葡萄は順調に実をつけている。リースリング種の場合未だ一月はぶら下げておく。なぜならば酸が分解していないからだ。即ち生物的に未熟性である。これからは寒暖があって、糖を貯めたりする工程に入る。朝晩の冷えが酸の量感を推し、同時に熟成へと向かう。
だから既にその葡萄の素養はほぼ決まっていて、試してみると2023年産の味質が分かる。未だ実った葡萄ではないので葡萄泥棒にはならないのだが、一番困るのはいい加減に剝ぎ取ってそこから黴などが生えることである。
抑々この時点でワインの味が分かるにはそれなりの経験が必要で、ここで判断できるような人は高級ワインも分かる。勿論上手に実を採る。
触っての柔らかさは順調で水膨れもしておらず、皮も薄くはない。予想通り、酸は可也分解していて、甘みがある。同時に乾燥した夏のお陰で地中深い根から水を吸い上げることで土壌感が強い。これだけで高級葡萄の可能性が高い。しかし今後は如何に寒暖差の大きさで分解された酸が貯められていくのかに掛かっているだろう。
恐らく早めの収穫となるので、10月初旬までの天候が期待される。しかし、例年の様子からして、粒は小さいものの健康な完熟を迎えそうで、酸の量感だけが問題となるところだろう。
ベルリンのシーズン初日が明後日に迫った。公式のプログラムが出ているのでダウンロードして目を通した。極東公演でも演奏されるプログラムであり、夏のツアーの表プログラムであり、来週の水曜日にルツェルンで聴くことになっている。
曲目紹介を読みむと、先ずはレーガー作曲「モーツァルトの主題による変奏曲」は結構お決まりの内容で誰が書いているのか不審に思った。なぜならば恐らく演奏されるそれとは大きな差異があり、あまり参考にならない曲の描き方で、少なくとも指揮者ペトレンコのブレーンのクラスティング氏ではないと思った。そして確かめるとどうして彼が書いていて、なぜこうした継ぎはぎのような内容になっているのか不思議に思った。なるほど後半のリヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」に関しては最後にマイニンゲンでのブラームスとの散歩中の若いシュトラウスに語った言葉が載っていて興味深かった。
シューベルトの舞曲の八小節のメロディーを研究しなさいに集約されていた。これで極東ツアーの二つのプログラムに直結させてある。そしてそれが終わった後で、改めてレーガーについての言及があった。先のところではモーツァルトへと戻って来ての清楚さのようなものがあったのに対して、最後は無署名の言及がこともあろうに、シェーンベルクの過程演奏会での話題としてもレーガーの作品が最もそこで演奏されていた楽曲であり、そして同時代の創作者にレーガ―の転換者としての役割が容易く見落とされていたとある。レーガーの死後にもシェーンベルクはもっと知っておくべきだったと書いて、先ずは多作である事、そして亡くなっているにも拘らずまだよく知られていないからだという言葉が挙げられている。
すると最初に書いてあった、「今すぐに時間シュニッツェルを持って来てくれ」という大食漢ぶりのの記述はこの作者の本業であるドラマテュルギーであったのか。
参照:
蕾が膨らむところ 2023-05-12 | 生活
独音楽正統的継続の英雄 2023-08-18 | 雑感
だから既にその葡萄の素養はほぼ決まっていて、試してみると2023年産の味質が分かる。未だ実った葡萄ではないので葡萄泥棒にはならないのだが、一番困るのはいい加減に剝ぎ取ってそこから黴などが生えることである。
抑々この時点でワインの味が分かるにはそれなりの経験が必要で、ここで判断できるような人は高級ワインも分かる。勿論上手に実を採る。
触っての柔らかさは順調で水膨れもしておらず、皮も薄くはない。予想通り、酸は可也分解していて、甘みがある。同時に乾燥した夏のお陰で地中深い根から水を吸い上げることで土壌感が強い。これだけで高級葡萄の可能性が高い。しかし今後は如何に寒暖差の大きさで分解された酸が貯められていくのかに掛かっているだろう。
恐らく早めの収穫となるので、10月初旬までの天候が期待される。しかし、例年の様子からして、粒は小さいものの健康な完熟を迎えそうで、酸の量感だけが問題となるところだろう。
ベルリンのシーズン初日が明後日に迫った。公式のプログラムが出ているのでダウンロードして目を通した。極東公演でも演奏されるプログラムであり、夏のツアーの表プログラムであり、来週の水曜日にルツェルンで聴くことになっている。
曲目紹介を読みむと、先ずはレーガー作曲「モーツァルトの主題による変奏曲」は結構お決まりの内容で誰が書いているのか不審に思った。なぜならば恐らく演奏されるそれとは大きな差異があり、あまり参考にならない曲の描き方で、少なくとも指揮者ペトレンコのブレーンのクラスティング氏ではないと思った。そして確かめるとどうして彼が書いていて、なぜこうした継ぎはぎのような内容になっているのか不思議に思った。なるほど後半のリヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」に関しては最後にマイニンゲンでのブラームスとの散歩中の若いシュトラウスに語った言葉が載っていて興味深かった。
シューベルトの舞曲の八小節のメロディーを研究しなさいに集約されていた。これで極東ツアーの二つのプログラムに直結させてある。そしてそれが終わった後で、改めてレーガーについての言及があった。先のところではモーツァルトへと戻って来ての清楚さのようなものがあったのに対して、最後は無署名の言及がこともあろうに、シェーンベルクの過程演奏会での話題としてもレーガーの作品が最もそこで演奏されていた楽曲であり、そして同時代の創作者にレーガ―の転換者としての役割が容易く見落とされていたとある。レーガーの死後にもシェーンベルクはもっと知っておくべきだったと書いて、先ずは多作である事、そして亡くなっているにも拘らずまだよく知られていないからだという言葉が挙げられている。
すると最初に書いてあった、「今すぐに時間シュニッツェルを持って来てくれ」という大食漢ぶりのの記述はこの作者の本業であるドラマテュルギーであったのか。
参照:
蕾が膨らむところ 2023-05-12 | 生活
独音楽正統的継続の英雄 2023-08-18 | 雑感