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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

フリーセックスのモナーキ

2006-11-15 | マスメディア批評
イアン・ブルマの多文化主義への見解が載っている。氏の見解は、ここでも何度も扱っているがそれはなにも購読紙のゲストコメンテーターと云う理由からではない。寧ろ、氏の説明や視点のあり方は、予てから巧く表現出来ない事象に解析を加えているからであって、極東の社会政治への見識やオランダ出身ながら新大陸からの視点も保持しているから、引用するには大変便利な見解であるのが理由として挙がる。しかし氏が多文化主義を語る際は、その新大陸的な気風と旧大陸から持ち運んだ大気を嗅ぎ別けなければいけないかも知れない。

オランダの実状について語っている。興味深いのは、オランダのフリーセックスや麻薬やロックンロールへの寛容などは1960年代の解放に始まったもので、本来は国民は皆、プロテスタントにせよ、カトリックにせよ、各々の教会や共同体に属して政治的な姿勢をも決定していたと云う。それどころか、援助を受けた宗派別の学校組織やスポーツ愛好組織に別れていていた。しかしそれは、厳格であっても、決して急進的な原理主義ではなかった。戦前までは、現在のモスリム以上に新旧教間の混合はなかったと云う。

つまり世界から渇望される寛容の精神は、1970年代からの世界に冠たるリベラリズムとして、余所者ムスリムを放任していったのである。その結果が先年来の度重なる暗殺劇であり、現在フランス・ドイツ・英国に比べてムスレムへの反感は強くなっている。

しかし、オランダには過激な排他主義は存在した事も、存在する事もないとする。暗殺された同性愛者の右翼政治家フォルテゥン氏でさえ、ただただ女性解放と同性愛の権利を侵すものとして、モスリム移民を非難した。イェルク・ハイダーやジャン・マリー・ルパンとは大きく違うと云う。

そして今、人気政治家「鉄のリタ」ことリタ・ヴェルドンク女史は、「ブルカは公共の場では禁止して、全てのオランダ人は町中ではオランダ語のみを喋る事を義務付け、警官は不法滞在外国人検挙のノルマ達成に報奨金を受け取るようにしたい。」と発表した。

これに対して、筆者は、「オランダは西欧他国と比較すればやはり歴史的に寛容であったのは、デカルトの亡命やスペインやポルトガルのユダヤ人やフランスユグノーの受け入れなどを見れば判る」として、寛容と国際主義との差異を説いている。

しかしこの歴史的背景説明は、些か日向ばかりに焦点を当てたもので、オランダ人の強欲な日陰部分をあざとく避けているように思える。

そして、ロンドンやパリの国際都市と辺境のアムステルダムでは比較が出来ないので、移民達の問題を真剣に考えることなく、寛容をモットーとして余所者に国際主義的同等の主張を認めることもなくやってきた事を批判する。

これは、筆者の云う通り、リベラルとは面倒なものを「放って置く」と云う態度である。それを著者はさらに次のように喩える。

オランダ人は、「ゲゼルへイド」と云う社会のクラブを組織していて、お客様も移民者が占め出されたと感じるときに初めてその温かみを感ずることが出来るのだとする。そしてこれはフランスや米国の共和制と違う、法律では表れない文化的次元での形態としている。

つまり、感傷的なモナヒズムや家族的な絆をもった秘密クラブのようなものである。だからこそ、移民者がこの温かなクラブに入り込む事は大変難しく、たとえ其処で生まれ育ち、多くのガールフレンズがいようが、結局は疎外感からイスラム過激派の殉教死とアイデンティティーへと導かれる若者を理解出来ると云う。

そこで、筆者は提案する。モロッコやアナトリアの村出身の男性達は、彼らの女性達を現代欧州のようには扱え無いなら、または同性愛への考え方が我々の社会のようで無いなら、彼らは批判されるべきであり、他者が彼らの見解を批評したり嘲笑したりする他者の自由を、また自らの言論の自由を習うべきであるとする。

この筆者が語っているのは、つまり、西欧の価値観を議論する素地を準備して、「彼らの文化的後進性や低水準を責めるのではなくて、受け入れの気持ちを伝えるのが良い。」と正直な意見である。

しかし、「ただの寛容よりも国際主義を、― それを以って多文化主義を守る最善策としているのが ― システムよりも法律よりも先ず文化の問題として自覚しろ」と云うのが、この筆者の視点である。イアン・ブルマ氏の多文化主義とは、米国的な水で薄められたワインのような文化なのか、それともオランダ特製の野放図な文化なのか、それとも地政的なローカリズムなのか、一体何なのか良く解らない。

寛容への一定の制限をオランダ国民が受け入れる素地はあるのか、その文化的 先 進 性 を後進させる事が果たして可能なのか、隣人を正すだけで自らを悔悟出来るのかと疑問は吹き上がる。

話し合いの場を持つならばお互いに譲歩する必要がある。誰が、一方的に教示を受け、悔い改めるだけならば、そのような場に喜んで進み出ようか。結局は、植民地時代のオランダの巧い商売のやり方である。一方ではモナヒズムをからかわれて、一方では同性愛を認めさせようとするばかりか堕胎や尊厳死まで合法化するように、なにかあれほどまでに明快な極東分析をする筆者の先が定まら無い矛先の 鈍 さ までが、オランダ人の特異性のような気がするのである。現代のモナヒズムの文化的曖昧さを暗に示しているのだろうか。

テオ・ファン・ゴッホ事件を扱った新著「MURDER IN AMSTERDAM」が好評発売中である。



参照:
リベラリズムの暴力と無力 [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
キッパ坊やとヒジャブ嬢ちゃん [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
固いものと柔らかいもの [ 文学・思想 ] / 2005-07-27
苔生した貴腐葡萄の苦汁 [ 試飲百景 ] / 2006-10-21
止揚もない否定的弁証 [ 歴史・時事 ] / 2006-10-07
歓喜の歌 終楽章 [ ワールドカップ06 ] / 2006-07-01
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ラビの帽子のような野菜

2006-11-14 | 料理
コールラビ ― キャベツと根菜のリューベが架けられた、茎が肥大した野菜である。コールの名称からキャベツであり、ラビは一般的に説明されるような語源リューベ(頭や詰まったものを云う)からよりも、その形状からユダヤ人のラビの帽子キッパをイメージしてしまうがどうだろうか。

ドイツのキャベツは皮が厚く、指で皮を剥ぐと爪の下に潜りこみ怪我をするほど硬い。だからこそザウワークラウトなどが美味い。生の物は食べ方が限られる。しかしこのコールラビは、皮は外側にしかなく中は果実のようになっている。

生でも食する事が出来て、その味は柿のようである。甘さはそれほどではないが、通常のキャベツの甘さではない。

16世紀から中欧以北で栽培されて、親しまれている。特にドイツはこれを最も食する。料理の仕方は、生でソースを付けたり、煮たり、卸したり、ステーキにしたり、詰め物をしたりと様々である。カボチャほど甘くはないが、生で食せる味を生かしたい。

