Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

甚だしい科学的無知蒙昧

2011-08-18 | アウトドーア・環境
どこまでまやかしの道化芝居をするのだろう?世界の誰一人として工程表などというものをまともに信じてはいない。内外から注目されている?安定冷却、避難者の帰宅などと戯けたことを述べ続けている。流石にあまりに恥ずかしいからか、茶番劇の政治的責任を逃れるためにも細野大臣は逸早く合同記者会見を逃げ出すのである。自らもまともなことをしているとは思っていない証拠である。

そもそも「水素爆発の危険性も予期せず」に発電所所長などをやっている者がなにをVIDEOで愚考を語るのだ。さらに統合記者会見で質問に対して、東電の相沢副社長は、「建屋が爆発することなど、論文等でも知られていなかった」と再びまやかしの答弁をした。こうした人が、原子力を動かしているのである。これは無知識では無くて無教養なのである。これをただのテプコの業務上過失罪で済ませれる理由は無いのである。

ヨハネス・ケプラーが「月旅行の夢」を語ったラテン語が新たに独訳された。注文しようと思って書評を読んでいるのであるが、科学における視座や思考態度が正しく訳されていればそれで良い。

それと同次元で考えてみれば良い。福島の事故で報じられた不思議に対する素朴な疑問をである。

ブラックアウトから早急に外部蓄電器で回復させられなかったのか?

なぜ、圧力容器に冷却水が入らなかったのか?

ヴェントの前に放射能が既に環境に漏れていたのに、なぜ圧力が上がり続けたのか?

水位が上がらずに注入した冷却水はどこへ流れたのか?

テプコは、水素爆発回避機構をなぜ設置していなかったのか?

こうした素朴な誰もが感じていた疑問と、所謂「安全神話」と呼ばれる「神話」の所在には密接な関係があるようで、日本の行政機構と同様如何に日本原子学会と呼ばれる学会が、学問やアカデミズムや科学とは一切関係の無い無知蒙昧の集まりであったかが表れているのである。

たとえ技術工学分野での思考態度としても、対象をどのように評価するか、その評価の視点をどこに築いているかを知ること無しに ― これは日本の「ジャーナリストと偽称する連中」が中立的な報道と呼ぶ愚かさと同様のものである ―、なにもハイゼンベルクとかシュレディンガーなどの大それた名を挙げるまでもなく、せめて一般相対性理論程度の「認識」すらを持ち合わせずに百年後の今の核技術者でありえるのだろうか。

「原子力むら」とか呼ばれる一味の連中の科学的教養の無さは甚だしいが、それが日本の近代化の歴史の象徴であったのだ。要するにアカデミズムとかいわれるもののその質と日本の政治社会のその程度とはなんら変わらないということであり、奇しくも「福島後に世界は変わった」と発言したメルケル博士が殆ど枕詞のように「高度に科学技術の発達した日本で起こった事故」と強調した真意はここにある。

どうも日本の文化人とか知識人とか呼ばれる人達にこの意味が解かる人は数えるほどしかないようである。自立神経失調の記事にリンクを含めて宗教的な視座も付け加えたのだが ― 脳神経学者クリストフ・コッホ博士の「深淵にぶら下がる意識」も認識しながら ―、それはなにも癲癇を起こすようなそうした意識にこそ宗教がある訳でもさらに科学がある訳でも決して無いのであるが、 そ れ はある意味「再生エネルギーなど存在しないと見得を切る」井戸の中の蛙的に蛸壺で一生を終える人達の「無意識な視座」をはじめて定める「環境」としての意識的視座と考えて間違いない。

要するに世界観の無いところには科学的な視座も無く、科学的な視座無くして世界観も生じない。ケプラーのそれはなるほどキリスト教世界でのピタゴラス・プラトニズムの基礎に立っていたのだが、現在の日本の科学者がそれ以上に科学的な基礎に立っているなどと信じる人はいまい。



参照:
細野補佐官のついた嘘 2011-06-08 | テクニック
再生不可能な科学的教養 2011-08-09 | 文化一般
はなの憂鬱 - 情報操作 2011-03-21 | アウトドーア・環境
収容所送りとなる人たち 2011-04-04 | 雑感
記憶にも存在しない未知 2007-05-27 | 文化一般
脱構造の日の丸の紅色 2007-12-12 | マスメディア批評
万世一系、無窮のいきほひ 2010-01-17 | 歴史・時事
ヨハネス・ケプラーのワイン樽 2004-11-17 | 数学・自然科学
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とてもとても長い長い道程

2011-08-17 | 生活
今朝思いがけず小包を受け取った。日本からのもので六月二十七日に投函されたものだった。小包であるから郵便と同時に通常ならば五日から十日の間には手元に届く。

中身は日本茶であった。静岡の茶の汚染騒動と解禁を聞きつけて急いで来年までの分を古い茶っ葉から集めたのだった。条件として掲げたのは、原産地の比較的確かな昨年の葉であった。若干問題となったのは三月十一日以降の恐らく関西での包装で、丁度日本全国が激しく汚染されているときの空気を吸い込んだ商品ということになる。しかしこれに関しては今後2011年の新茶として出てくるものと比較するとその汚染度は限られていると考えても良いだろう。

当然のことながら京都の供給元も「独自に、放射線量測定器を用いて検査し、安全性を確認」と、六月中旬にプレスリリースしているのであるが、その後はあまり基準値以上のことは語れないであろう。流石に老舗と言ってもこうした状況で出来ることは嘘をつかないことでしかない。

しかしここまで練って入手してもドイツの検疫で引っかかったに違いない。そこまで詳しい情報は申告書にも記載されず、そこまで苦労して仕入れた物だとは誰も分からないからである。紛失届けを一週間ほどに出したことで何とか物が動いたのだろう。中を開けた様子はないのだろうが序にガイガーカウンターで検査してくれていればさらに安心である。想像するに個人での物流においてもこうした状況が各地で毎日繰り返されていたに違いない。

一部には古米などの米の在庫がなくなって品薄感が市場で演出されていると聞く。しかし、こうした一般市場での激動はまだまだこれからで、お茶のように最初に降り注いだヨウ素の影響を受ける葉ものは最初の収穫だけでそれ以外は果実類を含めてそれが保存処理されたものが特に危険である。土壌汚染からの移染の農作物の多くも一年の辛抱だけなのだが、本当に不足に陥る可能性は乳製品や肉・魚介類に違いない。韓国の商品ももはや福島からあまり遠くないと言うことで検査対象となっており、当然のことながら東電が分厚い請求書をソウルやもしかすると便乗する平城から受け取るのも遠くないのである。

