Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

仰ぐよりも見下ろす視点

2006-03-14 | アウトドーア・環境

3D地図で遊ぶ。使い勝手が幾分判って来た。三次元の対象を多方面から眺めるのが、臨場感であったりする。実際には、従来の二次元の印刷された地図に於いても、丁寧に明暗をつけて製作されていれば、特別な知識が無くても、ある程度のイメージを持つ事が出来た。一般的にある観察地点を設定して、等高線から図を描く等の方法がとられて、立体的に想像を巡らした。その点からすると、サイバー立体地図は、様々な角度からの視点を与えてくれるが、これは日常そこに居て生活している固定した観測点からの印象とは大きく異なる。

技術的に衛星を使った画像の再生組み合わせなので、地上からの視点が消えてしまっている。高山の高みから遥か下方の谷を見下ろす画像はかなり本物に近いが、足元の地形は殆んど描き切れない。細い尾根は、幅広い地面となって、迫真感は得られない。しかし、これは情報量を増せば再現可能で、有料サーヴィスを使えば殆んど問題ない事であろう。

これとは反対に高みを仰ぐ表現は、この方法では殆んど不可能で、ツェルマットの町の橋から見ると有名なピラミッド・マッターホルンの山容が殆んど消えて仕舞っている。これは、この谷の町にとっては大打撃である。それも等高線の情報量を増やす事で大分解決するだろうが、仰角の映像表現にはそのシステムから限度があるだろう。

先ずは、マッターホルンの頂上の十字架からイタリアのツェルビニアの町を眺めた、写真と比較出来るアングルを探して見た。カメラの視角の問題があるので、頂上から大分先の空中に視点を持って行かなければいけなかった。次に頂上から100メートルほど上空から俯瞰する視点(リンク:グーグルアース・KMZファイル)を築いた。これは、パノラマを得るのに最も具合の良い視点となった。ヘリコプターが登頂シーンを写すアングルに近い。元々の地図のテレアトラスに三角点がマーキングされて居ないので、そこから始める必要があった。実際の視点を探すのでは無くて、迫真感を得る為にそれを表現する視点を探すので、なかなか難しい作業である。

このようなシステムが無料で様々に使えるのは喜ばしいが、自己を見下ろす視点が主で、高みを仰ぐ視点とはならないのが面白い。より客観的と言う事だろうか?









参照:
高みから深淵を覗き込む [ 文学・思想 ] / 2006-03-13
客観的洗練は認識から [ 雑感 ] / 2006-03-05
駒落としから3D映像へ [ 雑感 ] / 2005-10-19
ゴットフリード・W・ライプニッツ [ 数学・自然科学 ] / 2004-11-18
三角測量的アシストとゴール [歴史・時事] / 2005-07-01
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高みから深淵を覗き込む

2006-03-13 | 文学・思想
様々な巡り合わせから、旨く行けば近々ダヴォースを訪ねたいと考えている。そうトーマス・マン「魔の山」の山である、毎年一月には国際経済フォーラムが開かれる山間の保養地である。グーグル・アース3Dを、今回初めて試す。特に面白いのは、高度差のある山岳などの地形である。ダヴォースのホテルに照準を合わせた。システムがインストールしてあれば、このリンク先からその地点に飛べる。何時頃の写真や映像かは分からないが、冬景色でないのが惜しまれる。

1929年の3月17日から4月6日までグランドホテル・ベルヴェデーアで開かれた高等専門学校セミナーは、二十世紀の哲学の分岐点と言われているそうだ。ハンブルクから「シンボル形態の哲学」で認識論から哲学的人類学へと拡がる新カント派エルンスト・カッシラー教授が、フライブルクからやって来た「存在と時間」で現象学から存在論的現象学へと進んだマルティン・ハイデッガー教授が会い見えた。

そこのテラスで一息入れる白黒写真は、門外漢の人間にとっても大変興味を引く。プラチナブロンドのカッシラーに語り続ける小身のハイデッガーを真ん中に、ディジョン大学のテラハー、パリのアンリ・リヒテンベルガー、ベルリンのフォン・ゴットル・オトリーリェンフェルド、フランクフルトのゴットリード・ザロモンが取り囲む。

この新聞記事によると、新発見であるハイデッガーがマールブルクに居る夫人に宛てた1923年12月19日付けの手紙が、この対面に至る経過を解明していると言う。その文面を読むとハンブルクでの講演でカッシラーらが臨席していた事を述べ、公私共に満足している様子が伝わる。フッサールからの手紙の受け取りを述べた後、これからカスパー・フリードリッヒやフィリップ・オットー・ルンゲの絵を見てから北ドイツ特有の ハ イ デ の風景見学を楽しみにしていると語っている。実際に宿泊した弟子のシュテルン(後年のギュンター・アンデレス)の家庭はカッシラーの友人であったと言う。

つまりこの新情報から、またカッシラーがハイデッガーの新著を隅々まで読んでいた事などを合わせて、トーマス・マイヤーはこの記事で次のように結論付けている。

「ハイデッガーが敵とするのは誰か?」とカッシラーがセミナーの開会の宣言したのには二重の意味があったとする。実際ハイデッガーは、そこで「ヘーゲルの理想主義で再校正されたカントとの対話」を講演で行い、そこで初めて新カント派のコーエンやカッシラーに狙いを定めた議論を行った。そして、未だ書かれざる存在の歴史に埋められた材料の蘇生への考慮や方法論とそして伝統解釈への問いかけを、「存在と時間」から更に推し進めたと言う。「解釈こそが、未知のものへと突き当たり、深淵を彷徨したカント哲学の終焉を導くべきで、その深淵を覗き込もうと思えば、その淵を共に歩まねばならず、そして高みへと至れば良い。これこそが解釈と言うもである。見かけ上の新機軸は、それは古いものである。」。この発言を上の開会宣言と結びつけて、 破 壊 的 急 進 性 の 歴 史 として取り入れる事は容易いとマイヤー氏は書く。

元々の相違点へと遡ると、ハイデッガーの言う「カントの批判は、西洋文明に於ける最初の形而上の基礎を築いたものであって、こうして初めて生きたアリストテレスやプラトンと会話を出来るようになった。」として、「形而上の問題は、有限の存在の問題でもある。」と説くと、哲学の歴史の永遠性を説くカッシラーと真っ向から相反すると言う。後年「世界の創世とその終焉」に取り組むエマニュエル・レヴィナスが、カッシラーの発想の貧困を嘆き、歴史学者のハンス・ブルーメンベルクはそれとは正反対に、二人の対決から「マルティン・ルターとウルリッヒ・ツヴィングリの聖体の議論」を思い出す。

