Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

次の頂点に再到達の音響

2022-05-15 | 
金曜日の晩、ベルリンからフィルハーモニカーの演奏が生中継された。新シーズンプログラム発表後初めての定期公演だったので支配人ツャッチマンのインタヴューが番組中に流された。

新シーズンのテーマなどについての内容が話された。一つの柱でもある「愛とセクシャルティ」に関しては来年の「影の無い女」やヴェーゼンデュンク歌曲集などが挙げられていて、更に重要な「アイデンティティ」に関して、マーラー七番でシーズンを始める事以外に、楽団のそれについて言及された。

そこで、当夜の客演指揮者で前任のサイモン・ラトル卿と、後任のキリル・ペトレンコ体制の間での変化や特徴について質された。前者に関しては、珍しい曲での開幕とか又教育企画に代表されるパブリックコミュニケーションが総決算として出され、後者によっての現在のフィルハ―モニカーがその音響において明らかに低音がコムパクトに強化されたとが示された。そして当然の事乍ら楽団の見解として、「スペードの女王」でそれが現在までの頂点に達したと、そこ迄のオペラ演奏が可能になったと祝福された。

特にラトル時代のつるつるてんてんの響きが修正されて行く課程において、カラヤン時代の様に肥大化せずに、飽く迄のコムパクトに当てていくバスの殆ど点描的な響かせ方はミュンヘンにおいて最後までも最も違和感さえ与える点であって、ベルリンにおいては伝統的な分厚さとが上手く統合されたとしてもよいのかもしれない。

就任前の「悲愴」から「ドンファン」などにおいてはまだまだカラヤン時代の音響に比較して鳴り切らないとされた批判点であった。それは既にコロナ期間前には修正されていたと思われるのだが、奈落に入るようになってよりコムパクトな響きが要求されたという事だろう。決して奈落でも囂々とはならない乍らも大きな響きを出せる由縁でもあった。

ラトルが体制末期において「カラヤンが昼飯を誘いに来る」と度々漏らしていたのは、まさしくあれだけの音響を支える為にカラヤン化への誘惑に抵抗するしかなかったということだったのだろう。

今回もジェラードというシェーンベルクの弟子の音楽を紹介したラトルであるが、その音響も彼自身の体制の時よりも遥かに豊かになっていたのを客演指揮者として認識したに違いない。これだけマイルドな響きを新たに就任するミュンヘンの放送交響楽団では到底実践できないと認識した筈である。更に新ホールの建設も座礁に乗り上げた。

ペトレンコが、「サイモン、戦後の曲で何を振りたい」と尋ねてくれて、選曲まで任せてくれたと、ベルリンで今迄振った最高の指揮が出来る喜びに満ちた表情で語っているサイモン・ラトル卿である。



参照:
干ばつの毎日の驚愕 2018-08-01 | 音
次はシェーンベルク 2018-03-28 | 文化一般
原典回帰というような古典 2016-10-20 | 文化一般
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