紫色の色違いもあるが、基本的には味ともども変わらないと云う。

植物繊維だけでなく、セレン以外にビタミンB、C、葉酸、カリウム、マグネシウム、銅を含み、葉にはビタミンAとなるカロテノイドを含んでいる。

一つ49セントで、食べ甲斐があるので、お得である。白ワインにも宜しい。
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そのもののために輝く

2006-11-13 | 生活
ヴァルター・ベンヤミンの資料が整理されて来ている。資料を保存する記念館などの設置事業は、友人のアドルノなどと比べて活動や発言メディア源などが限られていた上に、下野していたアウトサイダーであり、組織的母体がないのが災いしているようだ。

パリへの亡命先でのメモ類やゲシュタポから逃れてスペインへの逃避行中に生け捕りを避けて自害するまでの書きものはゲシュタポ経由でも返還されている。今回話題となっていたものの中に、1926年に恋人に誘われてモスクワへと出向き、其処で冬の二ヶ月ほどを過ごした際の日記がありすこぶる興味深い。

1926年には、ドイツに習う富国強兵の戦時共産主義体制がとられて、スターリンの独裁体制が進んでいたようであるが、ドイツ共産党を含む西欧マルキストのメッカとなっていて、多くの文化人や活動家がモスクワ詣をしている。それに、ベルリンやパリや日本などからモスクワに亡命し、その後粛清される多くの反帝国主義者や共産主義者が加わる。またこの年に作曲家のショスタコーヴィッチは交響曲作曲家として華々しいデヴューを果たしている。1927年には、アルバン・ベルク作曲の「ヴォツェック」が大々的にソヴィエトで上演されている。

ベンヤミンは、無意味なフレーズ「技術的労働の革命的性格」を好んでモスクワ滞在中の日記に綴る。パリやベルリンの町を彷徨して、過去の子供時代を回顧して、重工業や建造物をして、その町の日々の情景から様相を読み取り切り取りエッセイに定着させるこの鬼才は、研ぎ澄まされた洞察力でその隠された性格までを浮き彫りにする達人である。

そして、「モスクワに滞在して、モスクワよりもなによりも先ず逸早くベルリンを観る事が出来る。その都市や人々の光景 ― ロシア滞在への懐疑の微塵も湧かないような収穫である光景 ― は、精神の荒廃以外の何ものでもなかった。」としている。

引き続く革命に、矛盾する小市民的真綿の文化を観る。到着早々、国家経営の百貨店で甘ったるい趣味を確認して、槌と鎌の下にそれは、全くそぐわないビロード貼られた張りぼてダンボールでイミテーションされているとしている。

それは核反応のように連鎖的に生じる革命のダイナミックに、次から次へと繰り出される新しい形態にはそぐわない小市民の様相であったとされる。行き詰った革命的衝動は、レーニンによって期限付きで採られた市場経済体制であり、政治でのトロキストの敗北は、文化面ではマヤコフスキーやその同志のフォーマリズムの戦線離脱に相当するようだ。

モスクワの演出家ベルンハルト・ライヒの部屋をして、「これ以上の悪夢は無いような、一欠片の小市民の部屋。百に余るテーブル掛け、コンソール、生地や皮の張られた家具、カーテンに、殆ど息が出来ない。」と極評している。

全体主義に自由な発言を奪われた状況において、しかしベンヤミンはそこで何をすべきかを考え、気持ちを入れ替えて、百科事典のゲーテの章の執筆を請け負う。出来る限り党役員の意向に沿うように努力する。しかし、偶然に係わった1927年に失脚するカール・ラデックが嘲笑的に、各頁に十回も「階級闘争」を書き付けるのをして、この筋書きには可能性は無いとベンヤミンは綴っている。そして最終的に小市民的なオスカー・ヴェルツェルのゲーテが採用されたと耳にして、ベンヤミンは全てを悟ったようである。

もともとは、ドイツ共産党への引き合いなどが出されていた訳であるが、ここで、「個人の独立を犠牲にしたプロレタリアート独裁国の共産主義者に対して ― 自己の人生を計画する、つまり党に一任する必要がある。入党と云うことは、自らの考えを既に与えられた 場 に 投 影 すると云う莫大な優先を与えることである。形態や形而上の知的活動の基礎に、パースペクトを得る事が出来るかと云う事になる。」。その数日後「ロシアでの生活は、党内では困難で、党外では、殆ど可能性が無くても、代わらない位困難である。」と結論している。

さていよいよ核心に触れる情景描写が始まる。

「モスクワへの憧れは、夜空の星に輝く雪や白昼のそれのクリスタルの華にのみあるのではない。それは、天空にもあるのだ。町の遥か先の地平線は密集した屋波に絶えず現われる。それは、ただ夕刻にかけて見えるのだ。しかしそこでモスクワの住宅難はその驚くべき影響を示す。薄暗闇の街路を徘徊すれば、大小の家々の窓窓に輝く光を見る。その光について各々自分が燈していると信じているが、電飾は他と殆ど異なる事が無いのである。」

この一節を読んで、嘗ての東ドイツのそこかしこにの家庭の窓に飾られる寒色の蛍光ランプを思い出したが、それは二股ソケットを狭い部屋の中をあちこちへと移動させる回顧的風景でも構わない。不夜城の如く照らされる灯火でも、食事中に推奨される灯火でも本質は変わらない。

ベンヤミンは、19世紀末のベルリンでの子供時代を回想して、「冬の晩に、母は、時々私を商家へと連れて行った。…出窓や柱は暗闇に霞み、ファサードには火が灯っていた。上から吊るされていたランプに照らされて、サラのカーテンやらが置かれていた。その灯は、明るく照らされている室内に殆ど映えなかった。それは、そのもののために輝いていたに過ぎない。私は惹きつけられて物思いに沈んだ。これが、今でも記憶にある。…」。

失われた時のように、回想はその一度限りの発展へと希望の光を与える。人は、初めて歩行が出来るようになると、決して二度とこれを味わうことは出来ない。

そして、ベンヤミンは結局1927年2月に、旅行鞄を膝に押し付けてモスクワ駅へと、失望に泣きながら家路へとつく。彷徨の達人は、こうして地上の鈍ましいユートピアを報告した。

ショスターコーヴィッチ作曲の鈍ましい数多の交響曲や四重奏曲等の、ハリウッド映画のように均一化した光を当ててその小市民趣味を白昼の下に曝す、名演奏CDに耳を奪われながらこれを綴る。これを悪趣味とはいうなかれ、さもなくば新自由主義イデオロギー下で市場経済などは成り立たないのであるから。