さてこうして、この二人の学者が試みたのは、「不同意の同意」で協力関係と分断を合意する事であったようだ。満足な結果が得られた事は、ハイデッガーの著書「カントと形而上学の問題」にカッシラーへ宛てた献辞として、「我々のダボースでの日々の思い出に」と記されていてそれが証明されている。

また1932年にフライブルクで行ったカッシラーの講演「ジャン・ジャック・ルソーの問題」が二人の哲学者の最後の出会いであって、そこにはフッセール、ヨナス・コーン、ヴォルフガング・シャーデヴァルトとゲルハルト・リッターが臨席した。

書物の献呈では、ハイデッガーの師匠でフライブルクの指導・前任教授フッセールの名前が1941年の改訂版「存在と時間」から消されていると言うのも有名な逸話のようだ。ナチの政策によって、多くのユダヤ系学者はドイツを離れた。特にカッシラーにとってはユダヤの一神教を乗り越える事が重要であったと言うのだが、同じようにフッセールの取り巻き達、オスカー・ベッカー、ローマン・インガルテン、フリッツ・カウフマン、ルートヴィッヒ・ランドグレーべ、カール・レヴィットらの哲学者、オットー・グリュンドラー、ルドルフ・マイヤー、ニコラウス・ティール、マルティン・テューストの神学者、ルネッサンス研究家ルートヴィッヒ・フェルディナンド・クラウスや音楽学のハインリッヒ・ベッセーラー、経済学のハンス・プレーズラー、心理学のワルター・マルセイユなどの殆んどは、その出所が如何であろうとカトリズム若しくはそれへと転向しているようだ。しかしフッセール自身は、自らの結婚に際して、1887年にヴィーンでプロテスタントへと改宗している。



参照:
BLOG散歩の例語集 [ BLOG研究 ] / 2005-12-21
考えろ、それから書け [ 音 ] / 2005-12-19
シラーの歓喜に寄せて [ 文学・思想 ] / 2005-12-18
平均化とエリートの逆襲 [ 文学・思想 ] / 2005-11-06
半世紀の時の進み方 [ 文化一般 ] / 2006-02-19
タウヌスの芸術家植民地 [ 文化一般 ] / 2006-02-01
木を見て森を見ず  [ アウトドーア・環境 ] / 2006-01-28
マイン河畔の知識人の20世紀 [ 文学・思想 ] / 2005-02-04
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皇帝怒り心頭無道曲

2006-03-12 | 雑感
今週の古い新聞に目を通す。皇帝ベッケンバウワー氏は、ナショナルチームの監督クリンツマン氏が先日デュッセルドルフで開かれたワークショップに出席しなかった事で、怒り心頭に来て、不満を爆発させたらしい。カリフォルニアに居を構える監督がドイツに寄りつかない事は良く知られているが、流石に同僚のカルロス・アルベルト・ペレリアがブラジルから、スヴェン・ゲーレン・エリクソンが英国から遣って来ているのにホストが不在では都合悪かった。皇帝の怒りに対して、代わりを務めたオリヴァー・ビーアホッフなどは上司を構いながらも謝罪したと言う。協会役員などは、皇帝の怒りに対して、既に分かっていた事で半年前には「皇帝に保守的と笑われたぐらいで、今更では遅くて都合が悪い」と否めている。

メールやTV会議では、チームを纏める事が出来ないのはネット全盛の時代でも変わらないのだろうか?カリフォルニアで作戦を練っていると言うが、どうなる事やら。自主性を重んじた人心掌握が出来るに越した事は無いが、皇帝が「全て躾けの問題」と発言したのも興味を引く。子供を躾けないといけない時に養育者がいなくてはと言うことらしい。

躾け論争は、ここ数年の隠れたホットな話題である。関連記事を以下に挙げておくが、これほど倫理にも関わりながら、全く個人的な問題なので、社会全体で議論し難い話題も無い。教育や教養、家庭、宗教なども当然の事ながら関わってくる。しかし、はっきりと言えるのは、このような微妙な問題を「規制や契約で解決して行こうと言うのは愚の骨頂である」と言う事だ。本質的な解決を遅らせるばかりでは無く、微妙な問題への配慮や感性を蝕んで仕舞うからである。

命日の近い友人の言葉を思い出す。ある大手証券会社が倒産した時に世界中に流された映像を観て、「大企業の重役の採る態度とは信じられん。戦略に誤りがあってもそれを以って最善を尽くした事を改めて主張しなければならない。誤りを認める事とその償いと、引責の謝罪は全く別の問題だ。」と、なにかドイツの戦後処理のような事を言った。「そのような情け無い重役と会社だから潰れたんだ。」と答えた記憶がある。自らが米国でエンジニアリングを学んだ後、大会社を転々とした雇われ社長業であり、日本の取引会社と通産省にも赴いた経験のある彼の言葉は忘れがたい。

今回の騒動でも、戦前から監督の責任問題が噂される。監督は、結果が良くても悪くてもエゴイズムの極を行く自己流の方法を説明若しくは弁解して、報酬の振り込まれるカリフォルニアの自宅に帰るだけである。そのような態度を社会が認めても、共感出来るかどうかは別問題である。それでは、社会の多くが共感出来ない物事を契約で縛りつけるというのだろうか?そうする事で、益々掟破りの子供が増えると言う寓話の世界である。まさに、個人の尊厳と自尊心が問われている。


追伸:皇帝は本日も吼えた様だ。誰かが言わなければいけない事は確かだが。豚への鳥インフルエンザの感染が確認されたとか。こうなったら延期を願うしかないのであろうか。



参照:
尻を捲くり立ち留まる [ 歴史・時事 ] / 2005-10-29
トンカツの色の明暗 [ 生活・暦 ] / 2005-07-11
疑似体験のセーラー服 [ 歴史・時事 ] / 2005-06-12
黒タイツの女子行員 [ 女 ] / 2005-04-10
マイン河畔の知識人の20世紀 [ 文学・思想 ] / 2005-02-04
ティーチャー改め、[ 女 ] / 2005-01-28
鋼の如く頑丈で、革よりも [ 生活・暦 ] / 2005-01-25
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