自身と無関係な日本の食料品市場を煽る気は更々ないので個々の商品の不足予測をするのは控えたいが、品不足が起きる商品は数知れないだろう。そうした状況が解決するには数年かかるのではないだろうか?そもそも食の安全性などには興味の無い人間であるが、決して少なくない投資をして態々嗜好品を取り寄せるのであるから、強く汚染されたものならば欲しくないのである。このあたりは、お茶もワインも同じような意味合いであって、厳選する価値があると考えている。



参照:
たとえ昨年の茶葉であろうとも 2011-07-05 | 生活
チェルノブイリ後の土壌汚染 2011-08-10 | 歴史・時事
安全デマで五山の恥さらし 2011-08-08 | 文化一般
「情熱食品 勝田店」さんで初めて買物をしました。(茨城県ひたちなか市) (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天候不順の自立神経失調

2011-08-16 | 生活
とても肩が凝っている。今年になって初めてか?途中フランスに滞在していたのだが悪天候から五週間も本格的なスポーツクライミングから遠ざかっていたからだ。そして水曜日に続いて日曜日の朝から三時間ほど天候が変わるまで攀じた。

特定の運動不足のところを特定の部位を激しく使ったからの筋肉痛のようだが、先ずは水曜日のあとに足の脹脛にきて、日曜日のあとの昨日は腕と肩にきた。パンを取りに行くついでに二十五分ほど走ったのだが、余計に肩に血が集まったように感じた。タイムが一向に全く伸びないので不愉快であるが、これは持久戦しかないのである。

土曜日にはサーロインステーキの良い部分を280グラムほど食した。ラインガウ産アスマンハウゼンのヘーレンベルク2009年産を開けた。六月に州立醸造所のクロスターエバーバッハで試したものである。アルコールは13.5%と高かったのだがとても質が良くて簡単に開けてしまった。シュペートブルグンダーとしての味筋は若干個性に欠ける山イチゴ風で物足りないのだが、これは浅漬けか濃い漬けかの差で彼の地のテロワールとしては普通である。

日曜日は、レヴァーのパテしか食すものがなかったので、バッサーマンヨルダン醸造所のアウフデアマウワーと呼ばれる天然酵母リースリングを開けた。直ぐに売り切れている代物なので先ずは購入しておいて吟味するということであった。予想通りまだまだ飲み頃には早いが、2010年の破壊的な酸と天然酵母の丸みが美味く平衡していてなかなか飲み心地が良い。

先週は、モーゼルの雄であるJJピュルムの2007年産ヴェーレンのゾンネンウーアの甘口カビネットを開けてみた。やはりまだ甘みが強いので、ワインを愉しむというまでいかない。もう少し酸が効いていればと思ったが、もう少し糖が落ちてくれば良いのかもしれない。

日曜日に岩場で面白い風景に出会った。一つは他所の親仁さんが降りてきてからフラフラしていて、どうも自律神経失調症状が表れていた。そのとき立っている靴のそこの形状とかもあるのかもしれないが、時々そうした症状には身に覚えがあるので、人のふりを診て、初めてそうした症状であると認識した。三半規管の影響だろうが、それほどアクロバティックな動作を要求されたわけでもなく、ただ三十メートルを超えてさらに三十メートルほどの大きさがあるところを懸垂下降したからだろうか?

頂上から一度目の懸垂下降ではパートナーがザイルの長さが足りずに降りてしまったりと、やはり不注意さが目立った。バイオウェザーの関係ともいえるが、そのあとには一本目のハーケンまでザイルをつけずに登り始めたのには驚いた。まさか気が付いていないとは思わなかったからである。こんなことは長い経験でも初めての経験である。天候と自律神経の関連も全く否定は出来ないであろう。なるほど当日は強風と共に雲が飛び、一旦は晴天となり、また強風とともに嵐がやって来た不順な天気だったのである。



参照:
自主避難の自主判断基準 2011-08-14 | マスメディア批評
同じ土壌で考えるべきこと 2011-08-07 | アウトドーア・環境
福島から明日が変ってくる 2011-03-27 | 歴史・時事
チェルノブイリ後の土壌汚染 2011-08-10 | 歴史・時事
獅子のように強い心で 2011-07-08 | アウトドーア・環境
再生不可能な科学的教養 2011-08-09 | 文化一般
セミ時雨の夏、おしょらいの夏(後編) (壺中山紫庵)
ドイツでの国際教修会について (3) (小閑雑感)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真実に与しない東京の官僚

2011-08-15 | マスメディア批評
八月十一日付けのFAZ新聞の飯舘村発の記事を読んだ。とても重要な情報が散りばめられている。

飯館村のシギハラさんは、三月十一日以降相馬市の工場での仕事をなくし故郷の農家で過ごしている。60歳の氏は、三月十八日には孫や子供など若い人は政府の自主避難勧告を受けて故郷をあとにした今も、発電所から約四十五キロ離れたそこに居座る。当地では村の入り口の検問所で今も9マイクロシーベルトをガイガーカウンターが指し、12マイクロシーベルトに至る場所があるという。

同行した放射線安全フォーラムのタダさんが現在除染に取り組んでいるのだが、その具体的な計画は村から提出されていなかったようで、そのときはまだ遅れて出された国からの指示で避難処置に追われていたとある。そして、除染をしてもその汚染土の処理が出来ないと、細野大臣が言動が示しているように、政治的判断が全く出来ていないと非難する。

つまりこうした高濃度の汚染を移動させることはそもそも罰則行為であり、その処理も決まっていない行政の不備はそのまま政府の不行き届きとして、犠牲者を増やしたその情報統制の人道的犯罪とはまた別の次元で裁かれるべきなのである。つまり、強姦殺人の犯罪の死体遺棄も罷免ではないということに等しい。

その汚染物の処理や一時保管は、福島第一原発周辺三キロ地区に持っていくしかないと思われるのだが、そうした合理的な判断をも阻害する情報政策が生きている限り、政治経済社会的、科学的な意味での収束などはありえないのだ。まさにそうした掛け違いの危機管理から、危機を越えての好機どころか、底知れない暗黒へとテプコとともに地獄落ちへと向かっているのが今の日本社会なのである。

それでも「十分に空間線量が落ちてきたところで、除染を進めて、帰宅してもらう」ととんでもない恥さらしな発言をしていた細野大臣も、「住民と面会して考え方が変わった」と語るように、もはやどのような住民層もテプコや政府の「帰宅の可能性」の情報などを一切信用していないことに気がついたと言う。

