車のトランクの救急箱を見た。朝走る前に気になっていた「賞味期限」を確認。案の定6月で切れていた。勿論夏を越えたら使えなくなるわけではないが、救急箱は義務であって、切れていたら罰金を取られる筈だ。場合によれば減点となる。もし事故が起こって包帯が解けて出血死となれば責任が圧し掛かる。それによっての刑事責任というよりも民事で餌食となる材料を与える。
だから遵法精神で運行責任を負わなければいけない。ほろ酔いで酒気帯び運転などは罪はない。しかし何かが起これば保険金が払われなくなることを覚悟しなければいけない。少々の金でそうしたリスクを避けられるならば大変な費用対効果である。
早速アマゾンで発注した。中はまだ開けてもいないが、同じものを発注した。数十セント値上がりしているが、七ユーロ程度のもので来週明けに届けばその間二回程しかそれも数キロしか走行しない。粗リスクはない。なによりも再来週のルツェルン行きの国境超えの準備となる。
週末まで待たないと確信は持てないが、7月に走り回った時の交通違反の可能性は薄くなってきている。特にプフォルツハイム周辺の迂回路を走った時には道が分からずにやばかったのである。既に7月9日からも五週間を経過しているので、通常は御免であるが、抑々スピード違反をしているかどうか分からない所では皆目見当もつかない。彷徨してしまったところが気になるだけである。
レーガー作曲「モーツァルトの主題による変奏曲」の周辺事情が興味深い。先ずレーガ―がこの曲を作曲したのはマイニンゲンの宮廷劇場の音楽監督の時で、それ以前のバッハからブラームスへと引き継がれたドイツ音楽の伝統の発展がその対位法的な発展の創作の原点にあった。
勿論ドイツの音楽語法の代表としてベートーヴェンの創作からの発展があって、それに対峙したのがブラームスであり、最後の交響曲四番において対位法的な発展がその内容となっている。その第四交響曲がマイニンゲンのハンスフォンビューローの下で準備されて作曲家の指揮の下で、既に21歳のリヒャルト・シュトラウスの手に渡る1885年に初演された。若き作曲家を引き継いだのがその校訂で再び口に上るシュタインバッハ、それらを1911年に引き継いだのがマックス・レーガーであった。
その主題とその発展の目的から、飽く迄も透き通り軽やかな管弦楽手法を理想としたことは想像に難くない。シュタインバッハのブラームスで語られた事とも全く矛盾していない。オルガン的な音響は忌まわれたとなる。
シーズン前にキリル・ペトレンコが語ったことを思い出したい。何故既に三分の一が成就されたその新たな音響が必要であり、どのような方向へと導かれていくのか?そして今回の夏のツアーのプログラム、そして11月に定期で新たに採り上げられるブラームスの交響曲四番。
フォンビューロらを継いでマイニンゲンそしてベルリンのシェフとなったペトレンコ、その「英雄の生涯」は、まさしくカラヤンが目した十八番であった。そして全くそれを完膚無きまでに塗り替えてしまうだろうドイツ音楽の正統的な継承者としての生涯への宣言であったのだ。
参照:
終身指揮者ペトレンコの意志 2023-06-17 | 音
ハルマゲドンの巨匠現る 2023-08-13 | 音
だから遵法精神で運行責任を負わなければいけない。ほろ酔いで酒気帯び運転などは罪はない。しかし何かが起これば保険金が払われなくなることを覚悟しなければいけない。少々の金でそうしたリスクを避けられるならば大変な費用対効果である。
早速アマゾンで発注した。中はまだ開けてもいないが、同じものを発注した。数十セント値上がりしているが、七ユーロ程度のもので来週明けに届けばその間二回程しかそれも数キロしか走行しない。粗リスクはない。なによりも再来週のルツェルン行きの国境超えの準備となる。
週末まで待たないと確信は持てないが、7月に走り回った時の交通違反の可能性は薄くなってきている。特にプフォルツハイム周辺の迂回路を走った時には道が分からずにやばかったのである。既に7月9日からも五週間を経過しているので、通常は御免であるが、抑々スピード違反をしているかどうか分からない所では皆目見当もつかない。彷徨してしまったところが気になるだけである。
レーガー作曲「モーツァルトの主題による変奏曲」の周辺事情が興味深い。先ずレーガ―がこの曲を作曲したのはマイニンゲンの宮廷劇場の音楽監督の時で、それ以前のバッハからブラームスへと引き継がれたドイツ音楽の伝統の発展がその対位法的な発展の創作の原点にあった。
勿論ドイツの音楽語法の代表としてベートーヴェンの創作からの発展があって、それに対峙したのがブラームスであり、最後の交響曲四番において対位法的な発展がその内容となっている。その第四交響曲がマイニンゲンのハンスフォンビューローの下で準備されて作曲家の指揮の下で、既に21歳のリヒャルト・シュトラウスの手に渡る1885年に初演された。若き作曲家を引き継いだのがその校訂で再び口に上るシュタインバッハ、それらを1911年に引き継いだのがマックス・レーガーであった。
その主題とその発展の目的から、飽く迄も透き通り軽やかな管弦楽手法を理想としたことは想像に難くない。シュタインバッハのブラームスで語られた事とも全く矛盾していない。オルガン的な音響は忌まわれたとなる。
シーズン前にキリル・ペトレンコが語ったことを思い出したい。何故既に三分の一が成就されたその新たな音響が必要であり、どのような方向へと導かれていくのか?そして今回の夏のツアーのプログラム、そして11月に定期で新たに採り上げられるブラームスの交響曲四番。
フォンビューロらを継いでマイニンゲンそしてベルリンのシェフとなったペトレンコ、その「英雄の生涯」は、まさしくカラヤンが目した十八番であった。そして全くそれを完膚無きまでに塗り替えてしまうだろうドイツ音楽の正統的な継承者としての生涯への宣言であったのだ。
参照:
終身指揮者ペトレンコの意志 2023-06-17 | 音
ハルマゲドンの巨匠現る 2023-08-13 | 音