紀 2008-08-26 | 音
芸術音楽で可能となること 2022-05-19 | マスメディア批評
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