毎度のことながら8月31日気分である。当日になって、どんどんとマーラー交響曲七番の見えないところが見えて来て端からどうしようもない。今年はまだ現実に9月1日までに時間があるので、肝に銘じておこう。
キリル・ペトレンコ指揮のミュンヘンでのライヴ録音を再び聴いた。そして一年前の感想を読むと基本的には同じことを書いている。やはり二楽章で軍隊ラッパが出てくるのをすっかり忘れていたのはご愛敬だ。演奏の表情に関してはあまり付け加えることがないのだが、曲は一年前より分かってきた。
マーラーは、フィナーレを書き上げ、第一楽章の導入部を湖畔で浮かんだ時点で全体の構想も明らかになったと語っているが、作曲技法的にどういう経過でこうなるのか迄はよく分からない。それが分かればこの曲は卒業ではないか。但し実際に音化するのはこれまたとても厄介な仕事であることは疑いの余地がない。やはり難しいと思う。
その中でこの世界最古の座付き管弦楽団が前音楽監督の下で記念碑的な演奏をしていることも間違いない。往年のリヒャルト・シュトラウス指揮の録音などと共にこうした座付き楽団の演奏として人類の記録となるものだと思う。本物のハイカルチャーである。
それにしても作曲家のざっくりしたプログラムは分かるのだが、またその職人的な腕があったとしてもよくもこれほどの発想に到達したなと思う。やはり天才作曲家か。
チャイコフスキーの影響は、上のCDのブックレットにも中間楽章を扱ってその組曲を挙げている。しかし最も影響を受けているのは心理的なメロドラマ配置、つまりここでも扱った復活交響曲のそれがここに来て最も極端な形で対照化されていることだろうか。
今晩の演奏が何処迄核心に迫れれるのかどうかは分からないが、大いに期待したいところである。実は三月にはハーノーヴァ―の劇場でもエンゲル指揮でこの曲が演奏された。大変反響は大きかったようだ。些か遠かったので出かけなかった。現実に当日演奏会直前に陽性者が出たとかで危うく中止になる所だったという。こういうことがあるのでまだまだ不安定な時期であった。出かけていたら大変な損失となる可能性すらあった。しかし少なくともレパートリーとして持っているということで、どこかいい管弦楽団で聴ける機会があればと思っている。
参照:
誘う夏の夜の音楽 2021-05-30 | 音
「スペードの女王」の影 2022-05-28 | 音
キリル・ペトレンコ指揮のミュンヘンでのライヴ録音を再び聴いた。そして一年前の感想を読むと基本的には同じことを書いている。やはり二楽章で軍隊ラッパが出てくるのをすっかり忘れていたのはご愛敬だ。演奏の表情に関してはあまり付け加えることがないのだが、曲は一年前より分かってきた。
マーラーは、フィナーレを書き上げ、第一楽章の導入部を湖畔で浮かんだ時点で全体の構想も明らかになったと語っているが、作曲技法的にどういう経過でこうなるのか迄はよく分からない。それが分かればこの曲は卒業ではないか。但し実際に音化するのはこれまたとても厄介な仕事であることは疑いの余地がない。やはり難しいと思う。
その中でこの世界最古の座付き管弦楽団が前音楽監督の下で記念碑的な演奏をしていることも間違いない。往年のリヒャルト・シュトラウス指揮の録音などと共にこうした座付き楽団の演奏として人類の記録となるものだと思う。本物のハイカルチャーである。
それにしても作曲家のざっくりしたプログラムは分かるのだが、またその職人的な腕があったとしてもよくもこれほどの発想に到達したなと思う。やはり天才作曲家か。
チャイコフスキーの影響は、上のCDのブックレットにも中間楽章を扱ってその組曲を挙げている。しかし最も影響を受けているのは心理的なメロドラマ配置、つまりここでも扱った復活交響曲のそれがここに来て最も極端な形で対照化されていることだろうか。
今晩の演奏が何処迄核心に迫れれるのかどうかは分からないが、大いに期待したいところである。実は三月にはハーノーヴァ―の劇場でもエンゲル指揮でこの曲が演奏された。大変反響は大きかったようだ。些か遠かったので出かけなかった。現実に当日演奏会直前に陽性者が出たとかで危うく中止になる所だったという。こういうことがあるのでまだまだ不安定な時期であった。出かけていたら大変な損失となる可能性すらあった。しかし少なくともレパートリーとして持っているということで、どこかいい管弦楽団で聴ける機会があればと思っている。
参照:
誘う夏の夜の音楽 2021-05-30 | 音
「スペードの女王」の影 2022-05-28 | 音