ソファーの机の上が物置になっている。演奏会のプログラムとオペラ公演のそれだ。一瞥すると2022年からとなっているので精々二シーズンなのだが、積み重なっている。サイドテーブルにはそれ以前の整理の場所の見つからないのが積んであるのでそれと一緒に積み直して場所を考えるしかないと思う。
兎も角新シーズンに入るまでに一旦横に除けておかないと混乱するばかりである。フランクフルトの劇場で安くて一番いい席に座っていた臨席のおばさんと話していた時に、初日でも冊子はもう買わないと語っていたが、よく分かる。同時に特にオペラの新制作のそれはネットが発達している今日でも重要な情報源となっている。
要するに音楽劇場の情報量は、演奏会とは比較に為らない程、その劇場効果に比例して膨大だ。更に超一流の公演となればその純音楽的な精緻さや情報量も比例して増えるので、如何に経験があっても、中々一度の観劇で全てを把握するのは困難であり、こうした資料がとても役立つのである。
ざっと写した写真で見ると、結局最終的に片付けておく場所がないので先ずは分類してサイドテーブルにもう一山分の場所を確保して積んでおくしかないかと思う。所謂有名オペラなどには出かけないので、一期一会の出しものも多く珍しい作曲家の場合は取り出して目を通す必要もある。決して想い出の栞などではない。
反対に演奏会のプログラムは出演者やまさしくそのプログラム内容が分かればいいだけで、片付けておいて記憶を呼び起こしたければ出してくるだけで、段ボールに入れておいてもいいぐらいだ。抑々本棚そのものが足らなくて困っているので、将来的には壁に棚を作らないと駄目だと思う。
デジタルコンサートホールでのハイレゾ再生は前回は2月初めに「変奏曲プログラム」の1月27日のものを再生した。それ以降は、復活祭でのヘンデルのアレゴリーのオラトリオは観ていないが、祝祭劇場での名演をヴィデオでダウンロードしているので急ぐ必要は無い。その後のペトレンコの指揮は「影の無い女」演奏会形式で、これもハイレゾで観る必要は無い。そして五月のヨーロッパコンサート関連のシューマンと最後がチャイコフスキーの「フランツェスカダミニ」のプログラム。そして昨年の復活祭「スペードの女王」となる。
今やらなければいけないお勉強には「変奏曲」のみ関連があって、復活祭の「スペードの女王」だけは先ずハイレゾでも聴いておきたい。
お勉強ではやはりヴェルナー・ヘンツェ1980年代の作曲で積んであるプログラムから「裏切られた海」に目を通して内容を回想しておきたい。またルツェルンで作曲家関係者として招待されながら辞去した交響曲八番や同じラトル指揮での七番初演などの復古的な作曲と今回の1960年代のまだ若い時代のそれらを作風の変化とともに把握しておかないといけないと思っている。やはりこの作曲家の作品は音楽劇場作品としてしか残らないとの認識は果たして正しいのか。
参照:
暁に燃えて、荒れ狂う 2005-08-30 | 歴史・時事
若い仲間たちへのエレジー 2015-08-09 | 雑感
兎も角新シーズンに入るまでに一旦横に除けておかないと混乱するばかりである。フランクフルトの劇場で安くて一番いい席に座っていた臨席のおばさんと話していた時に、初日でも冊子はもう買わないと語っていたが、よく分かる。同時に特にオペラの新制作のそれはネットが発達している今日でも重要な情報源となっている。
要するに音楽劇場の情報量は、演奏会とは比較に為らない程、その劇場効果に比例して膨大だ。更に超一流の公演となればその純音楽的な精緻さや情報量も比例して増えるので、如何に経験があっても、中々一度の観劇で全てを把握するのは困難であり、こうした資料がとても役立つのである。
ざっと写した写真で見ると、結局最終的に片付けておく場所がないので先ずは分類してサイドテーブルにもう一山分の場所を確保して積んでおくしかないかと思う。所謂有名オペラなどには出かけないので、一期一会の出しものも多く珍しい作曲家の場合は取り出して目を通す必要もある。決して想い出の栞などではない。
反対に演奏会のプログラムは出演者やまさしくそのプログラム内容が分かればいいだけで、片付けておいて記憶を呼び起こしたければ出してくるだけで、段ボールに入れておいてもいいぐらいだ。抑々本棚そのものが足らなくて困っているので、将来的には壁に棚を作らないと駄目だと思う。
デジタルコンサートホールでのハイレゾ再生は前回は2月初めに「変奏曲プログラム」の1月27日のものを再生した。それ以降は、復活祭でのヘンデルのアレゴリーのオラトリオは観ていないが、祝祭劇場での名演をヴィデオでダウンロードしているので急ぐ必要は無い。その後のペトレンコの指揮は「影の無い女」演奏会形式で、これもハイレゾで観る必要は無い。そして五月のヨーロッパコンサート関連のシューマンと最後がチャイコフスキーの「フランツェスカダミニ」のプログラム。そして昨年の復活祭「スペードの女王」となる。
今やらなければいけないお勉強には「変奏曲」のみ関連があって、復活祭の「スペードの女王」だけは先ずハイレゾでも聴いておきたい。
お勉強ではやはりヴェルナー・ヘンツェ1980年代の作曲で積んであるプログラムから「裏切られた海」に目を通して内容を回想しておきたい。またルツェルンで作曲家関係者として招待されながら辞去した交響曲八番や同じラトル指揮での七番初演などの復古的な作曲と今回の1960年代のまだ若い時代のそれらを作風の変化とともに把握しておかないといけないと思っている。やはりこの作曲家の作品は音楽劇場作品としてしか残らないとの認識は果たして正しいのか。
参照:
暁に燃えて、荒れ狂う 2005-08-30 | 歴史・時事
若い仲間たちへのエレジー 2015-08-09 | 雑感