夏休み前までは伊達市小学校の校長先生だったサツキさんも住民の深い不信感をあと打ちする。つまりタダさんの手助けを借りて何度も苦労して除染をしたにも拘わらず、結局は親御さんたちは水泳も校庭での活動も許すことはなかったとのである。そして今信用できるのは自分が使っている線量計の値でしかないという。

ハノーヴァーのライプニッツ大学のロルフ・ミシェルは、降雪によって百キロ圏まで地域的なファールアウトの事実を記した論文を発表した。そして、駐東京大使館の技術官ハインツ・ハウリーは、今回の取材に同行して毎時0.05マイクロシーベルトを計測して、「ミュンヘンの方が高い」と信じられない眼差しをする一方、日本の外務省はドイツの科学ジャーナリストを現地に派遣したいという大使館の申し出に対して、「住民は彼らを歓迎しない」と拒否したと裏話を披露する。しかし実際に現地に出向いてみると、「東京の官僚主義の言明は全く真実とは異なっている」と即時に悟ることになったと報じる。「飯館、伊達やいわきの人々は殆ど例外なく、この数ヶ月に起こったことを語ろうとしている」と記事を閉じている。



参照:
Gegen die unsichtbare Gefahr, Carsten Germis, FAZ vom 11.8.2011
☆ 日本政府は東京を離れる準備をしている。by ABC News(8月9日アップ) (風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句)
知性に劣る民を卑下する美徳 2009-04-06 | マスメディア批評
襲い掛かる教養の欠落 2007-07-27 | 雑感
資料で読む官僚組織活動の歴史 2010-11-10 | 歴史・時事
日本人よ、恥じを知れ! 2011-03-25 | マスメディア批評
グリーンピース発表によると 2011-03-30 | アウトドーア・環境
割れ窯に慰めなどあるのか? 2011-03-31 | アウトドーア・環境
重要な歴史的証言となる事件 2011-05-01 | 雑感
適当に行程表などを作成して 2011-05-15 | マスメディア批評
歴史に残る宰相 菅直人 2011-05-20 | 雑感
情報の隠蔽も未必の故意 2011-07-01 | マスメディア批評
独駐日大使からの福島報告 2011-06-29 | 雑感
東北・関東の農産品の廃棄 2011-08-11 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自主避難の自主判断基準

2011-08-14 | マスメディア批評
福島からの自主避難者への保障が問題となっているようだ。政府は自主避難を促した訳で東電が一時金や実費を出すのは当然であろう。子供が甲状腺癌になってそれを全て保障するよりは安くつくからこそ自主避難勧告を出したのであった。

稼動中のモックス燃料を燃やす原発から三十キロ以内に住む者としてはとても他人事とは考えられない。もし事故が起こったなら風向きを見て風上に徒歩で移動することはいつも考えていたが、今回のように時間が十分にありそうならば車に荷物を詰めて避難することも可能だったかもしれない。

チェルノブイリの事故の回顧などを観るとソビエト政府は何千というバスを用意して軍の指揮の下で、優先順に住民を避難させた。今回の福島では日本人としては十分に速やかな避難行為はなされず無駄な被曝を強要させられたのであった。だからこそ自主避難の有意性は高く、自主避難に対する援助は欠かせないのである。

自らのことを考えれば、ワイン街道が汚染されるようなことになれば、もはや戻ってくる価値はないように思う。唯一の文化であるワイン文化が崩壊するからである。もちろん数年後には除染も進み、葡萄への移行は計測値以下になっていて、もしかするとセシウムが混ざった土壌で今以上に興味深い味のリースリングが出来上がるかも知れない。しかし、それを市場で主張できるだろうか?やはり、どこか違うのである。

なるほど先日も飲み頃を狙って開けたバッサーマン・ヨルダン醸造所の2008年産ペッヒシュタインの土壌は、実は人工的に裏山の採石場でとれた玄武岩が偶々撒かれた特殊な土壌であったのだ。そしてこれは熟成して開いてくるには瓶詰め後最低二年ほどの期間が必要なのでなかなか初心者どころか長年の顧客にも選び難い商品なのである。

同様に区画整理から丘の裾の石灰質の土砂を上に積んだダイデスハイムのホーヘンモルゲンなども人工的な土壌の特徴をが功を奏したのであるが、石灰土壌で丸く飲みやすく分りやすくなるものと、複雑さを与える場合ではやはり受ける印象は異なるのである。逆に、飲み頃が難しくそれを予想して飲み頃を抑えてあたるときの喜びはまた格別なのである。

ここまで考えると、セシウム土壌のリースリングを飲みたいとも思わないが、なによりもその面白さ以上に経済価値があるかどうかの問題である。セシウムの汚染には人々の生活の営みはなく、やはり災害でしかない。万が一、特別にその土壌が素晴らしいとしてもそうした特殊性を求めるならば遺伝子工学でもっと都合の良い方へとスマートに人工的に導けるのである。

要するに土壌汚染は農産物にとっては致命的なのである。それ以前の価値に戻るには何世代もかかるだろう。不凍液騒動で風評被害を受けて、その後二十年ほど掛けて、ビオデュナミで農薬を使わない有機農業と地所のテロワールを売り物とした高級ワインとしての市場を欧州でやっと築きだしたのだった。そして、それは手を掛ければ掛けるだけ価値のある土地として、稀にみる動植物の生態系として、我々地域住民の住環境として掛け替えのないものとなってきているのである。だから、全てを一瞬にして台無しにしかねない原発は困るのである。

NHKが福島の甲状腺でのヨウ素の検出を報じた。当然の推移ではあるけれど、その多くは政府や行政組織だけでなくてNHKの正しいジャーナリズムによって無駄な被曝を避けられた筈である。こうした情報を流す前に情報統制の真実を先に謝罪するべきなのである。

毎日新聞が、昨年のドライフルーツを使って地元の材料でクッキーを焼く福島の子供たちの様子を伝えている。これほど馬鹿げたニュースは見たことはない。一体どうしたニュースヴァリューがあるのか、どのような情報操作意思があるのかさっぱり分らないが、そもそも小麦が福島産であるわけがなく、危ないのは卵ぐらいだろうか。なるほど、もはや疾病への不安無しには生きていられない子供たちが希望を持つことは大切であるが、安全デマ活動に子供を使うのは殆ど小児虐待ではないだろうか ― まるで強制収容所の活動を伝える宣伝や大日本帝国のそれに匹敵する宣伝記事である。



参照:
The Weeping Demon Pt. 2 (YouTube)
世界一安全なクッキー 福島の小学生が県産食材で、町田徳丈 (毎日jp)
進化という自然環境の神秘 2010-07-03 | アウトドーア・環境
エコと呼ばれる遺伝子工学食品 2010-01-16 | アウトドーア・環境
食品による内部被曝の予想 2011-07-29 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二十五年前の市民の連帯

