Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ムード溢れる環境

2022-07-29 | 
承前)シュタインバッハの拘りは更に良く見えてくる。交響曲三番へと話題が移って行く。やはりその拘りどころが面白い。その前にお弟子さん指揮などを考えて、相違点も大きいとは思うのだが、何か共通点のようなものも見えてくる。特にフリッツ・ブッシュへの影響は大きかったようで、そしてブラームスの薫陶から学んでいる。

さてこれらの英語訳が出たのは2004年で、現在は2011年の改訂版が出版されているようだ。つまり、この内容を把握して演奏実践に移しているその代表的なものに2008年に欧州でツアーに出たガーディナー指揮の演奏会があった。だから今回もその立奏したフランクフルトでの演奏会も思い出しながら旅のお供にもその録音を聴いて行こうと思ってはいる。しかし、どう見てもシュタインバッハのコメンタールが活かされているとは思われない。

シュタインバッハは、英雄的な一楽章の主題に拘って、滞在したベルヒテスガルテンのヨーデルであることから、ベートーヴェンのような変ホ長調ではなくヘ長調であると書いている。ブレヒテスガルテン迄出てくるのは、作曲家ご本人に直接確認したとしか思われない。勿論どこに滞在したかの旅行節話ではなくて、その主題に関しての問いかけだったのだろう。

新古典主義的なブラームスにおいてはその音楽的な構想から純音楽的なアイデアを重要視するばかりに、そうした文学的であったり絵画的な要素は疎まれる事が多いのだが、ブラームスの滞在した地を次から次へと訪れるとそこの環境でのムードが音楽に紛れもなく反映していることを感じると思う。そこそこの環境であり、丁度アルピズムの創成期での紀行文などを思い出せば、ここではまさしく音の絵葉書となっている。

独墺ロマン派後期の特徴をその形式性とすればまさしくブラームスが伝統を継承しているというのはまさしくその通りである。つまり例えば二楽章の最後のエピソードの峰の高みへと包まれる美しさにおいては最早対位法的な緊張感は違う目的に収束してしまっている。

同時代の対抗勢力であったブルックナーの交響曲に於けるそうした視座の広がりは、楽匠ヴァ―クナーに於けるザッハリッヒ的な視座とも異なり、飽く迄もカトリック的な神の創造物として蒸気機関のピストンなどと同等の描かれる。しかしブラームスの於いては、まさしくその場の空気感ごとに伝える迫真迫る写真やヴィデオのようなものでおある。要するにブルックナーのような確信を持った自然との対峙ではなくて飽く迄もその環境での反照でしかない。

水曜日からまさしくベルヒテスガルテンとキムゼーの間の街で過す。木曜日には午前中にブラームスの第二交響曲とこの曲を聴いてから少しだけ高みに上がる予定をしている。



参照:
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