印象の批判と表現の欠如

2006-03-11 | 文学・思想
「水の精が遣って来て、自分の存在を感ずる事が出来たのだろうか」とレンツは言って、更に続ける。「シンプルでピュアな自然と言うのは、様々な要素が組み合わさった も の なのだ。だから人が精神的により綿密に生きるほど、その根源的な知覚はそれだけ貧弱なものとなる。人を特別に高度な も の とは思わない。すれば自主独立性には欠けるが、その時こそ素晴らしい恍惚感へと至るのである。そうして、すべての岩石や金属や水や植物のあらゆる形態に感応して、自然のあらゆる生物は、花のように満ち欠けする月と共に受け入れられる。」。

ゲオルク・ビュヒナーの遺作「レンツ」からの一節の引用である。同じ遺作の「ヴォイツェック」の舞台であるダルムシュタットを昨日訪れた。気温が上がり、方々に残る雪は少しずつ降る雨に融かされていた。地元で起こった殺人事件「シュナイダー事件」の現場や郊外の様子を眺めると、地元出身の作者がここの土地の気風に大きく感応しているのが想像出来る。町を取り巻く森の独特の地形や数多い池などは、その気風と相俟って決して無視出来ない心理要素である事が判る。

殺人者シュナイダーが血を拭い、殺人者ヴォイツェックがその凶器のナイフを追うように入水して行った。池畔の木の枝は抵抗するかのように激しく絡み付き、水面上に立つ葦は堅く密集している。池の水は、血の様に粘り付くように体を包み込む。池の水面に拡がる円形の渦は静まり、水面上は静まり返り、ただ呟きが聞こえる。

そうして改めて、アルバン・ベルクのオペラ「ヴォツェック」初演当時の作曲家自身の解説を読み返すと面白い。特に終幕の一幕第二場で使った三つのアコードの六つの音のインヴェンションから終幕のニ短調への推移についても、「印象主義」の言葉を用いて説明している。フランスとドイツに於けるそこへ至る道程を示唆しながら、自己の作曲の厳格な方法を自負して、印象主義(Impressionismus)への「一般的な印象」を強く批判している。まさに、この用語自体が表現主義(Expressionismus)の反対語であって、文学・舞台・音楽・造形・建築など其々の分野で充分に定義されているが、どうもそれらの特に表現主義の捉え方が、現在へも伏流のように連なる大きな問題である事を図らずもこの作曲家は八十年ほど前に示している。

それは具体的に言えばソニーミュージックが指揮者のエサ・ぺッカサロネンらと計画した作曲家リゲッティー全集が作曲家の怒りを買ってシリーズ半ば頓挫した事など、所謂ポストモダーン風潮の捕らえ方にも大きな影を落としているのではないだろうか。ザルツブルク音楽祭での氏のオペラ上演後のレセプションでのこの作曲家の立腹は、近くで見ていて大変なものであった。要するに、素直な感受性を阻害するものこそが近代であって、ここに立ちはだかっている。決して、それは商業主義の罪状だけではないので、解決が容易ではない事が怒りに油を注ぐのだろう。



参照:
趣味や自尊心を穿つ [ 生活・暦 ] / 2006-02-26
固定観念を越えた感応 [ 文化一般 ] / 2006-02-10
本当に一番大切なもの? [ 文学・思想 ] / 2006-02-04
スクリーンの中の史実 [ 文化一般 ] / 2006-01-10
他所の食堂に求めるもの [ 料理 ] / 2005-08-17
バイロイトの打ち水の涼しさ [ 生活・暦 ] / 2005-07-24
トンカツの色の明暗 [ 生活・暦 ] / 2005-07-11
小市民の鈍い感受性 [文化一般] / 2005-07-10
「聖なる朝の夢」の採点簿 [ 文化一般 ] / 2005-06-26
微睡の楽園の響き [ 文学・思想 ] / 2005-02-22
ワイン商の倅&ワイン酒場で [ 文学・思想 ] / 2005-02-04
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

贋物に画かれた本物

2006-03-10 | 
近所の小母ちゃんの絵を撮影した。この町の歴史的名画の贋物を行きつけの旅籠で撮影した。絵画に関しては、レンブラントやヤン・ブルーゲルなどの話題が盛り沢山なのであるが、写真などの題材が無いとどうしても説明し難いだけでなく、実物を体験しないと文章では伝わり難い事も多い。音楽も体験しなければいけないのだが、音楽は既に作曲、楽譜、演奏などと、絵画の場合の映像などよりも多彩な題材があって、文章としては意外に扱いやすい。映画や小説の体験も引用なども出来るので比較的文章で説明し易いかも知れない。

人物像は、写真やプロフィールなどとそれを描く方法は多いが、対人関係を通して文章で描くのも一つの方法である。さて、この贋物に描写された小母さんは、実物を模して後方の戸口から中の様子を心配そうに覗き込んでいる。遠近感を考慮しても、もう少し大きく描かれている方が実像に近い。右足を既に部屋の中に踏み込んでいるのが、敢えて言うと、小母ちゃんの「今、鴨あるけど、もし良かったら、どう、美味いよ。ガハハハ」と迫りながら親切にお勧めしてくれる性格を写し込んでいるだろうか。

この贋物に描かれているのは、全て実在の人物であり、特に審判を努める店の親仁が特に上手に画かれている。間違い探しではないが、細部まで比較対照すると、本物の二倍近い贋物を画いた画家の考えが伝わる。既に十年以上前の作品だが、本物の僧侶と農民の関係が贋物ではそれなりに変化していて面白い。当時の僧侶が権威を持っていて、農民がその酔いつぶれた権威を揶揄しているのが分かる。それが現代の虚勢は、自らの主義を頑なに主張して、飲んで気炎を上げるその鷹揚な態度が周りの失笑を駆っている様子である。

何れにせよ、先日は「血の胡椒煮込み」を食べようと思って出かけたが、今日のお勧めにチゴイナー・ゲシュニッツェルが載っていて、それとした。しかしそれも以前にはお品書きに載っていた、チゴイナー・シュニツェルに変更して貰った。ソースは同じであるが、二字違いであるが、前者は肉を指の太さに刻んで炒めたもの、後者は肉を衣をつけて揚げたものと其々違う。尋ねると、この小母ちゃんの得意なソースのシュニツェルの方もお品書きに再登場するらしい。更に、「血の」方も冷凍では無く新鮮な血を使っていると言うので、次回が楽しみである。



参照:充血腸詰めがつるっと [ 料理 ] / 2006-02-16
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダッハラヴィーネ

2006-03-09 | 生活
Dachlawine: 屋根(ダッハ)から落ちる雪崩(ラヴィーネ)の事である。この季節になると、どか雪も降りやすいが、温度が高いので雪が水分を多く含んでいる。金曜日の大雪は殆んど火曜日には屋根から地面へと雪崩落ちた。つまり、特に二階建て以上の建物になると、歩行者の生命を危険に曝し、通行している自動車などを直撃する事も多い。特にホテルの駐車場や公共の建物などは、これによる被害が出る事が多く、裁判沙汰になる。基本的には、屋根の上の雪を堰止処置するか地面に安全に下ろす処置を執らなければならないが、量が少なく雪おろしの必要が無い地方もある。その時は、雪崩・氷柱注意の標識を掲示して、歩行者や交通に注意と同時に立ち入り禁止を呼びかける必要がある。こうする事によって、判例から万が一の場合も不可抗力と認められるようだ。しかし、こうして被害が百パーセント避けられるわけでも無い。立ち木の上から落ちてくるものなどもありえるので、知らぬ場所に駐車したりする時は落下物が無いかを確認しておかなければいけない。

金曜日には振った直後の車庫入れも苦労したが、火曜日は車庫から車を出すのに落下した雪崩でできた雪の山を越えなければいけなかった。これほど集中した豪雪は、この地方では珍しい。本日はフランスから遣って来た低気圧で温かい雪混じりの雨となっているが、明朝に掛けて大雪となる地方も多いだろう。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メールを待ちながら

2006-03-08 | 文学・思想
サミュエル・ベケットの生誕100年である。4月13日の聖金曜日に生を享けた、アイルランドの作家である。フランスからアイルランドへと渡ったユグノー派の子孫である。大ヒット作「ゴトーを待ちながら」は余りにも有名であり、1969年にノーベル文学賞を獲得している。出世作に限らず数多くの特に戯曲は、20世紀後半の最も重要な作品と言われている。

「悪魔の詩」出版で死刑判決を受けたサルマン・ラシュディーが、「私のサミュエル・ベケット」として投稿している。氏に言わせると、戯曲よりも小説を読んでいたので、「待っていたゴトーとは、そのもの死に違いない」と確信したとしている。英文学を一度も勉強したことのなかったと言うインド生まれのムスリム教徒は、ケンブリッジのキングス・パレードの奥にある本屋での三部作“Molloy”, “Malone Dies”, “The Unnamable”との出会いを語っている。恐らく氏の新刊書“Shalimar The Clown”に起因しているのだろう。個人の体験から、何時しか共感を越えて衝動を誘う、死の前に存在する生が主題である。

嘗て、返事を首を長くして待っていた、ベケット氏のロンドンの相続関係者に著作権関連のことでメールを出したからだ。何時までも待っていた。返事が来るまでの長い時間がとっくに過ぎていた。直接接触するように、オーストラリアの著作権団体から示唆を受けていた。そこの担当の交渉パートナーの女性は、親切に当方の意向を斟酌して、最も良い処置を勧めてくれたのであった。実は、そこの団体に所属する第二の著作権保有の女性芸術家が、当方から彼女に依頼した業務をこの担当の女性へと引き渡していたのであった。厄介払いをして、担当者に押し付けて仕舞ったと言う感じがしたが、詳しい事情は知らない。

女性芸術家は、自分の作品にベケットの著作の権利が利用されている事から、ドイツからの問い合わせを受けた。ベケットの作品にインスプレーションを受けた自分の新たな作品に著作権が発生していたので、問い合わせを受けた女性芸術家は、自分の作品の権利を保護する団体の担当の女性と接触していた。ベケットの作品を、新たな自分の作品の著作権の権利を行使しようとする女性芸術家は既に知っていた。

創造にインスプレーションを与えたベケットの作品は、その保護されている著作権を利用した女性芸術家が偶然に出会う前から、既に世界的に知られていた。その世界的に知られたベケットの作品は、その作品を使って新たな著作権が保護された作品を創作した女性芸術家が生まれる年に出版されている。ベケットの作品にインスプレーションを受けた女性芸術家の作品が完成した時には、ベケットは既に死去していた。ベケットが死去した時には、彼の作品が女性芸術家にインスプレーションを与えた作品の著作権は保護されていた。著作権は、ベケットの死後70年間は、その権利を行使出来るように相続関係者がその権利を有している。

ベケットの著作権の相続関係者は、自らが所有する権利のあるベケットの作品が、オーストラリアの女性芸術家にインスプレーションを与えたことを知る。それは、そのベケットの作品が影響を与えた女性芸術家の作品のオーストラリアの著作権保護団体が取り次いだドイツからのメールを受け取ったからである。それはそれは長い年月が経過していた、メールをドイツから受け取るまでに。

サミュエル・ベケットの真価は、その著作の多くで、ネイティヴな英語使いが、流暢なフランス語を使って執筆して、それを英語に翻訳させて出版したのが英文学に新機軸を齎した事であると言う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慣れた無意識の運動

2006-03-07 | 雑感
筋肉痛である。三週間前の首筋のつかえがとれていないうちに、改めて体を動かしたので、筋肉痛が部分から全体へと飛び散った。食欲は旺盛となったが、全身へと疲れが拡がった。しかし前回の室内でのクライミングの結果を反省して、基礎に還って精神を集中する事が出来て技術的な成果は幾分挙がって来た。向上心は高まる。

水泳や自転車など運動などは、一度覚えると体が忘れないと一般的に言われる。歩行や話す、もしかすると呼吸などもこのようなものかもしれない。つまり無意識の中で覚え込んで仕舞っている運動である。呼吸は恐らく太極やヨガなどに関わるのであろうし、話すは外国語の学習などの時にそれまでの無意識に遭遇する事がある。それらや歩行は、俳優やマヌカンなどの基礎訓練でもある。ある種の運動も無意識の中で行っている事が多く、その癖に気が付く事がそもそも難しく、ましてや無駄な動きを取り去って洗練させるのは甚だ難しい。

しかし呼吸のように基本的な生命活動を意識をしていては、生活する事は出来ないので、健康であれば無意識に行えている事は幸福である。反対に普段の生活で必要の無い慣れていない運動を極めようとすると、どうしても無駄の無い合理的な動きを追求して行く事になる。その場合も出来うる限り平素の運動から累進した運動である方が覚え易いが、それと同時にその慣れた運動に捕われる事にもなる。

幼少の頃から訓練した運動も形が固まっていてルーティン化している反面、なかなかそれから離れて違う風に執り行うのは難しい。ルーティン化した動きとそれに対する自負が、他のより無駄の無い合理性に感付きながらも、基礎から自己の動きを見直して行く事を阻害する。こうした悪循環に陥るのが人の常である。