参照:
ハルトムート・シャイブル「赤と美、これまた等しく」2006年10月28日付けFAZ
Beroliniana Walter Benjamin 1972
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トロかアナゴかシラーか

2006-11-12 | 料理
一週間ほど前に、ゼーアールと云う魚の燻製を食した。アールと云えば、うなぎの事を指すのだが、その横に異なる名称が書き加えられていた。

その形状からして、うなぎの一種には違いないと思い、もしやアナゴ類に属するかもしれないと思い試してみる。

味は、燻製してあって泥臭くも無く、身も比較的脂がのって楽しみ甲斐があった。こうした時こそ、燻らす素晴らしさが楽しめる。

さて、これをネットで確認すると、同様の名前でサメの種類の魚が売られていることが判った。サメは、あまり食するとその環境?ホルモンから良くないとは云うが、易くて美味い魚である。グリルなどは、臭みも無く量感もあって、魚嫌いにもツナのように薦められる。そのせいか乱獲でその種の存続が危ぶまれていると聞くとなるほどとも思う。

そのサメがなぜうなぎと云われるか?どうもマグロのトロに相当する箇所が丸まって、それをそのように命名したのがフリードリッヒ・シラーであって、トロならずシラーロッケンと呼ぶらしい。スーパーでお馴染みかもしれない。シラーも顎を外すこの美味さと云うことか。

写真を再び確認すると、どうみてもこのうなぎはサメではない。沿岸にいるうなぎと云うことになると、大味と書かれているが、反面泥臭さが無い分、親しみ易い味であった。

メスで三メートル百キロになると云う。オスが一メートル三十センチにしか至らないと云うから、推して知るべしである。
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日曜の静謐を護る

2006-11-11 | 生活
ドイツ福音教会の教会議が、連邦大統領ケーラー氏の臨席の下、開催された。公共性への契機を呼びかけると共に政治との境界への眺望を明白にする事を正した。隣人愛から、道義的且つ実務的な行動をするのがキリスト教への信心深い人間であるとした。

それに対して、福音教会連合代表のフ-バー牧師は、宇宙的な形態としての人の尊厳への懐疑について、「歴史的相対化と尊厳の価値低下は、政治社会的状況に、また学術的進歩と経済的興味にそれを依存させることになる。」と発言する。そしてそれらは、「神より授かった無制限の人間の尊厳と相容れない。」とする。

つまり、具体的にはどうかと云えば、現在連邦州毎に検討されている日曜の商店営業の規制緩和に、反対すると云う事である。

宗教的議論は差し置いても、日曜の休日はただの安息日以上に定着しており、これはなんとしてもプロテスタントも厳守すべきである。日曜のそうした行いをアンチキリストとするのは当然であって、済し崩し的に進む精神の荒廃の荒波への重要な防波堤となる。

実際の問題、日曜の労働は飲食店や公共施設などでの、また火を落とせない重工業での労働は、前者は社会的貢献であって、後者は不可抗力として認められる。しかし、日曜の商店の開店になんの価値があるのだろうか?郊外にあるレットアウトの大型店が観光がてらの客を集めたりするのは構わない。

これによる経済若しくは雇用の促進は、グロバリズム下では大資本による零細商店の駆逐と生活の質の低下しか齎さない。こうした雇用促進は同時に資本の集中を意味する。

そして、日曜が通常のウィークデェイの様になれば、落ち着いたは日曜の環境は消えてしまう。つまり、日曜の朝の静謐は、あくまでも、平日の喧騒への基準として護るべき環境である。
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行動形態不審の敵を一掃

2006-11-10 | 生活
コバエ退治を履行した。顔の周りを飛びまわれると流石に黙ってはいられなくなった。敵の大群を放っておくと、ヒッチコックの「とり」のような状態となって室内が真っ黒になる恐怖に襲われた。

先ずは、戦略を考える。いつかTVで観たスイスの山のミルクに毒キノコを付けて、その上に誘き寄せる方法を考える。レモンの切れ端にメルケンを挿して、バナナの皮に柿の皮をミルクに浸けて置いておいたがあまり集まらない。そこで、蜂蜜を垂らして、大きなゴミ袋に入れて曝して置く。

暫らくすると、かなりの数のコバエが集まったが、窓際のガラスに張りつくものの数は十分に減らない。蝿採り紙や殺虫剤などの導入を考えるが十分に決定策とは考えられない。

そこで暫らく観察していると、良い方法が浮かんだ。掃除機による吸い取りを験して見る事にした。予想に違わず吸い込みは順調で、大きな蝿採りを基準に考えていた対策があまり功を奏しなかったのとは反対に、空中捕獲が出来る攻撃の有利さを見つけた。這い蹲っているものよりも広範囲に吸い込めるので、大変効果良く気持ちが良い。

コバエの生態は知らないが、行動も団体での動きが少なく、見ているとツガイが尻を追いかけているぐらいである。しかし、食物に群がるもの見晴らしの良い場所を決めてじっとするものなど、行動形態には幾つかのパターンは見つかる。しかし、一網打尽にするにはあまりにも意志薄弱とした様子である。

そして先ずは仕掛のしてあった、ゴミ袋に主要部隊を捕獲して、空気を抜いてしっかりと口を閉めた。その後、窓際やら影になっている部分に掃除機の吸い込み口を向けて、攻撃を仕掛ける。

何度かの波状攻撃をかけて、大方のコバエを退治する。まだ、残党がそこいらに潜んで出て来てはゲリラ戦をかけるが、そうなればこちらも一本釣りで押しつぶすことが出来る大勢になった。コバエ一掃まであと一息である。
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季節柄現れるもの

2006-11-09 | 
コバエが多い。この季節、つまり葡萄の摘み取りが済んで、その葡萄ジュースが搾り取られたあと、その果皮などが取り除かれ葡萄の幹の根元へと肥料として捲かれる。

その時期は、独特の酵母の微かな匂いがワイン産地の町中に漂う。それが過ぎるとコバエが飛び交う時期となる。しかし今年は、十月に記録的高温に見舞われて、月が変わって初冬らしくなった矢先に、コバエが屋内へとどっと押し寄せたようである

気象の影響からか嘗て無いほどにコバエが目につく。例年ならば更に繁殖するような事も無く、知らぬうちに消え失せるのであるが、今年は室内に集結している。

燻り出そうかと思って、部屋の隅に置き去りにされているハバナ産の葉巻を燻らせたが、コバエには効かず、喫煙習慣のないこちらに鍛えた。害虫駆除の線香も買い忘れたので、穀物や酵母類に産卵させないようにして、暫らく様子をみてみよう。

先月末といえば、ここ数年世界的にポピュラーになって来ている英米の風習ハロウイーンの時期であった。ある晩、呼び鈴が鳴らされて、若い男の声で何かいうので、中へ招き入れると、ミドルティーンの外国人の子供であった。聞き取れなかったと言うと、再び呪文を唱えた。「なに?」と聞くと、ハロウイーンだと言うのだ。「甘いもの…」、「そうか、しかし残念ながら無いね。」と答えると、「いいえ。」と言って帰って行った。