2011-08-13 | 歴史・時事
「五山送り火」の為の陸前高田の薪の汚染量が発表された。キロ当たり500Bq*ほどなので予想通り都内のものよりはまだ綺麗だろう。それで中止することの決定は京都の住民の意思であるからその是非を議論しても仕方がない。重要なのは、その数字以上の「情報の伝達」なのである。

チェルノブイリ25周年の独仏共同文化放送局制作番組をネットで視聴した。放映は311以後であるが、制作はそれ以前なので福島については触れられていない。それでもその内容はチェルノブイリを経て福島後の日本を含む社会の動きの原点であり、現在に直接に繋がっている。

スェーデンでの異常発見から、西ドイツ、東ドイツ、フランスでの対応を平行して扱っていく。そしてその背景にある社会や政治状況、世論を描き出している。

フランスに関しては、核保有国であり中央集権のお国柄が、その原発推進政策とともに国民に真実を知らせなかった事情とその影響が映し出されて、一党独裁の東独での事情とも重ねられている。その東独での資料から、ソヴィエトへの問い合わせやその反応など興味深い裏事情や、反原の地下発運動も紹介されている。

そうした中央集権の国々に挟まれた西ドイツの連邦共和国で何が起こったかをみると、そこで現在の脱原発への取り組みの道筋がつけられていたのを知るのである。連邦州で最初の緑の党の大臣となったフィッシャー氏が語るように、「さあ、これから、これから」では何時までもそうであり続ける「従来の革新」が多くの人々に不安感さえ与える運動方針からさらに進んで長い道筋をゆっくりと登っていくことで多数決を獲得できるのだという議会制民主主義の根本が再提議されている。

結局ヴィリー・ブラントの背後にいて脱原発を進めていた社会主義者ゲルハルト・シュレーダー首班の連立政権で、はじめてそれが具体的な政治課題となって、緑の党の最も大きな政治課題の一つとして今日に繋がったのであった。

そして当時母親であったり妊婦であった人達の証言は、今我々が福島の彼女らの声として聞いても何一つかわらないのである。ミュンヘンで一般的な保守党支持者であったお母さんが緑の党のデモに参加していくような状況は、まさに情報の欠如からの政府不信と怒りがなした行動の変化であった。

これに対応するかのようにフィッシャー氏が語る地方議会の市民への近さが政治家として大きな財産となったとしているように、地方自治からのボトムアップの重要さを示していて、今や国民政党となった緑の党の支持基盤の拡大の道程であった。

さて、福島においても様々な有意義な自主的な活動が繰り広げられていて、ミュンヘンのお母さんが当時語っていたように、「政治的な支持層枠を超えた連帯意識を強く感じたことは未だ嘗てない」様な状況となっているのである。

また日本の原子村と同じように西ドイツにもドイツェバンクやダイムラー、テュッセンなどの大企業がスポンサーになって原発推進の広報組織が活躍をしたのだが、チェルノブイリを境にその活動は事実上崩壊して、それ以降原発を一基も新設出来ないまま、老朽化した原発から操業停止へと追い込まれていくのであった。


*後になって1130Bqと増やされた。どうも報道規制が無きにしも非ずで、安全デマへのマスメディアの貢献は大きい。



参照:
Die Tschernobyl-Wolke/German,
Le nuage - Tchernobyl et ses consequences/French (ARTE)
Die Wolke - Tschernobyl und die Folgene/German,
Le Nuage de Tchernobyl et ses Conséquences/French (YouTube)
初盆に配慮で統合会見休止 2011-08-12 | マスメディア批評
安全デマで五山の恥さらし 2011-08-08 | 文化一般
誰の生活が第一なのか? 2011-08-04 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初盆に配慮で統合会見休止

2011-08-12 | マスメディア批評
記者会見がこのようなことで久しぶりに盛り上がっているのをみると情けない。「送り火」でも話題となったが日本の伝統文化などはこの程度なのだろう。

皇居も凄まじい放射能で汚染されて、陛下のお手植えの稲なども汚染されたに違いない。既にご病気であるからご自分が食されても問題は全くないのだが、出来れば政府関係者やテプコの連中に恩賜の米でも呉れて遣れ。

昨日の土壌汚染地図を改めて詳しく観察すると、千葉の柏市や流山市それに江戸川区の当初からもれ聞こえていた汚染地帯以上に松戸市、それに埼玉の汚染には驚かされた。川を挟んで対岸などでなくさらに山沿いに放射線物質雲が流れた深谷市などの明らかに地形的にそうしたミクロ気象が現われる地域が酷く汚染されている。もちろん移住の必要もある汚染濃度が出ている三郷市などは川による下降気流の気象の特徴が現われたのだろう。

福島県の中でも福島市などもさらなる移住が試みられているようだが、南茨城や都内さらに神奈川県でも少なくとも除染の必要がある地域は数多い。さらに、セシウムの濃度から恐らくそれよりも飛んだヨウ素や北茨城から福島宮城圏での飛ばなかった重金属系の放射核子の分布が推定できる筈である。そのような分析は各国の政府の情報筋が全て保有しているに違いないのだが、それを防災に利用するかどうかはその政府や行政機関の判断に係っているのだろう。

引き続き1986年のチェルノブイリの西ドイツの対応を省みると、当時の内務大臣であったフリードリッヒ・ツィンマーマンの言葉が好んで引用されている。それは、事件後四日後の四月二十九日に「チェルノブイリ事故によって西ドイツ国民には全く危険はありません」として「30KMから50KM圏外では危険がない」と言明していた。「三千Bqを越える..を食してもその量から航空機で大陸間移動するぐらいの被曝量だ」、そして数日後には野菜が安全を期して廃棄されることになるのである。これは枝野官房長官の発言ではない。

それどころか、「ドイツの原発は世界で最も高価で安全で、二重どころか五重の安全装置がついている」と豪語する裏では、「必要」な気象情報を発信しないように気象台に命じていたという。これも菅政権の取った処置ではない。さらに「現地の状況が十分に分らなくとも、万時準備は出来ていている」とまで語っているとなると笑えない。その質どころか能力の低下も顕著な日本の官僚組織がどのような考え方でこうした処置の仕方を模倣しているかを思い知らされる。当時西ドイツ市民ではなかったメルケル首相はこの近歴史を勉強しているからこそ、当時議論となった情報政策の不備を今回日本政府に注意を促したのであった。

