Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

前乗りの費用の値踏み

2022-07-16 | 生活
ザルツブルク行が問題だ。車は準備したが、前日のブラームスツィクルス二日目の開催時間が午前にされたことから、前乗りの必要が出てきた。前乗りしても初日はまだその前日なので出かけられない。ザルツブルクも精々リーム「レンツ」の上演ぐらいで、その為にティロルとの中間点から往復する程ではない。

つまり木曜日の朝11時に会場に入ろうと思えば、夜中に起きて遅くとも4時には出発しなければ難しい。確実に着こうと思えばと真面に睡眠が取れない。音楽会が終わって、昼食をして、チェックインする頃にはボロボロであろう。前乗りで水曜日15時に着く為には、途中でミュンヘンに寄って買い物をしてもよい。ピクニック準備で食事は準備可能となる。そして翌日木曜日に午前中に演奏会、昼食をどこかで摂るか、直ぐに着替えをして山の上まで登る。

金曜日にチェックアウトしてオーストリア国境まで移動して14時過ぎからチェックイン。朝食を早朝に済ませておけば、昼食を早めに道中で摂って、オペラ開始18時即ち16時まで午睡すればよいだろうか。

キムゼーのアパートメントを予約した。二泊で145ユーロなので、元々の一泊64ユーロよりは80ユーロ程余分に掛かる。更にそれ以上の催し物は無し。走行距離は殆ど変わらない。食事や木曜日の天候と過ごし方によって費用が変わってくる。燃料代はゆっくり走れればその方が消費が少ない。

もう一つ、バイロイト音楽祭の新制作「指輪」が31日日曜日から始まる。担当する指揮者が陽性のフィンランド人からシュトッツガルトの音楽監督コルネリウス・マイスターに代わった。是非第一クールに行きたいと思う。しかし余り券は1000ユーロ以上の四日券しかない。価格のみならず正式に購入すると待ち順番を失うので、どなたからか分けて貰う必要がある。ばら売りなら購入可能だ。当日ならばバラが出るだろうが、行ってみないと分からない。一枚でも目星がつけば確実になる。

帰り道にバイロイトに寄るならば、レーゲンスブルク経由で350kmである。そこからワイン街道までは334kmなので、ザルツブルクよりも380kmほど増える。要するに片道分も即ち倹約できない。普通に往復で668kmなのでミュンヘンよりも近い。50ユーロも節約できないので、その為に宿泊すると損になる。

結論は金曜日のザルツブルクの公演が終わって、軽く打ち上げをして、翌朝朝食後の11時まで粘って、帰宅が土曜日の18時前となるか。

8月5日にはバイロイトからの生中継ストリーミングがあるので、それ迄に評価が定まっているだろう。8月3日の「ジークフリート」も狙いかもしれないが、同日は近所でリニヴ指揮のウクライナユース管弦楽団の演奏会もある。



参照:
コロナ禍以前の水準に 2022-07-15 | 雑感
ザルツブルクの勘違い 2020-08-10 | 文化一般
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コロナ禍以前の水準に

2022-07-15 | 雑感
早朝に少し走っておいた。陽射しが弱かったゆえか不思議にも気温は高くなく、摂氏18度以下だった。日陰はヒヤッとしていた。ランラントプファルツ州で唯一山火事が五つも起きていて、如何に乾いているか。室内にいればそれほど喉は乾かない。やはり直射日光が厳しい。

谷の横の斜面では放牧をしていて羊がいるのだが、早朝に行くと谷底を越えて林道まで降りてきていて、なにか小学生の通学風景の様でもあった。帽子を被ったようなペアーとかでフラフラしていて近づくと茂みの中へ入り斜面の上へと移動していた。やはり歩きやすいところを通って、お勤め場所に逸早く移動するのだろう。その割に糞があまりなくてこれも驚きである。集団の規律が強そうだ。

下りてくると、GPSを気にして上がってくる親仁がいた。近づくと精悍な顔をしている、先方は僕の帽子のロゴを見た。挨拶したが、すれ違いで自信がなかった、駐車場でBJのナムバープレートを見た。バッサーマンヨルダンのメル親方だった。結構な年齢の筈だけど顔つきと体つきから走るのかどうかは知らないが十分にスポーティだと思った。先方も最近は顔を出さないが、ワイングラスの帽子をつけて、熱心に回っていると気が付いただろう。職人さんである程度手足を動かしている人はやはり不健康な感じはしない。