同じ子供会でも、正月の「三人の王」は毎年待ち構えているが、これは予想外の訪問であった。やはり歴史がない分、只の英米の物まねなので、子供達が歌うでもなし、着飾るでもなし、何かを準備するにはあまりにもつまらない。

さて本場の英語では、「Trick-or-treating」と呪文を唱えるようだが、ドイツでは「Süß oder Sauer」と唱える。これは、まさに聖ニコラウスの日クネヒト・レプレヒトが子供に飴を与えるか、鞭を与えるかの審判と変わらない。

今年、初めて現れたのは、コバエだけでなくて、甘い物に集うコドモだった。近所のスーパーでは、バナナにコバエが群がり、黄色が真っ黒になっている。朝は、九時になってもまだ霧に包まれている。



参照:
ファウスト博士のお楽しみ [ 暦 ] / 2006-05-01
闇が重いヘクセン・ナハト [ 暦 ] / 2005-05-01
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追懐の怒りのブーレーズ

2006-11-08 | 
金曜日の夕方、会合に出かけた。車に乗っていつものようにラジオを聴いていると現代音楽の様相について語られている。ジョン・ケージとの出会いやアドルノのエピソード、ダルムシュタットの夏季講習会の思い出話をするのは、指揮者としても有名な作曲家のピエール・ブーレーズであった。バーデン・バ-デン在住なので、独メディアに出る事が多いかと思うと、実はパリでのTVショーで見かけるほど多くは無い。

番組は地元のSWR制作で9回のシリーズ再放送である。二十世紀後半の現代音楽の歴史を振り返るもののようである。既にマウリチオ・カーゲルが登場しているが、年内にまだヴォルフガンク・リームや先日亡くなったジョルジュ・リゲティなどが登場する。

ブーレーズの話で耳についたのは、アドルノが講演の出番が無くて愚痴っていたことやケージとの交友である。また、ムジック・コンクレートへの意見なども、偶然性の音楽への見解と共に興味深かった。前者の限界と後者でのコンピュータ音楽への流れが、言い訳としてではなく、体験として語られるところがこのインタヴューの真骨頂である。

そしてその追懐される道程は、自ら試してみて判断する必要を説いており、この作曲家が当時の西欧の第一線の思潮の影響下に存在した証明でもあろう。つまり、限界を察知した時点で転向する判断を自らに課している。

該当HPのリンクに、1967年バイロイト際指揮初登場時に「怒りのブーレズ」として、シュピーゲル誌に独占インタヴューされた時のコピーが見られる。これを読むのは初めてであるが、今日から見ると、特別に過激な発言とは映らない。

それは、我々がその当時からする未来を生きているのであり、大なり小なり歴史的な影響を受けているからである。この作曲家の作風の転換や指揮者としての業界活動については触れないが、既に分岐点を更に進んでいた事がここに表れているのも事実であろう。

反対に、ハンブルクの演出オペラ劇場の作曲家兼劇場支配人リーバーマンなどが、一撃の下に「平均的な市民階級の趣味(を持った芸術家・作曲家)」とこき下ろされ、「ヴェルナー・ヘンツェは、表層的なモダニズム」と叩かれているのを読むと痛快というほか無い。また本人が音楽劇を作曲するなら、ジャーン・ジュネとの合作で、ピーター・ブロックイングマル・ベルイェマンの舞台に期待したいとある。

今日の我々からすると、ピエール・ブレーズを攻撃する事も容易であるが、作曲家としての現在を批判する必要は感じない。2001年11月には、バーゼルでの指揮演奏会のために同地に滞在中、未明のホテルのベットから叩き起こされて、過激派として三時間の拘束を余儀なくされた事を記しておく。

冗談のようなエピソードであるが、スイスの公安当局のリストには、上のインタヴューで述べた発言「(芸術のために)最もエレガントで最も高くつく解決法として、オペラ劇場を爆破せよ!」で、以降過激派としてリストアップされており、半世紀近く後にも、その古い珍奇なリストを以って国家権力は猛威を奮う事を、反テロ宣誓や共謀罪が叫ばれる今日故にどうしても留意しておきたい。

当時の知識人として、過激派を装った傾向も無きにしも非ずであるが、こうした寧ろ政治的発言の少ない芸術家が、「キューバにこそ市民社会を越えたものがあり、中共の紅軍に西欧の劇場で暴れて欲しい」としたのがいけなかったのであろう。

SWR2放送をWEB/RADIOライヴで聞く:
11月17日19時 John Cage
11月23日19時 Wolfgang Rihm 
12月8日19時 György Ligeti
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断層を隔てて比較する

2006-11-07 | 試飲百景
初めての醸造所を訪問する。何度も試みながら機会が無かったので、先ずはそのワインを試すために前触れ無く訪れる。二三本を先ず持ち帰りゆっくりと自宅で試しても良かったのだが、そのような状況を話しているうちに、開いている瓶があるからと数種類のワインの試飲を勧められる。

友人のそのまた友人が、オーストリアから態々買い付けに来ていることやネットを通しての評判とは、質は高いが割安感があることと、日常消費品をそのブランドを使って積極的に販売展開していることであった。質の高さと後者の市場戦略は相反するように見えていたので、それも確かめたかったのである。

土壌による差異が良く表れていて、質の高さを示しているが、どうもその良さが香りと味に出ていると言うように、どちらかと言えば直接的な表れ方をしている。これが謂わば、単純なワイン農家のワインの美味さと、高級ワインの味の複雑さとの違いである。

丁度、その中間にあって、深みへと進まない代わりに飲み易さがあって、簡単に味を楽しめる割には奥行きがあるのである。当然のことながらグランクリュの味覚は多層的だが、減衰が早く楽しみが薄い嫌いがある。しかし、同じ地所で価格にして半額となると、文句など言えるものか。

さてお相手をしてくれた小父さんは、歴史に興味を持っているようで、その特にワイン栽培の歴史について話していると、どうしても隣町のカトリックのとプロテスタントのとの相違に言及するようになる。するとどうしても、未開なカトリック共同体と啓蒙されたプロテスタントと言う色分けになってしまう。

さらに興味深いのが、この間にある土壌の断層であって、そこで各々栽培される葡萄と出来上がったワインの質にも表れる個性である。それが、そこで実際に試飲するワインの比較でもある。

カトリック圏のワインの、その粘土質の土壌は養分を貯めやすく味わい深い。そのためどうしても鈍重な感じになるのである。プロテスタント圏のワインの、僅か二キロ程離れているだけであるが途中に断層があるので、その土壌は砂利質であって水はけが良い。だから軽快で明晰となる。