アルピニズムの再考察を試しているが、新刊クリストフ・ハインツ著「鉛直方向にドロップアウト」の書評などを読むと、過去四半世紀ほどの間の動きが想像出来る。アルプス地域でのフリークライミングの導入は過去の話しではあるのだが、その実際の行為以上にその文化的背景に興味を引かれる。この書籍へのラインホルト・メスナーの序文「現代のアルピニズムを定義する。」が言うように、ドロミテを中心として繰り広げられたハインツ氏の試みは、どうも新大陸や東欧などでの思潮とも異なる様子である。岩の摂理が違う。地質が違う。気候が違う。それは文化そのものなのである。

それにしても、仲間の体重僅か81KG の男が落ちてザイルにぶら下がり、確保していたこちらの体が浮いて飛ばされたのには些か驚いた。過去には、自身最高重量90KG を記録していたのだが、脂肪と共に筋力まで落ちて軽量化が進んで仕舞ったのかもしれない。毎晩懸垂なども少しづつしなければいけないだろう。



参照:
煙と何かは高い所へ昇る [ 雑感 ] / 2006-02-13
花崗斑岩の摂理に向き合う[ 文学・思想 ] / 2005-06-21
乾いた汗の週末 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-06-20
ハーブティーのミックス [ 料理 ] / 2004-12-04
映画監督アーノルド・ファンク [ 文化一般 ] / 2004-11-23
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔の名前、今の名前

2006-03-06 | 雑感
イナバウワーブームと知って、元オリンピック選手INA BAUERさんのことを調べてみた。スケートの技術的な事は皆目分からないが、スプレッド・イーグルスに似ているとあり、ハの字型に開いたブレードとそのバランスの採り方は大変興味深い。古典的な技であるのだろうが、ブレードから足、足から腰へと連なる重心のありかたは、運動として面白い。

この技術に名前が付いているのが、ドイツ代表選手イナ・バウワーさんで、ご本人は国際試合でそれほど芳しい成績を残していない様であるが、この技術で名を馳せると言う事は器用なスケート選手であったのだろう。イナ・バウワー杯と言うのが今でもドイツで行われているように、16歳でドイツ女王に輝いて、1958年のニュースフィルムにも登場している。それだけでなく、当時のトップアルペンスキーヤーのトニー・ザイラーと競演した映画があり、ネットで調べると出演作は二本ほど存在する。特に彼女が主演となった方は、ショービッツ絡みの物語となっているようである。

さて、往年のスター兼歌手トニー・ザイラー氏は、現在キッツビューエルでスキー学校を経営しており町でウロウロしている姿を見ていると、そのオーラは感じられても少し拍子抜けであるが、バウワーさんは現在如何なのだろう?ましてザイラー氏の方は、当時世界的な大スターであって、同僚のスキーヤー、カール・シュランツと共に今でもオーストリアの英雄である。オーストリアの記念の年には、ナショナルフラッグのオーストリア・エアーラインズの飛行機にレオプルド皇帝やモーツァルトらの偉人と並んでF1のニッキー・ラウダなどと彼らの大きな顔写真が飛行機の胴体に描かれた事は記憶に新しい。

地元の新聞によるとこの1月31日に65歳の誕生日を祝ったイナ・バウワーさんは、1978年にご主人のイストファン・スツェーネスとクレフェルトに非営利協会を作られて上の競技会を運営、町の名士として活躍されている。まさか、遥か彼方の日本で、ご自分の名前が連呼されているとは思ってもいないであろう。



参照:
アルペンスキー小史 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-03-29
向上に相応しい動機付け [ 雑感 ] / 2006-02-14
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

客観的洗練は認識から

2006-03-05 | 雑感
世界で最も高名な研究機関の一つマックスプランク研究所の歴史学の部門が先ほど閉鎖され異種社会学?に取って代わられた。その実態や意味付けについて、読んだり考えたりして纏めて書こうかと思ったが、門外漢には予想したより難しそうだ。この研究所は、「広範囲に有効な宗教的政治力を、時代の文化的葛藤を背景として研究して行く。」と言う半世紀前の創立理由をもってゲッティンゲンに居を構えた。当然の事ながら多くの歴史的事象が修正されて新たに解釈がなされ文化歴史学の様相を呈して行く。そもそも些か大時代的な中世学を源としており、アデナウワー政権時代に「ドイツの悲劇」の原因を十九世紀を越えて十四世紀へとカロリング朝へと求めた研究は政治的に喜ばれたという。カール大帝の研究や皇帝ヴィルヘルムス一世の手紙の整理などの具体的プロジェクトと並行して、その後には社会学の教授を迎えたりで新旧両時代をカトリックの影響の下に研究して行く形となった様である。

その当初のプロジェクトのテーマを見ても、その学問的傾向は理解出来る。またマクロからミクロへと研究のあり方が変遷していく中で、充分な跡継ぎが得られなかった事などもあるようだ。本来の人文科学とは、前者のようなものでありそれは現在も倫理学者などの対談を聞いているとこの点に気が付く。反対に後者のような研究態度は、並行した情報の羅列対称と比較検討に終始して、更には地域的な制限をもったローカルヒストリーとなっている。そのような中から以前扱ったコールハンマー教授の様なポストモダンの強くコントラストを付けたグロテスクな歴史学が輩出した事も理解出来る。

今後の歴史の捉え方を知る上で、こうした組織の中断がなんらかの意味を持つ事だけは微かに判る。初代所長ヘルマン・ハインペの言葉「新発見から身を守るのは文献への知識である。」を読むと、視点の動く故意に対象化された見解や些細な針の穴を突くような似非客観主義よりも神話を批判的に読む方が、視点がずれない定点観測が出来ると言う意味で、遥かに学術的ではないかとも感じたが如何であろうか?

