Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

作品再演の普遍的価値

2022-07-04 | 文化一般
承前)当夜のプログラムにはペンデレツキの作曲にも触れられている。ヨハネ二世の友人としてカトリック教徒であった作曲家が宗教音楽曲を書き、中世の題材の劇場音楽にフランドル楽派の書法を用いて、更に音列作法も使い、クラスター化した音響から生じるのは最終的にはニヒリズムだという落ちがある。恐らくそうした全体像がこの音楽劇作品をして、初演当時のフランクフルターアルゲマイネ紙のカイザーなどが、「びくびくした処女作で、音の少ない作品」と酷評したような批評を導いている。

多彩な技法や音響が上手く焦点が当たらない結果にしているのは、演出面でもショートカットで場面を進めて行く為の配慮にも相似していて、演出のストーンが語っているように、最初の景で修道女のジャンヌが見ず知らずの愛の改革者への性的な啓示とパリのソルボンヌ中心への代替政治的な抗力との合一とされる二つの次元への焦点が合い難くされているのだろう。

後者は、所謂ナンテの勅令でのユグノーへの配慮と約百年後のルイ14世の引き締めのフォンテーヌブローの勅令の歴史の中での出来事が扱われている。そこでは魔女狩りとして、フランスやドイツにおいて、特に性的なスキャンダルをして若しくはエクソシスト行為などとして制裁を科して政治的に利用されたことがここで行われている。

そこが、このオペラに於ける音楽劇場作品としてMeTooのそしてネットでのフェークニュースやネット魔女狩りの今日性となるのだが、プログラムにおいては当時のポーランドの作曲家がこうした作品をドイツ語でドイツにおいて依頼されて初演するしかなかった環境が記憶されていて、共産党政権への視座として捉えられている。本当だろうか。

その点でストーンの演出に対して、BRの批評では、初演当時の性の解放があって、当時は集団セックスや性的な狂気はスキャンダラスなものであってとしていて、明らかに演出からとの別な視座を示している。

これらを解説すれば、1969年と今日では当然の如く既に視座が変わっていて、こうした舞台づくりの難しさを示している。それは、この作品自体がそうした時代の変化に沿って、絶えず新たな意味合いや上演価値を持ち得るかどうかにも関係している。要するに作品の普遍的な価値と再演の意義。

今回の演奏実践においては、述べたようにサウンドデザインとしての生楽器の音が使われていたが、同時に修道女のヒステリックな重唱などの見事な響きは、ペンデレツキ以前にメシアンのカトリズムの音楽の豊麗さとも呼応するのだが、やはりもう一つの政治性がとなるのだろうか。しかしそこでは対抗軸とはなっておらずに、他の次元となる。それが音楽的にどのように表現されているのか?(続く)



参照:
悪魔に取り憑かれるか 2022-06-23 | 文化一般
1968年革命の雰囲気 2022-06-27 | 文化一般
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