レンタカーを撮影しておいて、シャワー朝食後に車を取りに行った。車中の放送が伝えるように空港ではコロナ前の70%以上の客が戻って来ていて、人員が足りないことから混乱しているように、出かけている人が多く、マンハイムの街中も空いていた。

アイスボックスなどをレンタカーから積み直して、銀行で現金を出して、地元の警察を目指した。ベルを鳴らしても反応がなく暫く待たされたのは、後に事故現場があったのを知ったのだが、出払っているということだった。暫くして人が出てきた時に無理やり押し込んだ。女性警官にサッサっと処理して貰った。警告金はいくら払ったかなど訊かれたが、適当に答えておいた。25ユーロで半年以上延長できたのはお得だった。更に車検も前日の13時半ごろに通過しているので、あまり手を掛けずに通った可能性がある。オイル交換ぐらいはしたのだろう、レンタカーよりも静かに、しなやかな走りになった。

その足で洗濯屋でシャツを回収、先週警察に捕まったパン屋で買い物をして、八百屋、スーパーに寄って、それで全て片付いた。

週末はザルツブルク旅行の宿泊などの変更を試みる。車は立ち往生する可能性は少しは下がった。少なくとも国境越えでの問題は無くなったので、オーストリアから出入りしてもい。しかし間近に迫ると部屋もないかもしれないが同じようにキャンセルなどが出て、流動的とはならないか。今夏に関しては従来ぐらいの渋滞等を計算しておかないといけない。



参照:
雄叫びが上がる合格 2022-07-14 | 生活
ブリッジを一年間架ける 2022-07-13 | 生活
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雄叫びが上がる合格

2022-07-14 | 生活
合格の知らせを受けた。夢の様である。自身の受験よりもどうしようもない車検で、マイスターがうまく運んでくれるかどうかが大きかった。これでザルツブルクにもルツェルンにも予定通り出かけられる、それどころかパトカーを恐れることがない。

2019年には排気装置が最早無いということで、車検が一年延びた。偶々部品をOEから直接探してくれた親切なマイスターがいたからで、その前の人には見捨てられていた。その間何回か国境も超えたが、何時停められるかひやひやしていた。

そして今日も車をメーカーの支店に持ち込むために走っているとパトカーが背後に現れてびくびくしていた。モラトリウムの紙を持っていなかったからで何回も停められるのは嫌である。

そして早めについた支店で前夜に送った新車の事で話しを聞くと、「もう注文できない、売り切れだ」と答えられて、新モデルの発売時期もまだ未定とされた。こうなると繋ぎの車は少なくとも一年ぐらいは必要になる。

そこでマイスターにその話を伝えると、「車を借りても経費が掛かるからそれぐらいは何でもない」と何とかしてくれと頼んだ。すると「分かった」とドイツ人としてはとても物分かりがいい。彼には何回も依頼していた筈だが、今回はこれは可能性があると感じさせた。そしてとてもザッハリッヒで仕事が出来そうだと分かった。それでも部品などが揃わなければどこまでやってくれるかは分からなかった。その不安があった。

遅めに電話が掛かってきた。

「合格」、

「オオー」、思わず雄たけびである。ブンデスリーガ―応援だ。

「一年ぐらいはまだ走れるでしょう。」

こんなに嬉しいことはない。もう少しでもしかすると満足できる車が見つかるかもしれないというところで、漸く動機づけが出来上がったところだったからだ。

勿論デザイン等あまり分からない。でも可能性が広がってきた。マイナーチェンジの新しい時はお買い得だと思う。


写真:借りてきた車の小さなエンジン



参照:
ブリッジを一年間架ける 2022-07-13 | 生活
高いアヴェレージ 2019-11-07 | 暦
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ブリッジを一年間架ける

2022-07-13 | 生活
散髪に朝一番で出かけた。週末からは来週明けへと摂氏40度までの酷暑が再び予想されている。サマーカットとして出来る限り短くして貰って、気になるうなじが掴めなくなる迄短くして貰った。これで少しは涼しく過ごせると思う。8月11日から再開なので、涼しくなるころだ。もう一月先まで次回を伸ばせるかどうか。