苦手な話題だからの言い訳だけで無く、明日急遽再び人工壁に挑む事になったので、人文科学から自然科学の方へと話題を変える。重力と運動のクライミングの基礎技術を確認。

TK1:足を上げる時は、重心を臍から下に置くようにして加重している足の上の骨盤を動かす自由度を意識する。
TK2:足場から足を掛けるまでは目を離さずに、確認出来てから目を離せ。さもなくば、不安から余計に足場を振り返り腕力を必要とする。
TK3:ホールクロイツポジション。脊髄を中心とした重心軸が殆んど絶えず支点の中に収まっている事。
TK4:握力に頼るな。傾斜が強ければ強いほど、簡単に手を手掛かりに置くだけで良い。
TK5:手掛かりには、出来る限り指を伸ばして下向きに過重できる様に手を置け。指で握るのは、必要な時だけである。こうして握力を温存しろ。
TK6:最新のクライミングシューズでは踵を挙げることでより多くの摩擦と過重を得る場合がある。
TK7:出来る限り、バランスを崩さない足場を選べ。
TK8:巻き込み技術。正面を向いて対する代わりに、右手、左足と対角線上に使って登ると、巻き込み型の姿勢が出来都合の良い事がある。
TK9:手の押さえなどを使って、対角線上に動く。左手・右手プッシュ、左足と言う具合だ。

以上、初級クライミングの基礎運動。重力は、万人に同じように働き掛ける。要は、これらのテクニックを如何に主観的に意識しながら行う事で、如何に客観的に洗練させる事が出来るかである。何十年も同じことを繰り返しても、完成度が高まらなければ上手にはならない。



参照:
ポストモダンの貸借対照表 [ 歴史・時事 ] / 2005-09-02
世界の災いと慈善活動 [ 文学・思想 ] / 2005-11-29
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湧き騰がる香りと血潮

2006-03-04 | その他アルコール
シュナップスと聞くと黙ってはいられない。と言うか血が騒ぐ。それほど強いアルコールを飲みつけていた訳ではないが、以前は深夜まで何かをして頭のクールダウンにスコッチをよく愛飲した。ブランデーもワイン産地で作られるが、ブランデーが 適 当 な 葡萄とワイン樽を必要とするので、厳密に言えば醸造のためのワイン栽培とは相容れない。だから其処に住むようになるとどうしてもワイン蒸留酒(ヴァイン・ブラント)への評価が下がるらしい。同じ飲むなら林檎から作ったブランデー・カルバドスを好む。

それとは別にシュナップス類と言う蒸留酒類が存在する。特にイタリアのグラッパを初めとするワインを原料とする蒸留酒(へーフェ・ブラント)は、ワイン産地で一般的である。ブランデーと最も違うのは、醸造に使った日本酒の酒粕に相当するであろう溜まった酵母(へーフェ)を使い、その独特の香りを漂わす製法と味である。グラッパも上等になると大変に品が良い。

シュナップスの原料として、果実やナッツ類、高山植物から根っ子、芋や穀物類とアルコール化する糖さえ存在すればありとあらゆる可能性がある。果実類では、サクランボやアプリコットや梨から蒸留した定番のキルッシュヴァッサー、ミラベル、ヴィリアムスも良いのだが、オーストリアの谷間に入ると所々で密造酒のような美味い物が飲める。普通に買えるプラム類のツヴェッチケやハーゲンブットなどは、其々果物やハーブティーとしてだけで無くシュナップスとしても美味い。ナッツ類もその香ばしさなど侮れないが、何と言っても植物の根っ子類は漢方薬の傾向が強まる。これを若い田舎のお運びの娘に特別注文すると、カウンターの裏にいる両親や常連席の親仁達に相談しに行く。

もしこの傾向のシュナップスが店にないとすると、親仁達の面子や沽券に関わる。常連の親仁達が弁解を言い出す事もあるのだ。だから、「君達、子供のような酒を飲んで大人面してカードなどに興じてはいけないぞ」と言う顔で、こうした店中がそわそわした様子を眺めるのが楽しい。それでも擦れたお運び娘になると、「そんなのは家の爺さんの飲みもんだ。」と笑われるのが落ちである。それでも仕方が無いなと言う顔を繕って、代わりにジャガイモや麦のシュナップスを注文する。

マーチで有名なツィラータールでスキーを敢行した時の事が思い出される。広い谷ゆえに農業も発達して裕福で物価が安いと知っていたので、早速スポーツ用品店に顔を出した。開店間際のお店をうろついていると、親爺がご機嫌そうな顔で「一杯飲まんか、シュナッピ、ほれ、ヴィリアムスだ。」と盆の上に並べたショットグラスを勧めるのである。「朝から」と躊躇うと、「一杯飲んだら、滑りが早うなる。」と言って勧め上手であった。豊かな社会とはこういう事を指すのかと思って、夕飯には生まれて初めて食するカモシカの肉でノイジードラーゼーの赤ワインを鱈腹飲んだ。勿論、腹ごなしにはこの秘薬を引っかける。

思い出したが、二年前の山篭りで何日目かに少し目標を達成した夕飯後、同行の皆にシュナップス一巡を振舞った事があった。世にも美しいエンツィアンの根っ子のシュナップスを山小屋に見つけ、これを配ろうとすると、「ヴィリアムスならいいけど」と言う輩が出てきた。エンツィアンを摂ったのは、結局親爺三人だけだった様に記憶する。そのメンバーの不甲斐なさは嘗て記したが、「男なら黙って苦味を利かせ」と言いたかった。既に気炎を上げていたお詫びの振る舞いであったので、我慢をした。ブランデーを燻らせる柔なフランス人を見下すように-実際フランス人の客も居た-「男子たるや親仁シュナップスを飲め」と言うと、実は 虚 勢 だ け で 性 根 の 無 い 出来の悪い大日本帝国陸軍鬼軍曹のように思われるといけないので、シュナップスで沸き上がる苦味と共にぐっと唾を飲み下した。(フェリエンログの記事に触発されて特別投稿)



参照:
リンドウ - Der Enzian [ その他アルコール ] / 2004-11-19
お花畑に響くカウベル [ 音 ] / 2005-06-23
北オランダからはゴウダー [ 料理 ] / 2005-07-19
オェツィーと現代の人々 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-08-20
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

破局へと葬られるもの

2006-03-03 | 歴史・時事
灰の金曜日の行事も終わった。昨年もカメラを構えていたのだが暗過ぎた。去年は、陰暦と陽暦の差が出たのか、特別に暗かった。二月九日の事であるから当然かもしれない。並んでいる昨年の写真を見ると二月二十三日に屋根に薄っすらと冷たい雪が載っている。それからすると、本日も降雪があり、温度も氷点下に近いのも当然であろう。カーニヴァルが済むと温かくなるという固定観念に縛られているのに気が付く。これから四週間、復活祭までは未だスキーシーズンであり、充分な降雪が期待出来る。寧ろ、里雪型の豪雪はあったが山間部では雪崩の被害なども余り出ていないので、これから本格的に降るのだろうか。

今カーニヴァルシーズン始めの記事を振り返ると、サッカーのドイツチームはフランスと試合をして引き分けている。昨夜は、イタリアチームに惨敗している。これが始めと終わりであった。それにも増して、これからの四旬節での鳥インフルエンザの進展の方が気になり出した。イタリアでは鳥の消費が七割ほど落ち込んでおり、実際に感染が発覚しているフランスよりも一層激しい。普段の食生活に因るらしい。