また前者の上部斜面には玄武岩層の激しい個性の土壌が浮かび上がり、また後者の下部斜面には肉薄な石灰質の土壌が飛び地となっていたりするのが、これまたおかしい。

以前はマンハイムにいて、そこの教会で夫婦揃って合唱を歌っているとのことで、マンハイムの高等音楽学校の宗教音楽の教授の話などをしながら、プロテスタント圏のワインの味比べもする。そこから、ルツェルン音楽祭東京引越し公演の高額入場料金とピアニストのマウリツィオ・ポリーニのギャラの話となった。お勘定は、カードが使えないので請求書は郵送で付けにして貰う。(試飲百景)
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市井の声を聞いて改良

2006-11-06 | アウトドーア・環境
遺伝子工学の実用でキリスト教社会同盟のゼーホファー経済相はディレンマに陥っている。伝えられるのは、先日地元のバイエルン州の修道会に招かれて、遺伝子工学の農業への効果を演説、地元の農業に従事する若者や支援者から痛烈な非難を受けたことである。

そのベネディクト修道会のグレゴール・マリア・ハンケ修道長は、教皇に教区アイヒシュテッテのビショップとなる指示を受けたばかりで、この政治家のブレーンである。そして、「聖なる父の領域を侵すことはならん。」と声明している。

経済相は、遺伝子工学推進者のメルケル首相の下、バイエルンの民にその効用を説明しようとしたようだが、逆効果であった。社会同盟は今後、緑の党が進める路線に便乗して行くしか方法がなくなってきているようである。言い替えれば、カトリックのバイエルンの農業従事者は、バイオ農業を推し進めることに将来の可能性を見ていて、心情的にも緑の党の推し進める環境政策に親近感と支持が集まっている事になる。

現在提案されているような、五年間のモラトリアム期間を設定して、且つ遺伝子工学によるクローンの農作地には二百メートルの干渉帯を義務付けるとしても、種子は飛びかい、具体的効果は薄い。北米大陸で行われたり、アジア大陸で実施される実用から欧州の植物植生環境を隔離することは不可能である。農産物の輸入禁止などでは防げない土壌汚染が、当然のこととして進行する。

遺伝子工学への漠然とした不安感は、原子力発電にも見られるようなもので、極自然な住民・農民心理であろう。近代の多くの期間を、化学薬品による農業に費やして来て、誰の何のためになったかを身を以って知っているからである。また簡単に安全性が保障されるようなところには、学術は無く営利が存在するだけで、また反対に未知のものがあるからこそ其処には学術がある。

そして、緑の党が言う様に、宗教・世界感が反映するような状況自体が可笑しいのであって、物理学や生物学でそうした問題として扱われる分野はある意味未知の研究部門であることから、遺伝子工学部門での実用化は未だにそれだけ理論的にも熟していないという事になる。

それにも拘らず、首相の進める様な政策は、たとえ彼女が言う様に「諸外国に負けないように遺伝子工学を進めて、技術立国を護り、いずれは化石資源に依存しない世界を作る。」としても、その学術研究と営利事業の融合を図ろうとするのはあまりに容易で浅墓な思考である。これは自分自身の学術コンプレックスか、原理主義プロテスタント精神かどうかは知らないが、公約としていたその政治的主張を引っ込め、他のエンジニアーリング部門とは異なる、基礎研究価値が残るであろうこの部門での産学一体の方針を修正する必要がある。

先月31日の宗教改革の日は過ぎたが、聖書を読めることで、民衆は教会の解釈と束縛から解き放たれ、聖書の中身を批判的に吟味出来るようになった。学術的自由が守られる前提をもって初めて可能となった、聖書の解釈学的審査は、そして啓蒙の時代を導いた。だからこそ、プロテスタントは大学を中心とした運動であった。

ギリシャ語の聖書を傍らに置いて、僅か十一週間で、ルターが訳した新約聖書は、必ずしも証言集でもなく、歴史的事実でも無いと言う視点から、解釈や批判が可能となる。また、ルター自身が、ドイツ語で理解するために翻訳した用語があり、そこにはFEUEREIFER、DENKZETTEL、HERZENSLUST、MORGENLAND等のドイツ語が含まれる。これらについてはいずれ改めて各々の用例を見て行きたい。

つまり、ルターは市井の人に聖書を読み聞かせて、その理解力に合わせて改良して行ったというのである。戦後、新科学技術を率先して導入、産業を発展させて来た伝統のカトリック社会同盟は、環境問題等には女子供の反応を重視して行くとしている。プロテスタントの女首相は、新たな言葉を見つけなければいけない。それは安物学者の詭弁であってはいけない。生兵法は大変危険である。

写真は、伝統的な品種改良のクローン「白リースリング」。
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歌劇の谷町、西東

2006-11-05 | 文化一般
オペラについての話題を二つ。

一つ目は、カナダのトロントで杮落としをした文化センターにあるオペラハウスの話題である。北米で屈指の大都会であり、特に中華資本が活況を呈しているようである。今回のオペラハウスのポストモダーン建築の寄付も、ミヒャエル・リー・チャンによって支えられている。しかし支援は、氏の投資銀行の名前でなくてフォーシーズンズホテルの名前で行われている。

素晴らしい劇場で、これを以って同地でのフィルムフェスティヴァルをさし措いてアメリカ大陸西海岸の文化拠点にしようと、トロントの鼻息は荒い。九月には、カナダ・オペラ協会の「ニーベルンゲンの指輪」で杮落としとなった。廉い席でも非常に音饗も視界も良いという。上等の席にはベンチではない通常の上質の椅子が置かれて、昔はそうだったろうなと思わせるという。

The Four Seasons Centre for the Performing Artsの玄関通路には小さくオペラ座の名前が記されている。ハンブルクのフィーヤ・ヤーレス・ツァイテンでなくて、英語によるホテルの名前が大きく掲げられる。「北国の春」歌謡ショーでなくて、せめて高尚なオペラが上演されるというだけでトロント市民は幸せなのだろう。

写真を見ると確かに立派である。劇場内は違うがバーデン・バーデンの建物にも似ている。しかし、カラヤン財団の誘惑に乗ったとしてもあれほどに大きなものを建ててしまっては、あとの-カラヤン聖霊降臨-祭りである。ペテルブルクからのどさ廻り劇場の御蔭で「指輪」などもそこで上演された。トロントもドイツからの出稼ぎ音楽家の御蔭で幸福な船出を祝したが、何時まで順風満帆が続くかと既に疑問が呈されている。

二つ目は、アラブ圏におけるオペラ劇場である。スエズ開通に合わせて杮落としとなったエジプトの劇場は、植民地文化の象徴でもあったのであろう。その他にも富みの集中したアラブ石油富豪が、自らのオペラ劇場でお遊びなさっているだろう。だから、しかし、アラブ圏では、西洋歌劇文化に社会的な意味合いは皆無のようである。