しかし、五月の末にはそうした非常事態は解消されて野菜なども市場に出るようになったようだが、人によっては数ヶ月間はドイツ産の野菜を買わず牛乳も飲まなかった者のいたようだ。

セシウムの移行係数は、セシウムが如何に結合しやすい土壌かで異なり、耕すほどに深く沈んで行き表面の汚染度は落ちていくようである。野菜の根は毎年植え替えられるので影響はなく、幸いにも被曝一年目の移行だけが問題となる。土壌の汚染は半減期以上に長く三百年ほどは元には戻らないようだ。



参照:
1986: Die Tschernobyl-Lüge,
Die Wolke - Tschernobyl und die Folgene (YouTube)
東北・関東の農産品の廃棄 2011-08-11 | アウトドーア・環境
チェルノブイリ後の土壌汚染 2011-08-10 | 歴史・時事
食品による内部被曝の予想 2011-07-29 | 生活
安全デマで五山の恥さらし 2011-08-08 | 文化一般
反社会的犯罪組織を解体せよ 2011-08-01 | マスメディア批評
独駐日大使からの福島報告 2011-06-29 | 雑感
心を揺さぶる貴く強い振る舞い 2011-05-11 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東北・関東の農産品の廃棄

2011-08-11 | アウトドーア・環境
月曜日の統合記者会見で独第二放送の記者が質問していた。内容は、私自身も前日に見つけた三万Bqを超える水田の汚染情報から、避難区域外の広範囲に土壌の汚染状況を調べていなかったので、二度に亘る米の検査でも管理しきれないのではないかというような質問であった。

細野大臣はその事実を知らず、今後の検査で十分に管理できると思い込んでいるようであった。善意にそれをとれば農林水産省からそうした情報が故意に上げられていないのであろうが、政府方針としての事故の矮小化を考えれば当然の対応とも思われる。

5000Bqを越える汚染の水田は福島だけでなく、宮城・茨城・千葉などのホットスポットでは桁違いのセシウムの汚染箇所が見つかる筈で、そもそもそうした甚だしい汚染地域で農作活動を許可したのが誤りなのだ ― これではまるで無駄に働かせるだけ働かせて命を奪う「ARBEIT MACHT FREI」としたナチの死への強制収容所ではないか?ここにも日本政府と行政機関の非人道的な処置が如実に現われている。

チェルノブイリ後の影響を引き続き省みているが、二千キロ離れたバイエルン地方でも五万Bq前後の桁違いの土壌汚染の地域が見つかっており、福島における関東平野東北での土壌汚染はその程度ではありえない。

当時の西ドイツでは市場がそうした汚染物を受け入れないことから、スーパー「レーヴェ」一社だけでも1986年5月に二億円以上の乳製品や野菜が放棄されたという。

さてここまで書いて、最新の情報が入った。首都圏での土壌調査の結果である。予想通りで、二十三区のホットスポットを除いた都内や神奈川の汚染はバイエルンの最も激しい場所の汚染ぐらいである。

予想以上は、ホットスポットなどの半減期の長いセシウム137が八万Bqを越える文京区小石川などを含む地域の点在で、その中には移住が必要なほどの区域が含まれるほか、そこまで至らないまでもあの当時避難が必要だったような地域が記されていることである。

概ね、駐東京大使館などが発動した関東退去勧告はかなり当を得たもので、それが出来ていればヨウ素による青少年の甲状腺癌の多発は避けられたに違いない。しかし不可逆な被曝は、刑事訴追の対象となってももはやそれ以上致し方ない。今後は内部被曝を如何に抑えて疾病数を極力下げるかでしかないのだ。そのためには、即太平洋岸の岩手県から静岡までの東北・関東の農産品を廃棄して、食卓に上らせないことしかなかった。それ以外に将来に備える方法はないと確信する。しかしこれもヨウ素に関してはもはや手遅れであったのだ。チェルノブイリの牛乳に相当する食品による健康被害が間違いなく生じるだろう。



参照:
全国土壌汚染調査がはじまりました!
首都圏土壌調査結果pdf
巻頭土壌汚染調査結果マップpdf (放射能防御プロジェクト)
チェルノブイリ後の土壌汚染 2011-08-10 | 歴史・時事
水稲の汚染状態を予想する 2011-08-05 | 雑感
食品による内部被曝の予想 2011-07-29 | 生活
計画通りにならない核分裂 2011-04-11 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チェルノブイリ後の土壌汚染

2011-08-10 | 歴史・時事
山には緑のどんぐりや栗が落ちていて一段と秋らしくなってきた。一雨毎に、風が吹く毎に夏が遠のいていくようだ。

1986年の連邦共和国におけるチェルノブイリ禍の食料政策や社会を省みている。その夏に初めて欧州を旅行したのだが、その直前や生活観まではあまり分らなかったからである。それでもTVニュースの記録などを観ると幾らか記憶に通じるものも少なくない。

何よりも驚いたのは今毎日のように口にしている農作物の畑からの食料品が一斉に廃棄されている様子である。バイエルンに続いてシュヴァルツヴァルトやプファルツはセシウムなどで汚染されたのであった。平米あたり2000Bqを超えるところは殆どなかったので、今回の福島禍における首都圏以南から静岡のそれに対応しているのではないかと思われる。

さて静岡のフォールアウトによる汚染量を調べるが、なんと土壌もキロ当たりにした数値しか発表されていない。土壌一キロとは何だろう?土壁を食するような落語があったが、表面に降り積もっているものをどうやってキロで測るのだろうか?どうも故意に情報操作が行われているようだ。静岡は性質が悪い。もはや静岡のお茶などは世界では売れない。筑波大学のアイソトープ総合センターの末木啓介准教授の測定地域にも含まれていないからこうした暴挙が許されるのだろうか?悪質な安全デマである。

86年に戻ってワイン産地の汚染状況などを見るとモーゼル・ルーヴァー流域では8000Bqに近い著名な地所が含まれる地域の汚染が目に付く。ワインの場合は今でも遠く海外市場に出ていることを考えれば気をつけなければいけないが、逆に半減期以上に熟成させてしまえばそれほどワイン自体の汚染状況は激しくはないであろう。しかし放射能の影響で熟成は変るだろうか?