今後とも情報を追っていかなけれないけないが、突然変異を含む蔓延の的確な予測は誰も出来ないので、有りの儘の情報自体が、解釈によってパニックも招けば、対応の遅れから取り返しの付かない結果も招きかねない。アジア地域で先に発生した経験を学んで、特にタイに於ける焼却の対応の早さと安全宣言と輸出再開の実績は、今後の欧州の対応に活かされる。先日来EU内で、家畜へのワクチン注射が議論され、オランダなどがこれを採用、それに対してドイツは伝染しても発覚しないワクチンに否定的で、それらインフルエンザ潜伏の可能性のある鳥が含まれる輸出国からの全面輸入禁止を掲げている。

渡り鳥から家畜への伝染は、通常死骸などを摂取する事によって齎されるが、ペットへの飼い主責任も通達された。野鳥の死骸を集める作業は、今後とも新たな発覚を推進させて、全域での感染が報告されると同時に他の家畜等への伝染の発覚も当然の事ながら予想される。

食生活に与える影響も、現在の所全く無いとする意見と、必要ならばゆで卵も硬茹でにすれば安心とする相反する意見があり、決定的な判断基準がない以上致し方ない。これはBSE騒動の時のより危険食品に 当 た る 確 率 の少ない場合にもあった現象である。しかし今回は、放っておくと取り返しの付かない伝染病化する可能性がある事で、BSE騒動とは大きく異なる。専門家に言わせると今回の鳥インフルエンザは、序の口で今後多くのさらに強力なウイルスが待ち構えているとしている。

多くの人はこのような事態を集団ヒステリーと見做して、それと同じぐらいの人は何らかの自己防衛策を施そうとしている。パニックによる社会経済の変動を出来うる限り避けようとする為には前者のような立場を採る必要があり、後世からしか追想出来ない広範な伝染病化によるカタストロフを避けるためには後者のような行動が必要となる。今回の猫への感染の確認は、専門家に言わせるとその事象自体は大きな意味を持たないが、確率論的に言えば大きな要素であったのではないのだろうか。これが食物連鎖で起きたので「突然変異を意味しない」のは理解出来るが、「突然変異の前提」となる可能性の増加が確認された事には相違無い。

断定でも啓蒙でも指導でもない情報は、表面的には危機管理能力の欠如のように見えるが、実は違う意味があるのではなかろうか?「現実的に処方箋がない事」とこのような「判断保留の情報」が発信される事とは、異なる現象なのである。疑心暗鬼が芽生えるような状態を、現在の情報供給量増加は現出させる。

つまり、カタストロフと言うのは予期されぬ事が生まれる状態であり、予想された事は少なくとも対応出来、理論的には回避する事が可能である。その意味で未来を可能な限り制御出来る。しかし、予想外の不測の事象は何らの準備も無く突然遣って来る。今回の鳥インフルエンザの蔓延もありとあらゆる事態を想定をして、刻々と遅れずに対処して行けば、カタストロフを避けれる可能性が限りなく高まる。そのために必要な情報が 断 定 的 な意味合いを持つことはありえない。情報が 断 定 的 であれば、それは不可測なカタストロフを準備する事になるからだ。

写真が示すように寒い冬は、小さな棺桶に入れられて葬られたかに見えるが、まだまだ春には遠く気を緩める事は出来ない。飼育されている鳥獣ならず、人間が棺桶に入れられるような状態を避けるために絶えず懐疑的な眼差しで状況を注意深く観察して、情報を吟味して行く事がカタストロフを避ける唯一の処方箋である。

個人に於いても、不必要な危険因子を増やさない事が必要と思うが如何であろうか?養鶏業者を支援する事は必要であるが、重要な観察力を疎外するようなシラク大統領やベルリンの政治家のパフォーマンスは本当のカタストロフやパニックを引き起こす可能性さえある。この際、断食に入ろうかと思うが、水鳥も卵もないとすると、風邪をひき易くなるような気がして躊躇している。先ずは、ビールで栄養を摂ろう。



参照:
アウトバーンでの予知力 [ テクニック ] / 2004-12-27
「証拠を示せ」と迫られて [文学・思想] / 2005-06-08
灰の水曜日を前にして [ 歴史・時事 ] / 2006-03-01
切妻のドアをそっと開け [ 文化一般 ] / 2005-02-15
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六十六歳、人生の始まり

2006-03-02 | 生活
ウド・ユルゲンスは、世界フォーマットで成功した最初のドイツのエンターテイメント歌手と言われる。今でも小母さん達に最も人気のあるドイツポップであろう。ツアーでは、高額の席までが並ぶスタジアムを一杯にする。「別れの朝ヴァス・イッヒ・ディア・ザーゲン・ヴィル)」は、1967年に日本でもヒットチャート一位。1972年と1973年に日本大ツアーを敢行。

七十歳を越えた現在も肘を曲げて、手を外へと広げるおどけた表情は大きな子供のようだと書かれている。五十年ほど前に大ヒットした曲「メルシ・シェリー」と言う大ヒット曲が、フランス語二文字以外は全部ドイツ語で歌われるとすればその傾向が知れる。簡単な初級ドイツ語で書かれた歌詞で、プラスチックの透明なピアノで弾き語りする自作音楽で泣かせ、高揚させ、小父さん、小母さん達にペンライトを振らせる実力は今でもドイツポピュラー界の帝王である。

数多いヒット曲を一々挙げる事は出来ないが、カフェーでアバー・ビッテ(あ、ちょっと)と言えばミット・デア・ザーネ(クリーム付きで)でとお運びの小母さんへのケーキ注文にメロディーが付く。ジブツェーンヤーレ(十七歳)と来ればブロンデスハー(金髪)で確か自分の娘アンドレアの事だ。ウアラウブ(休暇)はイム・ズーデン(南の国で)で、アルプスの峠を越える車で鳴らそう。でもギリシャに行くと、グリヒシャー・ヴァイン(ギリシャワイン)となる。

ツアーでは、ぺぺ・リンハルト・オーケストラと三人ほどの女性のバックに外国人のゲスト歌手が加わると言う感じだろうか。そのプログラムの構成パターンも決まっていて、それでも新曲タイトルが加わり、毎年詰掛ける人達も多そうである。ヒット曲が多いのでメドレーを入れるだけでも組み合わせは多大だろう。お茶の間時代劇「水戸黄門」の助さんこと杉良太郎に近い。