アルジャジーラのベルリン特派員が、先日のイドメネオ事件について語っている。「オペラ問題は何の意味合いもありませんよ。」と抜けぬけと云って、「アラブ世界ではオペラなんてものは、殆ど役に足ってません。関心がない訳ではないので、モーツァルト生誕250年については昨晩レポートしたところですがね。それでも西洋のオペラなどそれに比べればずっと議論になります。まあ、英語放送のアルジャジーラ・インターナショナルのクルーは態々ロンドンから取材に来ましたが。アラブ語放送では殆どイドメネオについては触れていません。西洋と違ってアラブ世界では、オペラの上演禁止など報道価値無しですよ」。

これについてはそれ以上語る必要も無い。近東であろうが、極東であろうが、オペラなどは、出来そこないのミュージカルで、エンターティメントよりは少し高尚なものなのである。当オペラ劇場のスケジュールを見ると、なる程と思わせる。アラブ音楽際のために、日本国の援助により建設省の指導の下鹿島の建設受注によって完成されたセンターが、使われているのがただ幸いである。

ついでに言及すれば、デンマークのカルカルチャー問題は悪意があって危険であったが、教皇の発言は純粋にアカデミックな発言を試みたのが災いして、元来問題が無かった筈だとしている。そうなれば、こうした報道の選択をしているので、ジャーナリストの世論に寄り添った微妙な判断となる。さてこれをどのように信じることが出来るのか?
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ワイン三昧 第五話

2006-11-04 | ワイン
名前
ヨハン・L・ヴァルフ

場所
ヴァッヘンハイム アン デア ヴァインシュトラーゼ

特記
同町最古の醸造所。ドイツ大手ブルックリン・ヴォルフ初代の夫人の実家筋である。そのトスカーナスタイルの屋敷は、保存建造物でその歴史を示す。耕地面積10ヘクタールと中規模であるが、バート・デュルクハイムからダイデスハイムまでの由緒ある地所を有している。リッターワインやブルグンダーワインなどは、南ワイン街道から買い付けた葡萄を使用している。現在はモーゼルの醸造所に貸付されて、その世界戦略の下で販売されている。

履行日時
2006年11月2日

試飲ワイン
2005年 ヴァッヘンハイマー・リースリング 辛口、
2005年 フォルスター・リースリング 辛口、
2005年 ゴルトベッヒェル・リースリング・シュペートレーゼ 辛口、
2005年 ヴァッヘンハイマー・ベルツ・シュペートレーゼ 辛口、
2005年 ペッヒシュタイン・リースリング・シュペートレーゼ 辛口、

全五種類。

感想
香りからして古風である。ラインガウ風の蜂蜜トーンが楽しめる。それは一貫していて、ダイナミックよりもスタティックな落ち着きが、玄人好みと云う感じがする。これは低温での発酵過程から丁寧に扱われている味わいである。砂利地の多いヴァッヘンハイマーに係わらずダイデスハイマーのような繊細さを出している。また名前を隠してあるフォルスター・シュティフトの地所の個性(後日・追記説明する)が楽しめる。また、ルーギンスラントに接する石灰岩質のベルツの凝縮感が素晴らしい。玄武岩のペッヒシュタインはミネラル質から素直にその磯のような味を出している。しかし、何れも後味の切れが良い。

総論
モーゼルの完全にいってしまっている趣が売りのエルンスト・ローゼン氏がこの伝統的なワイン醸造所を率いている。現代的嗜好に媚びずにクラッシックなリースリングを目指しているようである。偶々、JALの注文がFAXで入ったところであった。ファーストクラスで提供されるのだろうが、シャンパンのような軽やかさはない。しかし、シュペートレーゼでも重さはなく気軽に楽しめる。グランクリュのペッヒシュタインなどは煮込んで魚のリースリングソースにすれば良いと聞いた。なんとも惜しいがなるほどとも思った。価格からするととてもCPの高い貴重なワインである。しかし生産量が限られているので、知る人ぞ知るワインでもある。それは誤魔化しの利かない辛口ワインで勝負していることと同義語である。
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欧州からみる和食認証制

2006-11-03 | 料理
和食の認証制度を導入しようと云う報を得て、限られた情報ながら、そうした政治的動きに対して意見を記す。

欧州での日本食や日本の伝統的懐石について、嘗て幾らか時間を割いて広報・普及に務めていた。また現在の寿司ブームなどの状況を水面下に感知していた立場として、幾つかの要点だけは議論の前提として提示して措く。尚、ここで示す事例などは、ドイツ語圏を中心に中欧を扱うものとする。

先ず現状であるが、日本国農林水産省が趣旨説明で是正点として挙げる「食材や調理方法など本来の日本食とかけ離れた」と云うのは実状である。そしてその中には、日本の米問題が含まれる。それは、その価格と質から、国外への援助物資であるだけで、商業的競争力が無いので、今後とも輸入規制をしている日本から低価格高品質のジャポニカ米が世界市場に出ることはあり得ない。日本の米は、現在の貿易自由化華やかりし時代においても保護されていて、自由化されれば国際競争力は皆無であると 認 識 することが先決である。世界最高級と云われるヒマラヤのバスマッティーライスでさえ 本 物 の流通量はそれほど多くはなく高価ではあるが、日本の米よりも遥かに廉い。香りを求めるならばタイ米が優れているが、キロで小売価格一ユーロほどである。

そこで日本食材として好んで使われていたのが、カリフォルニア産のジャポニカ米で様々な「何やら米」などの銘柄が存在する。しかしこれも先ごろ大西洋越えのための殺虫剤使用のために欧州では輸入が禁止された。その代わりにスペイン産のジャポニカ米が使われたのであろう。どのような料理にしても日本食と銘を打つ限りは米が大きな意味を持つが、実際には寿司飯や一部の料理を除くと、米質に拘る必要は無い。中華料理のように、皿の上にライスを盛り、上から料理をぶっかければ良いからである。日本の丼物や中華風料理やその他の多くの料理には、だから必ずしも日本の米は必要ない。

日本の食事に、中国の陸稲ではなく、この水分を多く含んで粘り気と重量感のある米を必要条件とするならば、日本食は決してインターナショナルではありえないことを先ず知るべきである。つまり日本食の認証制などは、日本人観光客のためにあるように見せかけた、隠された保護主義的政治判断であって、万が一欧州市場での影響が出るとするならば、市場の自由競争を奪う障壁として除去しなければいけない。しかし実際には、その影響は皆無であろう。欧州において、高級日本食ならいざ知らず、普通の日本食にそのような認証などに拘る者は皆無である。日本料理屋などは、今や何処にでもあるアジア人の賄う ま が い も の の店で十分なので、態々選択する必要は無くなった。其処には、以下に示すような差異しか所詮存在しないからである。