TVの古い映像に戻って、ここからが本題である。映像で語るように後年のドイツ連邦外務大臣フィッシャー氏が、緑の党の連立でヘッセン州の環境大臣として、乳児用ミルクの規制値リッター500Bqを強く批判しているように、保守政治と新進の環境政党などの間で激しいやり取りがあったのだろう。

連邦共和国はヘルムート・コール首班の連立政府の一期目で、官房長官をショイブレ博士が担当していた。そして事故を受けて環境省が設置されたのであった。また一連の当時のニュースにはワルシャワパックに含まれていた数百キロ離れた全ポーランドでの学童へのヨード剤の投与風景があったが、西ドイツではヨウ素の半減期の影響でもはやそれほど重要ではなかったということである。

結局当時の西ドイツの市場の動向を考慮して、2000Bqを超えないようなヴォルムスのほうれん草も全てその場で潰されて、バイエルンの路地もの野菜は廃棄された。それどころかそのまま土壌は耕されて現在に至るのであった。しかし資料が示すように三十年間もの半減期のセシウム濃度などは毎年減少していくのだった。

ゆえに、福島はおろか茨城や千葉などの全農産物は当初から出荷停止にして廃棄処分にすべきだったのである。先ずそれをもって市場の食料への不安を和らげて尚且つ有機農業やその他の試みの価値を下げないことである。耕さないことで除洗も容易になった筈である。

小出氏の仙台での講演後の質疑応答にもあるように汚染地域に指定されていなければ十分な農業の補償も受けられないような行政を許してはならない。一体、日本政府は食料の供給量の不足を恐れたのだろうか?それともテプコを護るためか?それとも十分な量の食糧自給自足率がばれないように、全廃棄処分を恐れたのだろうか?まるで電力の隠し供給量の発覚と同じようにである。



参照:
Tschernobyl: radioaktive Wolke über Europa (YOUTUBE)
Deutschlandkarten der Radioaktivität seit Tschernobyl,
Bodenkontamination mit Cs137 im Jahr 1986 (Landkarten Blog.de)
伊東市内の放射線物質の調査結果について (伊東市)
千葉、茨城で土壌から通常の400倍セシウム 筑波大調査 (福島原発・東日本震災に関する情報集)
同じ土壌で考えるべきこと 2011-08-07 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再生不可能な科学的教養

2011-08-09 | 文化一般
再生可能エネルギーを自然エネルギーと呼びたい思考態度が分った。日本発のYOUTUBEを見て武田氏の発言などを偶然に見つけた。やはり科学に対する基本的な教養が日本人には欠けているという、明治以降の富国強兵のなかでの科学技術文化導入と教育の問題だと再確認した。

その詳しい解析に関しては先ほど触れた日本近代史の新著の小冊子やレヴィ・ストロースなどの本の内容を改めて吟味するとしても、結局は日本の近代化の様相を明らかにすることでしかない。

再生可能エネルギーは永久機関と同意義なのか? - どうしてこうした言動が生じるのか理解に苦しむ。なぜ、未だに日本人が産業科学技術をリードすることがありえないのかの致命的な状況がここにある。

たとえばバイオマスエネルギーのCO2ニュートラルの性質などは、「再生」のもっとも典型的な発想であり、大気中の炭素の出入りをマクロの量で計るだけの発想である。実際にはバイオエネルギーを効率よく生産するための遺伝子工作などによる植物の栽培や採取などが必要で、当然のことながら環境に与える影響は化石燃料以上に甚だしい。

同様に、自然の運動エネルギーや位置エネルギーを発電などの代替エネルギーとして利用する場合、エントロピーの拡大と消費や損失は間違いなく生ずるのであるが、その全体量をマクロに無尽蔵と見ているに過ぎない。

なるほど科学・技術史的に展望すれば、内燃機関の発展から核開発へと至っているのであり、それ以上の経済性や合理性のあるエネルギーなどは容易に得られないことは承知である。

光の弱い関係で北海での風力発電が重要となってきている連邦共和国においても、経年耐久性の低い風力発電などは過渡的な再生可能エネルギーであり、サハラ砂漠での太陽熱構想もその経済性や環境へ影響の条件付きなことは周知の事実である。

脱原発での主力エネルギー源は石炭の火力であり、天然ガスなどの化石燃料であることは変わりない。しかし、技術発展の文明の進歩には、レギュレーションなどの環境の枠組みと具体的な推進策が不可欠なのである。文明などは自然に螺旋状に前進などしないのである。持続可能とは、言い換えると設置された環境の枠組みでしかない。

そこでは、カーボンニュートラルにおける石油メージャーの思惑とそのロビー活動や政治が重要な役割を果たしているのと同じように、議論の中での社会の合意形成が健全な進歩への大切な要素となっている。

科学技術を誤りなく扱うには、無為自然な哲学などではなくて、どのように社会がその技術を消化して利用するかという智慧でしかないのである。なぜ、まともな知識人のいない後進国の日本に原爆が落とされ、福島の事故が起こる必然があったかの答えがここにあるのだ。

だから、菅首相の脱原子力宣言を聞いて、FAZ新聞などはその「根拠のないエネルギー政策」に驚きを隠さないのである。



参照:
原発廃止後のエネルギー貯蓄 2011-04-10 | テクニック
再生可能な環境税の導入 2011-06-11 | アウトドーア・環境
脱原発は集団ヒステリーか? 2011-06-15 | 文学・思想
ベルリン、原子力の創世と終焉 2011-07-07 | 歴史・時事
潮流を正しい力に換えるには 2011-07-30 | テクニック
獅子のように強い心で 2011-07-08 | アウトドーア・環境
風車と冷却塔のある風景 2006-04-14 | アウトドーア・環境
現実的エネルギー政策 2006-10-18 | アウトドーア・環境
観光資本化されている近代工業 2010-05-21 | テクニック
とっても危険で、ちょっと面白い 2010-05-22 | 雑感
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安全デマで五山の恥さらし

2011-08-08 | 文化一般
「被災地の松、「送り火」使用断念」と読んで驚いている。なるほどエゴイズムが否定的にしか考えられない訳である。伝承行事や宗教的活動においてこうした否定的なエゴイズムが通じるなら、もはやまともではないだろう。「盂蘭盆会ト称シ精霊祭等停止ノ事」となるのは当然のことであろう。

陸前高田の被災の木材を京都五山送り火に使おうという企画が、なんと放射能汚染の不安から変更になったという話題である。関西の人間にとっては福島も陸前も同じ太平洋側の東北で同じであることを考慮しても、あれだけ情報が流れているのだからその距離感は茫然と分っているに違いない。

そしてその企画の内容も知らされている。まさに京大の小出氏が問いかけるように、「家族同然のペットが被曝したからといって、それを汚物のように扱えますか?」ということになる。

実際のところ、陸前高田までの福島からの距離は二百キロを越えていて、都内までとかわらず、寧ろ風向きからしても地形からしても遥かに首都圏よりも汚染が少ない筈である。京都の宗教関係者は首都圏からの物資を拒否して贅沢な生活が維持出来ると思っているのだろうか?