車の事を調べている。年内に2023年モデルが発表されるらしい。恐らく発注もできるのだろう。デザインは小さなモデルチェンジなのでそれほど変わらなさそうだが、若干洗練された感じはある。

電気自動車の記事も読んだが通常に走れるのは400km程でアウトバーンになると距離は短くなるらしい。そこで最高速が落としてある。恐らく時代はそのようになって来て、現在の時速250kmリミッターがより下げられる可能性がある。20%から80%への充電は38分ほどで行われているが、気温とか電池の状況によって大きく変わりそうだ。しかしそれに反比例して自動運転化が進むと、所要時間は変わらずに高い速度での巡行運転が可能になる筈だ。

例えば、ミュンヘンの劇場の地下駐車場まで走らせると、通常ならば問題なく入庫出来る。その場合もボードコムピューターの情報に従うことになるらしい。その場合でも駐車場で場所が空いていないと充電できない。其の儘充電するならば一幕も要らないので問題ない。

やはり、強制的に充電時間が必要となるならば自動運転化が欲しい。アルコールは飲めるかどうかは別として、休憩時にゆっくりと食事が出来るとかならば一日中は10時間近く即ち1000kmほどワンストップで走れるのが望ましい。

レヴェル3とされる半自動化運転が装備されるようになり、更に時代が変わって行くことを示している。アウトバーン以外でも制御されるところがあるようで、全自動とされるレヴェル4にも近づいている。

上の情報を整理すると、先ずはハイブリッドで考えてと、一年ぐらいの繋ぎの車が必要になる。それをどうするかだ。

ティロルでの音楽祭の日程が変わった。オペラが遅れからソワレ―に押し込まれて、ブラームスプロがマティネーになっている。朝早く出発しないと間に合わない。日にちがずれていれば使えたかもしれない。車の問題が片付けば早朝出発は可能で、午後に時間が出来ることになるが、足の便を決めてからだ。


写真:鏡の外れたサイドミラーを上から見たところ。



参照:
映るアラトスカーナ 2022-07-03 | アウトドーア・環境
トウモロコシはまだか 2020-08-08 | 生活
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ラトルを際立たせる名前

2022-07-12 | マスメディア批評
日曜日のオープンエアーを観た。前日とは異なってARDネットのTV生中継だった。その分放送時間も一時間となっていて、些か物足りない。司会に名指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの孫娘に当たるマリア・フルトヴェングラーがあたっていた。女医さんで人気女優であるが、進行はあまり上手ではなかった。後妻のエリザベートの連れ子アッカーマンの娘になる ― アッカーマンは指揮者の甥と幼馴染で結婚しているのでフルトヴァングラー姓となる。一か所だけ気に入ったのはバイエルンアクセントで話したところぐらいだろうか。因みに旦那はメディア王のブルダなのでバーデンバーデン祝祭劇場にも関係がある。つまりドイツ連邦共和有数のセレブとされるだろうか。確かに司会だけならばゴッチャルクなどの方が巧いが、名前だけで指揮者サイモン・ラトルが際立つという事になるのか。

ジョン・ウイリアムス作など全くくだらないプログラミングで、コルンゴールトの「ロビンフッド」を演奏しても本場のロスフィルの様には鳴らなく、一体こんな演奏で良いのかとは思ったが、BR交響楽団の顔ぶれを見ていても高齢化が進んでいて、あまりそれ以上には求められないとも思った。前夜とは異なり、日曜日のそれも22時前となると街も静かになっていて、聴衆もずっとと少ない。前日には新演奏会場での建設中止意向への抗議活動を行っていたのだが、何かそちらの方が意気が上がっていたようにも思える。

ワインの話しと絡めて嗜好という言葉に近いものが音楽芸術愛好などにも使われることがある。「好き嫌い」の言葉で切られる。ワインにおいても例えば酸に弱いとかタンニンが苦手とか、酵母臭や亜硫酸が苦になるとか人各々である。しかしある程度玄人とされる人はそうした判断の基準軸を幾つも定めている。

要するに好き嫌いというのは、芸術音楽の判断には当たらない。恐らくそこで問題になるのはその基準軸の置き方になるのであろう。その基準がまた時代によってトレンドによって変わってくるのでより複雑になってくる。そしてそれを扱うのは取り分け難しい。