例えば、ドイツの寿司ブームがロシアの組織が火付け役だったことを考えると、もし日本の回転寿司チェーンが進出しようが価格で勝負しなければいけない状況がある。グローバルな購買によって質を上げることは可能かも知れないが、既に市場はその局面を過ぎているので、質よりも価格競争となるであろう。よって、「不味い日本食」のブームはこれ以上続かない。以前ブームであったタイ料理は殆ど消え失せた。中華料理でさえ、脳に異常を与えるグルタミン酸ソーダ味と毛嫌いされて、各町村から駆逐されて、その多くは日本料理屋へと転向した。また醤油ですら天然の食料とは見做されていないので、最近巷では危険視さえされている。

更に食材として問題となるのが鮮魚である。勿論マグロなどの冷凍ものは問題はないが、魚は大西洋産のものとなると種類が違う。さらに、新鮮な魚とは云っても、海上での処理管理から流通の全てが異なるため、生で魚を食するようなことは今でも考えられていない。つまり、生で食べる牡蠣類や一部のサケなどの淡水魚を除くと、日本食に適当な魚介類は存在しない。

つまり、日本国外の異なる環境で同じ日本食を提供するなどは論外なのである。それでは、どの様にして多くの日本食店がそれらしきものを提供しているかと云えば、保存料と安定剤をしみこませた保存食材品を使っているだけなのである。これは、重金属類の含有量の高いヒジキの輸入・食用禁止のように、たとえ伝統的食品と云えども、健康上問題になる場合が多い。健康食を売りにする日本食ブームであるからこれは致命的となり得る。

もう一度農林水産省の趣旨説明に目を遣れば、「我が国の食品産業の海外進出を後押し」とある。これは日本人の経営する日本人の調理する日本料理屋も幾らか含まれるのであろうが、もともと日本人板前の人件費が高く、日本食は高級でしかなく普及しなかった背景がある。そして、それらの店はその食材入手の困難さと合わせて、出来る限り日本からの不健康な加工食品の仕入れに頼ろうとした。つまり食品業者にとっては大切なお客さんであったのだが、最近は中国や韓国からのより廉価な食材料などで済ませる日本料理屋の方が遥かに増えているのが実状である。

なにも未知の文化を取り入れて、それを風土や土地や材料や環境に合わせ、クローン化してより良いコピーとするのは日本人の専売特許では無いのである。日本人が器用で、繊細で、柔軟性があるなどと云うのは、そもそも甚だ主観的でただの自惚れでしかない。

日本食は、日本人のために日本人によって提供されるものであるならば、今後とも世界的な食文化としての価値は無いに等しい。他でもない、廉い労働力でそれらしきものが廉く提供されているから一般的になっているだけなのである。近所のスーパーマーケットでも、デュッセルドルフの日本の業者が寿司マシーンで作った寿司が並んでいる。物色している者を見たことがないので、いずれ退却するものと思われる。初めは野菜の横に出来合いサラダと並べられていたのが、魚売り場の前に位置替えした。価格は見ていないが、出来合いのものは冷気にあてられて乾燥してなんととも気持ちが悪いのである。

先日も独日協会の例会で寿司を家族にお持ち帰りした日本のお母さんがいたが、京都出身の韓国人が作ろうが、キムチ手巻き寿司であろうがこれの方が見た目が良い。そのような二年ほど修行した寿司職人(日本食の本物の板前は軽蔑を込めてこう云う)が作るお店であろうとそれの方がここでは本物なのである。

趣旨説明には、「日本の正しい食文化の普及」と書かれているが、これは由々しき言及である。一体、何をもって日本食と云うのであろう?本家カレーライス、米国産肉を使った牛丼、地中海産のトロ握り、冷凍焼き餃子、お好み焼き、冷凍ラーメン、韓国産海苔の弁当、蟹棒が蟹かまぼこ、防腐剤漬けのガリ、缶詰入りの稲荷揚げ、ウインナー入りナポリタン、ジャガイモのコロッケ、カリフォルニア伝来の鉄板焼きなどであろうか。

スターリン体制下のソヴィエト共産党でも食にまで及ばなかった 文 化 政 策 統 制 には唖然とさせられる。少なくとも意味も実体も無い市場保護と正直に云うべきであろう。なるほど、元来新自由主義と云うのは、いつも特定のロビー活動と利権の分け前に預かる者のためにあるスローガンでしかないから、そうしたネオリベラリズムのイデオロギーにも反さないのである。

ソヴィエトの崩壊から学ぶことは多い。保護される文化は必ず滅びる。もしくは、スローフードを隠れ蓑にしたジャパニーズ・ファストフード構想は、日本食文化を徹底的に破壊する。そうなれば、いよいよ効率の悪い日本の水田は必要なくなる。米の自給どころの話ではない。

日本からのドイツへのある旅行者は、「マクドナルドがあると安心して注文して食べれる」と云うのであった。厳密には、コーラのように地域によって味付けを変えていると云う話もあるが、基本的に同じ物がグローバルに世界中で買えると云うのがその良さであるらしい。ここに是非注目して頂きたい。認証される日本食とはこのようなものであるのだ!

農林水産省は、其処まで全てを計算に入れているのだろう。メディアで情報が流されて、それに一般大衆が反応するように、日本食の価値に自惚れている訳では決してないのである。恐ろしいことである。特定産業の業者やその利権争いのお蔭で、日本食文化が破壊されるだけでなくて、自給が出来なくなってしまうのである。一層のこと遺伝子操作で作業効率の良い陸稲を育成するべきではないだろうか。現在のような水稲の白米を日本人が十分に食べれた時代は、歴史的に見てそれほど永くはないとも思われる。水田風景はいずれ過去の原風景となるであろう。

参照:
Yahoo!投票 海外の日本食レストランでの和食、どうでしたか?
今言を以って古言を視る [ 暦 ] / 2006-11-02
MAY I HAVE A KNIFE? [ 料理 ] / 2007-07-13
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今言を以って古言を視る

2006-11-02 | 
断末摩の涙の日の様相より続く)古楽器による上演と云うのが、近代の終焉における芸術音楽としての回答である。謂わば 近 代 ルネッサンスの中で、その啓蒙思想を溯るような方向で注意深く試みられる音楽的文明批判である。

その遥か先に見る封建制と云う乗り越えてきた社会を顧みる場合、政治学者の丸山真男からの孫引きとして、福沢諭吉が明治人の利点として挙げる、「擬似封建制での自らの前半生の体験と近代西欧における過去の封建時代への時間的距離の差は大きい」とする見解を思い出す。また江戸時代の徂徠学の萩生徂徠が、原始儒教への復帰を主張する伊藤仁斎を批判して語る「今文を以って古文を視、今言を以って古言を視る」の困難性がある。それが、未だに近代文化を啓蒙するマエストロ・ムーティーの「モーツァルトのオペラにおけるイタリア語のレチタティーヴの尊重の主張」にも拘らず、その近代楽器を駆使する音楽性と演出などで、ほとんど評価を得なかった理由であるかもしれない。