それどころかセシウムの汚染は間違いなく宇治茶にも現れている。なるほど静岡の非常識な茶の出荷への認識を京都府は分かち得ないだろうが、我々から見ると狭山茶も静岡茶も宇治茶も味噌糞一緒である。

一体こういう風に一体誰がしてしまったのだろう?正確な表示や情報を与えることに消極的な日本政府の隠蔽体質がこうした悲劇を招いたに過ぎない。そうした悪の循環が日本を席巻しそうであるが、誰かがこうした流れを止めなければいけないのである。要するに安全デマと呼ばれるものが現実をその環境をしっかりと見据える態度や能力を市民から奪っているのである。

ハイデルベルクがそうであるように琵琶湖や宇治川沿いに原発を使用者負担で設置しないから、こうして民意が高まらないのである。しかし若狭で事故が起きれば陸前高田の距離の半分ぐらいしかないので、被害はそれほど変わらないのである。



参照:
アメリカから (たるブログ)
誰の生活が第一なのか? 2011-08-04 | マスメディア批評
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同じ土壌で考えるべきこと

2011-08-07 | アウトドーア・環境
もう一つの天然ガスであるシェールガス採掘についての技術的話題を書くつもりであった。しかし、これはどうも代替エネルギーのまた化石燃料の位置づけを先ず抑えないとその意味合いを十分に理解できないことが分った。スレート層から採取する化石燃料である。

スレート層といえばワイン産地のモーゼル地方を思い起こす向きもあるだろう。四月の地方選挙直後に、我々が昨年挙って建設に反対したアウトバーンの高架橋の処置が社会民主党と緑の党の連立構想で決まった。BBC、ニューヨークタイムス、ファイナンシャルタイムスまでを巻き込んでその反対運動を訴えたのだが、高額な連邦政府の助成金と産業と過疎化対策のより重要な政治が歴史的ワイン栽培と風光明媚よりも重要視された結果であった。

世界からの反対署名は最終的に五千名に至ったようであるが、所詮その程度であるというのは実感である。新聞が書くように世界的権威のヒュー・ジョンソンらのエリートのエゴでしかないといわれても当然なのである。

この政治的決着が発表されたときはまだまだ福島が安定していなくて、とても環境問題として同じ土壌では考えられなかったのだが、今は状況が違う。そもそも原発問題はこうしたエゴの問題であり、自らに問題が降りかからない限り、誰も真剣に考えようとしない。それどころか政治は一般社会のためにこうした結論を出しており、それは社会の共通認識とそれほど離れていないのである。

だから、その地方選挙のキリスト教民主同盟の首班であった元ワイン女王のクロッカー女史が、シュピーゲルの記者などを交え名醸造家プリューム家に集った折にも、その民主的な決定への過程の公開などが欠けていて十分な理解が得られていなかったと、「建設に反対は出来ないながらも問題点」を指摘している。同じような事象はシュトッツガルトの駅前開発事業にも現れていて、複雑で大規模な公営事業を如何にガラス張りに出来るかという点が今更ながら民主的な社会の合意形成の基本となっている。

その点では、核開発というのはいつもその背後には核武装の本質が隠されているとすれば、オープンな形で議論が出来ない性質なものであることがその宿命であったと知るのである。同時に地域エゴの問題としてそれを考えてしまうと、やはりその合意形成の手順を誤ることになるのである。それどころかその事故の被害などは一地方や国の枠組みを大きく超えてしまうのである。

要するに、今日本で議論となっているように、地元が再稼動を認めるかどうかの問題では一切ないのであり、その利益や不利益は特定の地域や社会層などに限られるものではないということを明白にしなければいけないのである。



参照:
Wenn Reben weinen, Thomas Holl, FAZ vom 27.4.2011
放射能汚染は、みんなの街にもやってくるのに。 (そおやったんか! )
デジャブからカタストロフへ 2005-02-19 | アウトドーア・環境
あまり愛されていない地域文化 2010-04-24 | ワイン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島・長崎を相対化する福島

2011-08-06 | 歴史・時事
一年前には想像すらしなかった感興の変化である。世界の環境が変わってしまったからか?

広島に続いて長崎に原子爆弾が投下されてから、その爆発力の凄まじさ以上に核の放射能の被害に皆恐れ戦き続けた。しかし今回の福島を経て、核兵器というのは抑止核でなくて戦略核として本当に使える可能性を皆が知ったのではないだろうか?

一時日本が核武装する是非についてネットでも盛り上がった時期があったが、今回の福島から原発を維持することの前提に核武装の準備と意志が不可欠なことがあることを理解した。原子力発電所の平和利用を核武装と別個のものと考えていた大多数にとっては青天の霹靂のような事象であった。さらに核廃棄物試掘と称して、核地下実験も直ぐにでも出来るような設備を用意してある。

広島・長崎の市民は、原子爆弾と福島を相対化して欲しくはないと切望しているようだが、福島の被曝はその規模からしても新たな指標となってしまい原発開発のその先にあるものが白昼の元に曝されてしまった。もはや誤魔化しは利かない。

ネットでは五日の福島と仙台での小出氏の講演会が放送されていた。特に福島でのそれは大分前にあった武田氏の講演会に続いて、同地の赤裸々な表情を伝えていた。質問時間における会場からのそれは明瞭には聞き取れなかったが、小出氏が「郡山の小学校の汚染土の処理の行き先として原発近くの永遠に不毛の地を挙げ、さらにその結果核廃棄物の最終処分地となりかねない福島の現状を示す」と、不規則に会場から「止めてくれ」とまさに悲鳴が上がったのである。

もはや復興などはない福島第一原発近くの強度の汚染地域は、将来とも立ち入り禁止地区となるのであるが、その土地さえ「合理的」に使うことの出来ない不条理さが原発開発であり、その経済性というまやかしなのである。

黒澤監督には、「八月の狂詩曲」という長崎プルトニウム爆弾を描いた映画史上の名作があるが、同じ晩年の「夢」も見逃せない。オムニバス形式でありながらその中の多くが「福島」を描いているのである。

この世界的に高名な映画監督に先見の明があったとか予言したということでは無いのである。そこに黒澤映画の表現力とか芸術性とか言われるものがあったとしても間違いないであろう。

日本では、原爆と福島の二つも偶然に日本に齎されたと考えているのだろうか、それは大それた思い違いであろう。先日発売された日本の現代史の小冊子にも、レヴィ・ストロースの本にもそれは間違いなく深く刻まれている。