しかしそれでも西洋芸術音楽の歴史から演繹的に評価していくと、駄目なものと新しいと評価されるトレンドとは異なる。それは歴史的な評価でもあり、美学的な評価でもあるのだが、もう一つ科学的な評価というものもある。

その点からBR交響楽団がジョンウイリアムズの映画音楽を取り上げて、映像を超えた音楽的な云々と紹介するときに既にこの交響楽団と第二楽団であるBR管弦楽団との相違を無くしていることになって合弁縮小化は間近に迫ったと思われる。前途多難なサイモン・ラトル体制である。



参照:
暮れないミュンヘン 2022-07-11 | 雑感
黒い森からの今と昔の像 2018-10-21 | 文化一般
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暮れないミュンヘン

2022-07-11 | 雑感
ミュンヒナーフィルハーモニカーのオープンエアーを観た。今迄は常任指揮者だったゲルギーエフ指揮では観ることもなかった。それ以前にはティーレマンが振っていたのだったが殆ど記憶がない。昨年はヴィオッティが振ってワンがピアノを弾いていた。とても酷い指揮だった。

そして今年は主無きにハーディングが指揮した。エールフランスのパイロットで指揮活動をしている人であるが、いつもの様にメンデルスゾーンの指揮は悪かったのだが、共演したヴァイオリンが冴えていた。同じヴァイオリニストで同じメンデルスゾーンをバーデンバーデンで聴いて、学生かと思うほど酷かったのだが、とても歌い口が冴えていた。恐らく共演したブロムシュテット指揮のヴィーナーフィルハーモニカーがあまりにも邪魔をしていたのではなかろうか。後半も今まで経験した音楽会の中で最低のものであったのでさもありなんである。これならばユジャワンと室内楽をやっても悪くはないだろう。聴きに行ってもいいぐらいだ。

つまり、ハーディング指揮でその叙述はとても悪かったのでヴァイオリンが引き立てて、それについてきた感じになるのだろう。兎に角苦慮して主題を描くのだが、そのあとがいつも同じように発展しない。音楽の叙述法が分かっていないから主題に苦労してそのまま難しいところに陥る。先日言及したペンデレツキとハースの差にも相似している独墺音楽の語り口である。この英国人指揮者の何が駄目なのかがよく分かる中継だった。

当然の事乍ら後半のドヴォルザークはメンデルスゾーン以上には期待された。実際に一楽章も鉄道オタク作曲家の鉄男らしい走行感も悪くはなかった。但し二楽章の「家路」になるとどうしても大きな和声の流れも分かり難くなって、聴衆を魅了しないだろう。三楽章はまるで阪急電車急行のように踏切のチンチンが飛び去って行くスピード感とそこから神戸電鉄の田園風景への対比もよかった。終楽章の火のように燃えるのは、コロナ前にムーティ指揮シカゴ交響楽団名演でのコーナリングでの遠心力効果は全くなかったのだが、その前の楽章のコーダでのまるでブルックナーの様に鳴らすフィルハーモニカーとの相性は決して悪くはないと思った。

生ストリーミングを観ていて、薄暮のミュンヘンからツーグシュピッツェへの遠望も美しいと思った。街並みもパリに勝るのはまさにアルプス遠景だ。今まで以上に興味を持ったのは、先月末にマリエンプラッツからダルマイヤーの前を通っての道筋や、五月に出向いた壁向こうのレジデンツのクヴィリエ劇場のガラス張りのロビーとかのスクエアーの情景だった。

ナチの行動でも歴史的になったオデオン広場に戦災で焼けるまで演奏会場があってと今迄気が付かないことも、一時は新会場建設地候補になっていたりと古都のダイナミズムも感じる。



参照:
「シーズン最高の初日」の意 2022-05-24 | 文化一般
殆ど定刻通りの往復 2022-06-28 | 生活
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オープンエアーの季節

2022-07-10 | 
ミュンヘンのオペルンフェストシュピーレの売れ行きがあまり良くなさそうだ。「ピーター・グライムス」も「利口な女狐」もあまり売れていない。今迄で一番入っていたのは二回目の上演で年内最後の「ルードンの悪魔」で盛況だったようだ。しかし、「ブルートハウス」に続いてシーズンでは二つ目に良いとされていた「鼻」は昨年よりも入っていない。概ね評価に比例している。最終的にどのような総括となるのだろう。