ここで参考にした書物には、先の演奏会のバッハ芸術の本質に繋がる興味深い記述がある。比較文化論を展開しようとはことさら思わないが、それは身近なコンテクストで今言で行う翻訳のようなもので、異文化紹介の一方法でもある。これまた萩生徂徠の「訳文ぜんてい」での漢語理解への懐疑や福沢諭吉の西欧文化紹介における儒教用語の逆利用の方法である。

つひにゆく道とはかねて聞きしかど きのふけふとは思はざりしを  在原業平

水戸光圀の支援を受けて『万葉集代匠記』を編した契沖(1640-1701)は、この歌の直裁を褒め称え、本居宣長(1730-1801)がこれをして大和魂と呼んだ。葉隠の思想などは、こうした不慮の事態に備えるための修行指南のようなものである。

これに対して契沖と宣長の中間の世代となるヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)は、1726年にカンタータ「我が終わりのだれぞ知らん」BWV27を初演している。その歌詞は、死期を待つ瀕死の無名作詞家のもので、赤裸々な命乞いのようでもあるが、自らの死の床自体が客観視されて、何時の間にやら自らの虚構の世界において既に天国への門を潜っている。そして、「もうここが天国だったらなあ」と仮定法的に綴られる。それは新約聖書ルカの福音書七章「やもめの息子を生き返らせる」に説明される死者の蘇りの情景である。

大バッハは、こうしたテキストに対して的確な作曲をしている。バッハ家の先人たちの主観的な感興に訴える音楽とは異なり、福音の世界観を明晰に音化しているのが比較すれば一目瞭然である。大バッハと云われるその偉大さはこうしたところに証明される。

プロテスタント的に死の突然の来訪を歓迎して、恐怖と不安をもってその死を顧みて、生の成就としての死を知る。それは、むしろ本居宣長の大和魂よりも潔い葉隠の生死感により近い。

去る月曜日の会はその曜日からか、または演奏者の一般的知名度や評価を示しているのか、一般発売席は大分余っていたようで八分の入りにも達していなかった。休憩無く一時間半以上繰り広げられた死への教会合同的ミサ礼拝は、更にバッハの二曲の曲を含めて演奏された。そこに居合わせた聴衆の感応度は高く、またしてもアルテオパーの巨大な演奏会場は、あたかもルター教会の会堂化したような趣であった。(終わり)
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断末摩の涙の日の様相

2006-11-01 | 
レクイエムの会に行った。トーマス・ヘンゲルブロック指揮のバルターザー・ノイマン合唱・管弦楽団の演奏である。

モーツァルトが最後の筆を置いたと云う八章節目に至る箇所、セクエンツァ(続唱)の「涙の日」からQUA RE-SUR-GET EX FA-VI-LLA(は い より よみ が える とき)のシラブルに音節をくっきりと区切る。音価が二倍ぐらいに感じるほどにして、フォルテへと解放する事で、昇天と云うようなイメージを明確に与える。

曲頭の入祭文からセクエンツァのこの「涙の日」までのその凝縮した主観的な緊張はここで解き放たれる。その後のオッフェルトルムでは、祭壇にパンとワインが捧げられて死者のためのミサ式次第は進む。作曲家の死を暗示して並びにその白鳥の歌が弟子によって引き継がれるところでレクイエムは客観へと転じる、それは「死者のためのミサ」の精神にそれほど違わない。これがまさにこのレクイエムの独自の形式となっている。

こうした発想をそのまま示す事自体が、非構造主義的解決法と云っても良い。丁寧に音化される、その前のめりテンポとロマンティックの対極にある演奏実践は、更に「レコルダーレ」では、よく云われる「妙なるラッパ」の魔笛的重唱にも勝る、最高傑作オペラのどのシーンにも負けぬような情感の吐露を繰り広げる。しかし、それは改めてこの作曲家の舞台劇での卓越を示すだけではない。

またそれに続く「ラクリモーサ」へと繋がる「呪われし者」での音高で示される天からの呼び出しの空間的な上下感などは、空気を支配し切らないバスの軽やかな足取りのその些か浮き足立った情景でもある。

古典派の曲となると、古楽器の弓使いや息使いと、合唱の山形フレージングが、ハーモニーの協和の山を準備するのみならず、正しいアーティクレーションへの契機となるのに気付く。実はこうした高い精度の弓使い表現は、カール・べェームなどと云う二十世紀の最高のモーツァルト指揮者が現代楽器を対象に行っていた。ただ、そうした現代楽器奏法は、音価、拍、小節、動機を均一化し均質化してその近代的機能を重視するばかりに本来音楽の持っている素朴な表現の力強さや精妙さを欠くことになっていた。

またファン・カラヤンのモーツァルト演奏はそれほど悪いものとは思わないが、この曲の録音を比べると、いかにもレクイエムと云う同郷の作曲家の白鳥の歌を名曲として全体像を把握し易くするために、 場 面 の 視 覚 的 な印象を強調している。それは、流れをあまりにも容易に設定して、細部を全体の部分として機能させているに過ぎない。これは全体における一声部でもある合唱部にも云えて、合唱付き曲を得意とした指揮者でもあるが、こういう風に器楽的にかつ平均律的な感覚で人声が扱われると、「歌なぞはいつも音程外れで、器楽的な感覚からいえばあんな不正確なものは聞いていられない。」となる。実際にこの発言をしていたのは、但しベェーム博士であった。

現代の古楽器演奏実践では、明らかに旋律の持つ音楽的ベクトルが強調されていて、その和声・律動の方向性がくっきりと浮かび上がるようになっている。であるからして近代奏法との相違を見れば、経過的に動くとする以上になにも表現出来ていなかった楽想にも、そこでは音楽が活きつくことになる。

その様な近代とは一体何であったかの、また異なる様相が、敬語を話題としたTAROさんの記事とそれに対する助六さんのコメントに示されている。そこで助六さんは、ルネ・ヤコブス指揮の「ドン・ジョヴァンニ」の公演をパリで観劇して来て、その微妙な言葉使いを指摘している。フランス革命の余波と云うべき思潮は、芸術家モーツァルトを理解する場合大変重要である。

それを、台本家ダ・ポンテが1603年出版の「スペインの放蕩者と石像の客」を土台とした創作、そして作曲家との共同作業において見て取ることが出来る。そしてこのオペラの核心にあるその思潮は、近代のオペラ上演の実践のなかで何時の間にか脇へと追いやられていったようである。それは、当時の封建制度の空気を残した時代における過激さが、そして徐々に影も無くなって形骸化した封建文化が、ブルジョワジーの文化の中へと、その管弦楽の 発 展 とともに解体されていく近代文化史の様相でもある。(今言を以って古言を視るへ続く)
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