センチメンタル系やファンタジー系も多いが、乗り乗り系に大ヒットが多い。イッヒ・ヴァー・ノッホ・ニーマルス・イン・ニューヨーク(ニューヨークにはまだ行った事がない)などは、その当時海外旅行が特別な意味を持っていた事を思い起こさせる。

とにかく簡単ドイツ語のアクセントがピアノや弦に乗りやすくて歯切れ良い。バンドのリズムセクションが刻んで声帯厚めの押し付けがましい女声のアクセントが上手く乗る。こうして世界的に共通した月並みなアップテンポなメロディーラインをドイツ化している。さびの部分の伸長と説明部分の切詰、更に語りかけと吐露の部分の曲の付け方はこの手のものの典型になっているようだ。敢えて言えば、コラールのような和声進行を肝心の所で使って効果を挙げていると感じさせる。

ライヴなどでは、楽屋落ちと言うか、歌手が主役になる曲を最後にもって来て、盛り上げる。フランク・シナトラの「マイウェー」とか、エディット・ピアフの「愛の賛歌」の方法である。大分以前に聞いた録音を改めて聞くと、アクセントやらアーテキュレーションが非常に分かりやすくて、予期通り幾らかは語学勉強になったろうと確認する。しかし真剣に聞き込むと喧しくて辛くなり、BGMとして流すとCMソングや映画音楽が何時も流れている様で落ち着かなくなって苦しくなるのは仕方ない。

ダダイストのハンス・アープが母方の伯父さんと言う。ジャズピアニストとしても活躍。1969年には、ソプラノ歌手アネリーゼ・ローテンべルガーもユルゲンスの曲を録音。同時にドイツ人若者のアイドルとして、JF&ロバート・ケネディーについで三位に選ばれる。1980年のLP「UDO」で自作曲「ヴォルト(言葉)」が、ベルリナーフィルハーモニカーと録音される。1985年にはホセ・カレラス企画のオペラフォアアフリカでベローナ野外劇場の慈善公演に登場。1986年には、ヴィーナーフェストヴォッへ開幕でペーター・ファルク指揮のヴィーナー・シンフォニカーやシェンベルクコーアを引きつれて三万人を熱狂させ、オペラ歌手ルネ・コロはユルゲンスの曲を集めたLPを完成。1987年のツアー「ダイネットヴェーゲン(君の為に)」は四十万人を動員、北京に於いてのチェン・ファンヤンとの競演がTV中継されて四億人の中国人を魅了する。

そして、先日のフランクフルトの公演でも昔を懐かしむ聴衆に混じって、予測を遥かに越える多くの若者が熱狂したと言う。余談だが、上述の「別れの朝」のドイツ語歌詞を見ると、「君に言う事が見つからなくて、白い紙がそのままになっている、言葉がみつからない。でも、信じておくれ、僕が言いたい事を、ピアノが語る」とピアノのメロディーを奏でる。日本語歌詞が全く違うため、英語版「The Music Played」からの訳かとも思ったが、それもタイトルからすると違う様なので、これはなかにし礼さん訳というより、どうやら涙と汽車と小道の演歌作詞に近いようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

灰の水曜日を前にして

2006-03-01 | 歴史・時事
鳥インフルエンザが蔓延しそうである。ドイツでもメルケル首相のお膝元リューゲンの死んだ水鳥からウイルスが見付かり、二週間になる。今日は、そこで死んだ猫にH5N1が確認された。パニックへの警戒は必要であるが、政府への信頼が無くなると対処の仕様がない。

ここで恐れられているのが、猫から豚へと感染して、豚の感染に於いて変移したウイルスが人間に感染するというケースである。また本日バイエルンのバッド・テルツに於いても野鳥のインフルエンザ感染が確認され、隔離地区に指定された。この状況からすると、スウェーデンやスイスなどの既に確認された地域を含めて、欧州全域に及ぶのは間違いない。各々の近所でも鳥の死体からウイルスが見付かるのは確実である。すると軍隊が出動して、車など全ては消毒液の上を通らなければいけない事となり、最低でも三キロ圏内が隔離される地域が日毎拡大する。そうなると、事実上サッカーのワールドカップは取り止めになるのだろう。

医学専門誌や医師会が纏めた報告書によると、通常のワクチンの効果なども強調されているが、特効の処方箋はないと言うのに尽きるようだ。ニューイングランド医学ジャーナル12月号によると、タミフル等を予防薬としても対症薬としても使用しても、効果がなかったと言う報告も無視出来ない。どうもこの場合は、肺の中に長く病原体が棲息していたとする不定形な経過が推測されている。またそれらの処方も定まって折らず、個人が備蓄して使うとすると副作用だけで無く抗体の発生を促進させる事もあると、カーネル大学のアンヌ・モスコーナ女史などはこれに反対している。そのような事から、熱と呼吸困難の症状が出たら、生還は殆んど難しいと言う。何れにせよ、現在までの感染者120人ほどの半数以上が死亡しており、病原菌の強さはそこから測り知れる。

人間から人間への感染を招く突然変異招くような事態は、少ないと言われているが、多くの金融を初めとする多国籍企業などでは危機管理セミナーが開かれている。出来得る限り対人による業務を避けて、ネットなどを通して業務を履行して、倒れていない小人数の従業員でも対応出来るような体制をシュミレーションしていると言う。

今後の進展を考えると、豚への感染が確認された時点で、食糧市場を含むパニックはBSE騒動時以上に避けられない。鳥の供給量は需要量以上に徐々に落ち込んでくる。そして、豚の供給が落ちた時点で、食生活に与える影響は計り知れない。

本日午後は、カーニヴァルの影響で多くは店仕舞いをしていたが、スーパーが開いていたので、降雪の中を買い物した。ピエロに扮装したチーズ売り場の小母さんを無視して、肉売り場を恐る恐ると覘いて、何時もの鳥達があるかを確認する。同時に豚の腹肉があるのも確認して、再び戻って来てからこれを所望する。買い物から帰って来て、どうも節々が何となく痛い。そう言えばスーパーの野菜売り場を飛び交う鳥が居た。インフルエンザは乾燥した低温度の時期が蔓延しやすいと考えると、ここ四週間程の推移が大きな岐路となるのであろう。



参照:
鳥の肢で薬禍を制す [ 雑感 ] / 2005-11-19
ライキョウ‐白ワインのご相伴 [ 料理 ] / 2005-02-26
一杯飲んでタミフル要らず [ その他アルコール ] / 2005-11-21
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする