(承前)疑問を呈した。しかしその前にもう一度終景における演出の変更について考察しておこう。そこでは主人公のヘルマンが、カードの目を外しただけであっけなく自射してしまう。原作においてはその神も仏も無しのニヒリズムが強調されるところなのだが、ここではチャイコフスキーは古い聖歌をコーダに使った。この傾向は最期のオペラ「イオランタ」においてより明白になる様に明らかに神的な光を求めていた死を遠からず覚悟していた作曲家であり、ここではどこまでも主人公への慈愛の念を音楽化している。この作品がドラマテュルギー的に最後まで中々嵌まり難くしている由縁だろう。
そこにト書きには無い祈りの場を見せることで、その意味は可也大きく変わる。その演出意思以上にここで注意したいのは、途中で代えてまで変更してしまったやり方である。もしこれがミュンヘンの大劇場で行われていたならば、常連さんにだけでなくメディアでも大きな話題になったであろう。
制作の基本コンセプトとして音楽的な意味合いが先にあるとすれば、途中から演出が変更されるのはおかしい。またはその重心が移されるのは不自然ではないかとなる。実は、こうした演出の変更があってから二晩目のカメラも入っていない千秋楽には更なる細かな変更があった。少なくともヘルマンのメーキャップはより陰影がつけられた。到底満員にもなっていない晩の為に試みたのは何だっだのか。
明らかに重心が移されたので、そのヘルマンの歌唱が四日間でも最も素晴らしい出来となり、終演後の喝采も初めて主役に相応しい沸き方をした。つまり、演出の変化は音楽的にも大きな影響を与えたということであり、同様な状況はその後のベルリンでの演奏会形式での批評等にも表れていた。
劇場においては歌手の体調が悪いなどは日常茶飯の変化であるが、そうした場合でも破綻が起きないように劇的に支障が起きないようにするのが劇場指揮者の腕である。しかし今回の場合は、音楽的な追求からそれに寄り添う演出まで変更になって、千秋楽からまだベルリンでの公演へと飽くなき音楽的修正が為されたとも考えられる。こうした作業工程自体が、そして演出家が最後まで手を加えるというのも特別なことだった。
上記の明らかな演出上ひいては音楽上の頂点は、これらの事から聖金曜日の第三夜にあったとして間違いないだろう。恐らく、残される映像も当夜のものを主にして、録音もその他の取り換えや修正などが為されるものと予想する。
もう一つ、この作品のフェーク構造において、とても音楽的に重要な部分はネオロココの舞台化であった。これもこの作品の理解を難しくしている要素でもある。(続く)
参照:
新制作二日目の狙い 2022-04-14 | 文化一般
まるで座付き管弦楽団 2022-04-16 | 文化一般
そこにト書きには無い祈りの場を見せることで、その意味は可也大きく変わる。その演出意思以上にここで注意したいのは、途中で代えてまで変更してしまったやり方である。もしこれがミュンヘンの大劇場で行われていたならば、常連さんにだけでなくメディアでも大きな話題になったであろう。
制作の基本コンセプトとして音楽的な意味合いが先にあるとすれば、途中から演出が変更されるのはおかしい。またはその重心が移されるのは不自然ではないかとなる。実は、こうした演出の変更があってから二晩目のカメラも入っていない千秋楽には更なる細かな変更があった。少なくともヘルマンのメーキャップはより陰影がつけられた。到底満員にもなっていない晩の為に試みたのは何だっだのか。
明らかに重心が移されたので、そのヘルマンの歌唱が四日間でも最も素晴らしい出来となり、終演後の喝采も初めて主役に相応しい沸き方をした。つまり、演出の変化は音楽的にも大きな影響を与えたということであり、同様な状況はその後のベルリンでの演奏会形式での批評等にも表れていた。
劇場においては歌手の体調が悪いなどは日常茶飯の変化であるが、そうした場合でも破綻が起きないように劇的に支障が起きないようにするのが劇場指揮者の腕である。しかし今回の場合は、音楽的な追求からそれに寄り添う演出まで変更になって、千秋楽からまだベルリンでの公演へと飽くなき音楽的修正が為されたとも考えられる。こうした作業工程自体が、そして演出家が最後まで手を加えるというのも特別なことだった。
上記の明らかな演出上ひいては音楽上の頂点は、これらの事から聖金曜日の第三夜にあったとして間違いないだろう。恐らく、残される映像も当夜のものを主にして、録音もその他の取り換えや修正などが為されるものと予想する。
もう一つ、この作品のフェーク構造において、とても音楽的に重要な部分はネオロココの舞台化であった。これもこの作品の理解を難しくしている要素でもある。(続く)
参照:
新制作二日目の狙い 2022-04-14 | 文化一般
まるで座付き管弦楽団 2022-04-16 | 文化一般