八月、九月の楽譜を調べた。ネットで全く入らないのは、新曲一曲で、使いものにならないサムプルは「メデューサの筏」、その他の新しい曲ではリゲティとクセナキスはYouTubeの総譜が使える。
「メデューサの筏」も発注すれば32ユーロなら買うのだがPDFの価格でプリントとなると42ユーロなので高い。金を出すなら前後捲れるものが欲しい。そしてもう一度体験するようなことの無い曲である。何とか誤魔化したい。
そして、シーズン初日は三週間先に近づいている。それ迄に「英雄の生涯」とレーガーともう一つのツアー裏プログラムを片付けておかないとその次の週に間に合わなくなる。
つまりそれ迄にヘンツェを把握しておいて、リゲティ、クセナキス、ハルトマンを始める準備をしておく、九月第二週から一週間の間に、それらとヘンツェを仕上げる。第四週のアンデルセンとグバイドリーナの曲は演奏を録画等を落としておく。
最初の「英雄の生涯」でどうしても気になるのは、復活祭で試演を二回聴いたことから、余計にカラヤン指揮の同曲の録音等となる。ベットでYouTubeを探したら少なくとも基準となる制作ものが三種類見つかった。触りだけでも聴くとその相違は思ったよりも大きく、当時はカラヤンはメディア技術に進展で何度でも再録音するとされていたが、少なくとも最初の二回はとても芸術的な意味合いがあった。
1959年の録音はステレオ初期のもののようで、当時のEMIのブルックナーと時期は変わらないようだが、演奏技術的にも良さそうだ。少なくとも現在当時の音は最早求められないのだが、ソロを弾いているシュヴァルべの演奏を今回の女流の演奏が越えるのかが期待されている。カラヤンが丁度今のぺトレンコと同年配の時期の指揮で、ザルツブルクでの「バラの騎士」等と同様にとても素晴らしい。
Richard Strauss – Ein Heldenleben – Herbert von Karajan, Berliner Philharmoniker, 1959 [24/96]
1974年の録音は1977年に大阪で聴いたものと殆ど変わらない。カラヤンサウンドの頂点が記録されているが、1975年末の手術後で燕尾を脱ぎ捨てた後だったと記憶する ― 1978年には指揮台から転落。今からするとやはり既にライヴで無理することがなくなっていたのかもしれない。
Richard Strauss: Ein Heldenleben - Une Vie de Héros op.40 "1898" (with full description)
今回のベルリナーフィルハーモニカーが目指すところはこのサウンドを凌駕して尚且つ1959年のその音楽性を越えて、作曲家の自作自演に如何に近づく演奏が出来るかどうかである。
兎も角、その夏のツアーのテーマには変奏曲があり、それで何を示すかというと20世紀の後期ロマン派以降のマーラーの交響曲以降の音楽語法としてのそれを示すということに他ならない。それが極東ツアー向きの11月定期に演奏されるプログラムで補強されている。
方向はシェーンベルク以降の伝統的音楽語法であり、それがベルリンのフェストシュピーレからミュンヘンへの旅で示されることにもなっている。それと並行した形で既にハース作品で歴史的な上演をしたエンゲル指揮によってヘンツェやアンデルセンへと抜ける路等も同時進行することになるのだろう。
参照:
どうするヤコブの梯子 2023-05-10 | 文化一般
彫塑の必要な若者様式 2023-04-17 | 音
「メデューサの筏」も発注すれば32ユーロなら買うのだがPDFの価格でプリントとなると42ユーロなので高い。金を出すなら前後捲れるものが欲しい。そしてもう一度体験するようなことの無い曲である。何とか誤魔化したい。
そして、シーズン初日は三週間先に近づいている。それ迄に「英雄の生涯」とレーガーともう一つのツアー裏プログラムを片付けておかないとその次の週に間に合わなくなる。
つまりそれ迄にヘンツェを把握しておいて、リゲティ、クセナキス、ハルトマンを始める準備をしておく、九月第二週から一週間の間に、それらとヘンツェを仕上げる。第四週のアンデルセンとグバイドリーナの曲は演奏を録画等を落としておく。
最初の「英雄の生涯」でどうしても気になるのは、復活祭で試演を二回聴いたことから、余計にカラヤン指揮の同曲の録音等となる。ベットでYouTubeを探したら少なくとも基準となる制作ものが三種類見つかった。触りだけでも聴くとその相違は思ったよりも大きく、当時はカラヤンはメディア技術に進展で何度でも再録音するとされていたが、少なくとも最初の二回はとても芸術的な意味合いがあった。
1959年の録音はステレオ初期のもののようで、当時のEMIのブルックナーと時期は変わらないようだが、演奏技術的にも良さそうだ。少なくとも現在当時の音は最早求められないのだが、ソロを弾いているシュヴァルべの演奏を今回の女流の演奏が越えるのかが期待されている。カラヤンが丁度今のぺトレンコと同年配の時期の指揮で、ザルツブルクでの「バラの騎士」等と同様にとても素晴らしい。
Richard Strauss – Ein Heldenleben – Herbert von Karajan, Berliner Philharmoniker, 1959 [24/96]
1974年の録音は1977年に大阪で聴いたものと殆ど変わらない。カラヤンサウンドの頂点が記録されているが、1975年末の手術後で燕尾を脱ぎ捨てた後だったと記憶する ― 1978年には指揮台から転落。今からするとやはり既にライヴで無理することがなくなっていたのかもしれない。
Richard Strauss: Ein Heldenleben - Une Vie de Héros op.40 "1898" (with full description)
今回のベルリナーフィルハーモニカーが目指すところはこのサウンドを凌駕して尚且つ1959年のその音楽性を越えて、作曲家の自作自演に如何に近づく演奏が出来るかどうかである。
兎も角、その夏のツアーのテーマには変奏曲があり、それで何を示すかというと20世紀の後期ロマン派以降のマーラーの交響曲以降の音楽語法としてのそれを示すということに他ならない。それが極東ツアー向きの11月定期に演奏されるプログラムで補強されている。
方向はシェーンベルク以降の伝統的音楽語法であり、それがベルリンのフェストシュピーレからミュンヘンへの旅で示されることにもなっている。それと並行した形で既にハース作品で歴史的な上演をしたエンゲル指揮によってヘンツェやアンデルセンへと抜ける路等も同時進行することになるのだろう。
参照:
どうするヤコブの梯子 2023-05-10 | 文化一般
彫塑の必要な若者様式 2023-04-17 | 音