近所で開催されるオクサーナ・リニヴ指揮ウクライナユース管弦楽団演奏会のティケットを購入した。各地のツアーの一環であるが、昨年秋にもあったようで特別な支援会計を築いているのはモーツァルトが弾いたオルガンのあるキルヘンハイムボーランデンである。ヴォルムスにも近いが我々ワイン街道からするとその次のアルツァイ近郊となる。車があればご近所であるがさてその時はどのような機動性があるか。いざとなれば列車でも行けそうだが、夜はあまり便がないと思う。少しの金額でも寄付代わりになればそれも目的だ。

因みに演目は、ウクライナの作曲家らしい委嘱曲「シムフォニエッタ」初演と室内交響曲、後半にプラハ交響曲である。出来はどれぐらい練習しているかによるだろうか。

少し胃の調子が悪く、食事量が落ちたら、走って汗掻いて戻ってくると71.4㎏に落ちていた。運動量が落ちているので肥満も心配しているのだが、それなりに代謝も盛んになっているのか。こうしたところでまだまだ脱コロナに成功しているとは感じられない。まだこれからだ。但し数年前と比較すると汗の掻き方も上手くなったように思うがどうなのだろう。朝に再び走るようになって、薄く汗を掻いておくと楽になるで、自らの身体が学んだ反応かもしれない。

今晩はミュンヒナーフィルハーモニカーがミュンヘンのオデオンプラッツでオープンエアーで演奏して、生中継される。オデオンプラッツはヒットラーのミュンヘン一揆での広場で、BR交響楽団の新ホール建設候補地にもなっていた。しかしそうした歴史的な意味合いの保存の問題もあった。

そして来年はそこでPEGIDAのクルスティアン・ティーレマンが指揮することになっているのだが、そこ迄で何か問題が起こらないか。まだ一年先の話しだ。しかし日曜日にはサイモン・ラトルがBR交響楽団を振ってハリウッド映画音楽を指揮する。その前に、新ホール建設予定場所で建設中止の州知事の発言に抗議してフラシュモブとして抗議行動を行った。次期指揮者ラトルにとってもBR交響楽団にとってもなによりも重要な就任条件だった筈で、まだまだ頑張らないといけない。



参照:
短冊が叶う七夕祭り 2022-07-09 | 暦
意向に配慮せざるを得ない 2022-07-05 | 歴史・時事
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短冊が叶う七夕祭り

2022-07-09 | 
七夕に短冊を書いた。「車検切れの車が立ち往生しませんように」という切な願いだった。即効だった。パン屋で買い物をしてそこから出るためにバックで街道に出ようとしたら、後ろ側の道からこちら方に左折しようとするパトカーが目に入った。勿論そこで再び前進して戻ることも可能だった。不信感はあるが、そこで待つことは危ないと思い、思い切ってパトカーの前で切り替えたら、停止命令が出た。万時休すだった。

立ち往生する前に強制停止だった。心のどこかにはどこかでケリをつけたいという意識があったのかもしれない。しかし思わぬ展開となった。本来ならば罰金で減点が付くところだったが、先ずは二週間の猶予で、その間に車検を取って警察に提示することで警告金とされて15ユーロ支払った。もし車検ががなければ廃車だ。

さて、どうしたものか。警察に話したように新車を購入するにしても納入まで半年ぐらい掛かる。その間をどうするかが問題だったのであり、なんとか繋ぎの車が必要になる。先ずは月末のザルツブルク行きである。

先ずは駄目はもともとで可能性があるならば車検を取る。ブレーキディスクなど結構な費用が掛かるかもしれないが、上手くいけばそれで繋ぎの車が要らなくなるかもしれない。そうすれば半年の為にだけでも投資可能だ。先ずは来週車検の予約を入れた。少なくとも受け入れて呉れれば時間稼ぎは可能となる。

先ず、最初から駄目ならば半年間のレンタルを探さないといけない。最近はリーシングに近い方法もあって、比較的採算可能な額でのオファーもありそうだ。しかし希望車両が用意されるまでには二週間ほど掛かる。

もう一つは従来通りに中古車を購入してであるが、乗り潰すような車ならば立ち往生の可能性もある。さもなければ新車を購入するほどの価格で半年も乗ると可也価値が下がってしまう筈だ。