参照:
Village of the Water Mills Pt. 1 ,
Dreams - "Mount Fuji in Red" (1990) Nuclear Disaster in Japan - Hollywood Prediction or NWO? ,
The Weeping Demon Pt. 2 (YouTube)
8月5日 小出裕章氏の福島市での講演会 (IWJ)
ケロイドの皮膚感を覚える 2007-08-06 | 暦
レヴィ・ストロースの福島感 2011-07-02 | 文学・思想
迎撃構想の世界戦略 2007-03-13 | 歴史・時事
何がために不愉快な存在 2011-06-22 | 歴史・時事
役立たずの旧ヨーロッパ 2007-03-21 | 雑感
世界的評価の高まる菅政権 2011-06-03 | 歴史・時事
消し去ることの出来ない無理 2011-05-30 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水稲の汚染状態を予想する

2011-08-05 | 雑感
水田の汚染状態が関心ごとになっているようだ。ミュンヘンの汚染の研究から推測すると5000Bqを超える水田の地域は限られていると思われる。なるほど一部の北関東の地域では軒並み1000Bqを超える水田地帯が出てくることは分っているが、それを遥かに越える地域はそれほど多くないに違いない。

しかし、バイエルンでの淡水魚の汚染状況などを見ると水が流れる場所よりも流れが集まってくるような湖での汚染の方が川よりも高く、そこに生息する淡水魚の汚染は軒並み1000Bcを超えていた。

さらにセシウムの汚染の場合に重要なのはカリウムの含有量であって、稲作の場合もカリウムを与えることによってセシウムの吸収を抑えることが出来るのである。稲の生育の適切な時期にカリウムを与える対処法は各々の地域で推奨されていたようで、そうした対処を施した上でどれほどのセシウムの汚染が計測されるかが稲作農業者にとって関心ごととなっているのである。

その中で興味深いのが移行係数と呼ばれるような土壌の汚染と生産物の汚染との関係で、稲作で0.1という数字が示されているようだが、実際はどうだろう?傾向としては汚染度が高ければ高いほど係数も高くなるようで、高汚染地域ではこの係数よりも高くなると予想する。

そもそも農林水産省と首相官邸は、シュミレーションから最終的な数値を先に仮想設定してこうしたは発表を繰り返しているので、予想外の数値は出ないということになるのだろう。むしろ水田の水が予想よりも強く汚染が凝縮しているのではなかろうか。だから陸稲の方が本来は安全なのである。

兎に角、今回の食物の放射能汚染でそのトレーサビリティーをセシウムなどが受け持って、日本国民はスターリニストやナショナリストが常時脅かしているような低い食料自給率などというのは真っ赤な嘘で、国内生産の食料が汚染されてしまうと何も食するものがないことに身をもって知るであろう。東ドイツでそうであったようにチキータバナナやコーヒーやその他のものは贅沢品であり、そんなものはそもそも趣向品なのである。



参照:
食品による内部被曝の予想 2011-07-29 | 生活
3.11以後世界は変わったのだ 2011-07-31 | マスメディア批評
溢れる情報のトレーサー性 2011-07-25 | 生活
否定に躍起となる米報道 2011-06-07 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰の生活が第一なのか?

2011-08-04 | マスメディア批評
統合会見の様子を耳にした。「回答する記者団」と称する活動があって、その名の通りネットで寄せられた質問を記者会見でぶつけるという新機軸で面白い試みである。そこで、先日ドイツの気象台が停止した予報を是非引き継いで遣ってもらいたいというような意見があったが、SPEEDIの情報が毎日流されていると思っていたので先ずは意外であった。

どうも過去に遡るものだけで予報としてはまだ一度も出していなかったようだ。これも「なぜ今頃?」の話題なのだが、なぜそれを今もしくは今後遣らないかに関しては、ドイツの気象台ともども、もはや同じような回答しか得られないであろうことは既にここにも書いた。ネットの質問者を回答者に近づけるためには、やはり記者団が質問を編集する必要がある。

つまり回答される内容は殆ど字句とも分っているので、その先を越して質問しなければいけない。現在の十億ベクレルの継続した排出は決して少なくなく、近辺の者が避難しなければいけないような原発事故が毎日起きているようなそれが継続する場合は ― 実際に避難圏内の風下の汚染は減少しないどころか増えていて、帰宅などというのは笑止千万な嘘である ―、累積の排出量としてかなりの量になる。それに関してはその質問の前に報告もあったわけであり、多くの被曝者を生んだ最初の二週間に予報を使えなかった反省を踏まえて、「今後予想を開始する状況やその時の発生源のパラメーターの入れ方など」を質問するべきであったのだ。

今後考えられるのは、風向きとの関係もあるが降雨や降雪によって集中的に放射線物質が各地にフォールアウトするような状況であり、そうした気象条件においては臨時予報情報を出す必要があるかもしれない。それを除くと、冬から春に掛けての汚染の厳しい場所は既に退去命令が出ているわけで、夏から冬への気象条件などを今後予想すればよいのである。逆に今度は発生源のパラメーターを入力することが出来るわけで、どの程度のフォールアウトがあるかも予想できるのだ。

結局政府がスピーディを使わなかった結果の「なにを反省しているのか」を問わなければ話にならないのである。実際は、「パニックを避けるという大義名分」があり、政府行政組織が適当に情報が廻らない人々を犠牲にしたということに他ならないのである。それに関しては責めを受けても今後とも修正するつもりはないであろう。それが政治の一貫性なのだ。だから多くの市民が不必要な被爆を避けられなかったということを菅首相も一言も詫びてはいない筈だ。

そして晩発性の直ちに生じない疾病に関しては責任をとらない姿勢を明白にしており、これに関しては菅首相に直接詰め寄るべき質問である。あれだけこき下ろしながらぶら下がり取材においてもそれについて言明を得られない日本記者クラブという組織は「奴らとグル」であるという証拠を示しているに過ぎない。

今頃子供手当てとか公約とか給わっている鳩山や小沢何某は、嘗ての自民党員としての責任からも、被曝した子供たちや被災した子供たちに自腹を切って数十億か百億円単位の援助をしたのだろうか?現役政治家は出来ない筈だ。であるから国民の懐から、 ― 我々が東ドイツ人に対して多額の連帯金を納め続けているように ―、被災者に日本国民一人一人から強制的に金を融通するのが政治ではないのか?それこそ「生活が第一」の政治なのである。己の恥を知りたまえ!



参照:
お役目御免の福島汚染予想 2011-07-28 | BLOG研究
反社会的犯罪組織を解体せよ 2011-08-01 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする