(承前)終景である、八時間に及ぶ公演の最後の30分に相当する。ヴァ―クナーの四部作「指環」は四日間で以ってフィナーレがやって来るがこれは一日の出来事だ。そして全五回公演の中で取り分けその最後が見事な出来だったと思われる。理由は明白だ。
聖傷を負った聖フランシスコに開かれる。そして別れを歌い出す。創造主から森羅万象への別れから身近な風景へとより具体性を増して惜別の歌である。その切実さがプッチ―ニを超える時に馴染みの鳥たちへの別れとなる。ここで二部に逐一記された鳥の名前とその囀りのミミックがより身近で尚且つ記号論的に明確な意味合いを持ち始めた。それは可能な限りの演奏をすることで初めて齎せる啓示であって、今回のエンゲル指揮の演奏に比較すれば初演の小澤指揮の演奏やまたはその他の録音等では全くその目的が為されていないことに気が付く。
鳥の囀りを収集し続けた作曲家メシアンにとってはそれが全てであった。そしてそれを楽譜を通して音楽することにこの集大成的な大曲の真意がある。それを前の景で神の言葉として語らせている。「パルジファル」における聖杯の儀に真がないとした批判はここでその回答としている。
そして二度目の死と語る時、そして身体全身が震えだす。グレゴリアン聖歌に送られた二景のウサギの場に相当している。全ては音楽に導かれる形の演出となっていた。そして囀りに続いて天使の登場となる。勿論二部における天使の登場のそれをも回顧させる。
これしかないという創作を感じさせるのも決定的な再演の価値であり、そこから導かれた演出による制作ならではの公演なのである。個々の歌手の技量は重要ではあるが、最早昔のオペラのような名唱を求める必要もない。
籟病者が呼ばれて傍らに立つときには歌唱のマニエーレンも何も必要がない、そこには素朴な感動すら要らない。直ぐにパラダイスへと路が開かれる。
創造主の真実が聖フランシスコによって述べられ、弟子によって黄金に輝く蝶の様に逝ってしまったと歌われ、愈々フィナーレの大地から地球へとそして宇宙へと歌われる時に紗幕に蛹の孵化の情景が大きく映し出される。そしてトンボとして羽搏く。
これ以上繰り返して言及することはない。最終日のフィナーレに対するスタンディングオヴェーションとなった。三回目と比較して決してその喝采は熱狂的ではなかった。それどころか、隣のおばさんと話していたのだが、一部にいた人の幾らかは戻っては来ていなかった。事情は分からない。それでも最後迄いた人には、この千秋楽に特別にその創作が確信を以って語りかけたに違いない。
それこそが公演の質である。成程歌手陣においてもそれどころか合唱においても他日の方が上手く運んだ所もあるだろう。しかしその管弦楽の力によって明らかな構図が見えてきたに他ならない。音楽劇場においてこそ指揮者が如何に重要かということである。あとはドキュメンタリー映画が放映されるのを待つしかない。(終わり)
SAINT FRANÇOIS D’ASSISE III, So., 9. Juli 2023 (21:56), Staatsoper Stuttgart
SAINT FRANÇOIS D’ASSISE III, So., 9. Juli 2023 (21:57), Staatsoper Stuttgart - Michael Mayes
SAINT FRANÇOIS D’ASSISE III, So., 9. Juli 2023 (22:00), Staatsoper Stuttgart
SAINT FRANÇOIS D’ASSISE III, So., 9. Juli 2023 (22:06), Staatsoper Stuttgart
参照:
聖者のエコロジーシステム 2023-07-08 | アウトドーア・環境
ブロブの720種類の性差 2023-06-25 | 歴史・時事
聖傷を負った聖フランシスコに開かれる。そして別れを歌い出す。創造主から森羅万象への別れから身近な風景へとより具体性を増して惜別の歌である。その切実さがプッチ―ニを超える時に馴染みの鳥たちへの別れとなる。ここで二部に逐一記された鳥の名前とその囀りのミミックがより身近で尚且つ記号論的に明確な意味合いを持ち始めた。それは可能な限りの演奏をすることで初めて齎せる啓示であって、今回のエンゲル指揮の演奏に比較すれば初演の小澤指揮の演奏やまたはその他の録音等では全くその目的が為されていないことに気が付く。
鳥の囀りを収集し続けた作曲家メシアンにとってはそれが全てであった。そしてそれを楽譜を通して音楽することにこの集大成的な大曲の真意がある。それを前の景で神の言葉として語らせている。「パルジファル」における聖杯の儀に真がないとした批判はここでその回答としている。
そして二度目の死と語る時、そして身体全身が震えだす。グレゴリアン聖歌に送られた二景のウサギの場に相当している。全ては音楽に導かれる形の演出となっていた。そして囀りに続いて天使の登場となる。勿論二部における天使の登場のそれをも回顧させる。
これしかないという創作を感じさせるのも決定的な再演の価値であり、そこから導かれた演出による制作ならではの公演なのである。個々の歌手の技量は重要ではあるが、最早昔のオペラのような名唱を求める必要もない。
籟病者が呼ばれて傍らに立つときには歌唱のマニエーレンも何も必要がない、そこには素朴な感動すら要らない。直ぐにパラダイスへと路が開かれる。
創造主の真実が聖フランシスコによって述べられ、弟子によって黄金に輝く蝶の様に逝ってしまったと歌われ、愈々フィナーレの大地から地球へとそして宇宙へと歌われる時に紗幕に蛹の孵化の情景が大きく映し出される。そしてトンボとして羽搏く。
これ以上繰り返して言及することはない。最終日のフィナーレに対するスタンディングオヴェーションとなった。三回目と比較して決してその喝采は熱狂的ではなかった。それどころか、隣のおばさんと話していたのだが、一部にいた人の幾らかは戻っては来ていなかった。事情は分からない。それでも最後迄いた人には、この千秋楽に特別にその創作が確信を以って語りかけたに違いない。
それこそが公演の質である。成程歌手陣においてもそれどころか合唱においても他日の方が上手く運んだ所もあるだろう。しかしその管弦楽の力によって明らかな構図が見えてきたに他ならない。音楽劇場においてこそ指揮者が如何に重要かということである。あとはドキュメンタリー映画が放映されるのを待つしかない。(終わり)
SAINT FRANÇOIS D’ASSISE III, So., 9. Juli 2023 (21:56), Staatsoper Stuttgart
SAINT FRANÇOIS D’ASSISE III, So., 9. Juli 2023 (21:57), Staatsoper Stuttgart - Michael Mayes
SAINT FRANÇOIS D’ASSISE III, So., 9. Juli 2023 (22:00), Staatsoper Stuttgart
SAINT FRANÇOIS D’ASSISE III, So., 9. Juli 2023 (22:06), Staatsoper Stuttgart
参照:
聖者のエコロジーシステム 2023-07-08 | アウトドーア・環境
ブロブの720種類の性差 2023-06-25 | 歴史・時事