日曜日のオープンエアーを観た。前日とは異なってARDネットのTV生中継だった。その分放送時間も一時間となっていて、些か物足りない。司会に名指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの孫娘に当たるマリア・フルトヴェングラーがあたっていた。女医さんで人気女優であるが、進行はあまり上手ではなかった。後妻のエリザベートの連れ子アッカーマンの娘になる ― アッカーマンは指揮者の甥と幼馴染で結婚しているのでフルトヴァングラー姓となる。一か所だけ気に入ったのはバイエルンアクセントで話したところぐらいだろうか。因みに旦那はメディア王のブルダなのでバーデンバーデン祝祭劇場にも関係がある。つまりドイツ連邦共和有数のセレブとされるだろうか。確かに司会だけならばゴッチャルクなどの方が巧いが、名前だけで指揮者サイモン・ラトルが際立つという事になるのか。
ジョン・ウイリアムス作など全くくだらないプログラミングで、コルンゴールトの「ロビンフッド」を演奏しても本場のロスフィルの様には鳴らなく、一体こんな演奏で良いのかとは思ったが、BR交響楽団の顔ぶれを見ていても高齢化が進んでいて、あまりそれ以上には求められないとも思った。前夜とは異なり、日曜日のそれも22時前となると街も静かになっていて、聴衆もずっとと少ない。前日には新演奏会場での建設中止意向への抗議活動を行っていたのだが、何かそちらの方が意気が上がっていたようにも思える。
ワインの話しと絡めて嗜好という言葉に近いものが音楽芸術愛好などにも使われることがある。「好き嫌い」の言葉で切られる。ワインにおいても例えば酸に弱いとかタンニンが苦手とか、酵母臭や亜硫酸が苦になるとか人各々である。しかしある程度玄人とされる人はそうした判断の基準軸を幾つも定めている。
要するに好き嫌いというのは、芸術音楽の判断には当たらない。恐らくそこで問題になるのはその基準軸の置き方になるのであろう。その基準がまた時代によってトレンドによって変わってくるのでより複雑になってくる。そしてそれを扱うのは取り分け難しい。
しかしそれでも西洋芸術音楽の歴史から演繹的に評価していくと、駄目なものと新しいと評価されるトレンドとは異なる。それは歴史的な評価でもあり、美学的な評価でもあるのだが、もう一つ科学的な評価というものもある。
その点からBR交響楽団がジョンウイリアムズの映画音楽を取り上げて、映像を超えた音楽的な云々と紹介するときに既にこの交響楽団と第二楽団であるBR管弦楽団との相違を無くしていることになって合弁縮小化は間近に迫ったと思われる。前途多難なサイモン・ラトル体制である。
参照:
暮れないミュンヘン 2022-07-11 | 雑感
黒い森からの今と昔の像 2018-10-21 | 文化一般
ジョン・ウイリアムス作など全くくだらないプログラミングで、コルンゴールトの「ロビンフッド」を演奏しても本場のロスフィルの様には鳴らなく、一体こんな演奏で良いのかとは思ったが、BR交響楽団の顔ぶれを見ていても高齢化が進んでいて、あまりそれ以上には求められないとも思った。前夜とは異なり、日曜日のそれも22時前となると街も静かになっていて、聴衆もずっとと少ない。前日には新演奏会場での建設中止意向への抗議活動を行っていたのだが、何かそちらの方が意気が上がっていたようにも思える。
ワインの話しと絡めて嗜好という言葉に近いものが音楽芸術愛好などにも使われることがある。「好き嫌い」の言葉で切られる。ワインにおいても例えば酸に弱いとかタンニンが苦手とか、酵母臭や亜硫酸が苦になるとか人各々である。しかしある程度玄人とされる人はそうした判断の基準軸を幾つも定めている。
要するに好き嫌いというのは、芸術音楽の判断には当たらない。恐らくそこで問題になるのはその基準軸の置き方になるのであろう。その基準がまた時代によってトレンドによって変わってくるのでより複雑になってくる。そしてそれを扱うのは取り分け難しい。
しかしそれでも西洋芸術音楽の歴史から演繹的に評価していくと、駄目なものと新しいと評価されるトレンドとは異なる。それは歴史的な評価でもあり、美学的な評価でもあるのだが、もう一つ科学的な評価というものもある。
その点からBR交響楽団がジョンウイリアムズの映画音楽を取り上げて、映像を超えた音楽的な云々と紹介するときに既にこの交響楽団と第二楽団であるBR管弦楽団との相違を無くしていることになって合弁縮小化は間近に迫ったと思われる。前途多難なサイモン・ラトル体制である。
参照:
暮れないミュンヘン 2022-07-11 | 雑感
黒い森からの今と昔の像 2018-10-21 | 文化一般