やはり新車をそれまでに発注する準備を整えて、繋ぎの相談をしてみないといけないかもしれない。その時までに準備万端整えておきたい。正直前日からのミルクの無いコーヒーやのど飴で胃を荒らしていて、更にこの様な先行き不明状況になったので不安感もあって、熟睡には遠かった。そして安倍元首相の銃撃の速報が流れてきた。選挙に与える影響は多大で弔い選挙になるとされているが、同時になにか時代の動きが出てくるような気もしないではない。

車検無しで事故起こすのが最悪で、人身事故になれば睡眠どころではなくなってしまう。アウトバーンで立ち往生だけでも社会的にも大変な痛みである。



参照:
そろそろの潮目時 2021-10-21 | 暦
高いアヴェレージ 2019-11-07 | 暦
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独連邦共和国の夏休み

2022-07-08 | 
本年最終公演「ルードンの悪魔」も幕が上がりそうだ。コロナでのキャンセルから初日に続いて二回目の公演となる。残りは来年の三月に三回上演される。今回は完売に近く、愈々話題が高まってきたことを語っている。元来のキャストのヴォルフガンク・コッホが歌うので、新たに評論家諸氏は押しかけると思う。大成功して欲しいと思う。先ずはその結果に待ちたい。

ドイツ連邦共和国の夏休みは北の州から始まった。一週間先の西の州なども夏休みとなる。学校が休みとなると親も休む、多くの人が旅行に出かける。ワイン街道などにも訪れる人がいるだろうか。一番遅いバイエルン州が来月頭からで、その前の週に他の南の州が休みに入る。その中間に東部の州がとなる。当然劇場やホールなどもそこで休館となる。

今年は例年に増してワイン街道でも人足が少なく、バイパス工事も終わったようで静けさが戻ってきている。恐らくポストコロナで挙って多くの人が旅行に出かけているのだろう。個人的にはコロナ期間中も遠出していたので、出来るだけ静粛なところにいたいと思う。

例年は六月前半までが一番気持ちの良い時期だったが今年は天候を別にすれば、今が結構気持ちよい。いつも他所のとてもいいところに滞在して戻ってくると、なぜここで過さなかったのかと疑問に思うことばかりである。

来週の頭に散髪の予約をいれた。誰もお客さんがいなくて閑散としている。向かいの肉屋でも暇だと話しを聞いたので、何か例年との違いを感じる。実態は掴めないのだが、何かが違う。コロナで何分の一かの人が亡くなったかのようだ。

ドロミテ最高峰のマルモラーダでの崩壊事故は衝撃的だった。未だに十五人は行方不明で、既に九人の死亡が確認され、四人の身元も特定された。崩壊した氷河を渡るのは頂上への一般ルートであり、スキー場の施設から登れるので多くの一般登山者が結構数遭遇した筈だ。途中からルートが合流する西稜を2002年に登っているので、状況は少なからず分かる。

なによりもヴィデオを観ると甚だしい。目前で観た大崩壊はマッターホルンの谷のそれは夏の早朝にヘルンリヒュッテから走り下りて、フランクフルトの空港を目指したときに遭遇した。その後数か月後にはツェルマットが閉鎖されたことがあった。しかし氷河であの様に流れているのを観るのは初めてである。現地での作業は更なる崩壊の危険があるので難航している様である。



参照:
ヴェニスのシャルドネ 2022-06-29 | ワイン
カオスのおもしろさ 2022-06-30 | 音
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歴史的に優位な音楽語法

2022-07-07 | 
承前)新制作「ルードンの悪魔」、木曜日に漸く第二回公演に漕ぎつけるだろうか。先月27日に初日を迎えて、この間二回の公演が吹っ飛んだ。コロナ陽性者続出だったようで、本来の配役のヴォルフガンク・コッホが復活するか。総稽古日に陽性となって、急遽代役が探された。殆ど上演されない演目なので、代役歌手が見つからずに、結局奈落で若いオーストラリア歌手が歌い、舞台の出来るミュンヘンの劇場役者が演じた。それをして、支配人は、こんなに難しい急遽の助っ人の代役が二人も見つかったと会場を笑わした。

芸術的には台詞と歌が交わることで必ずしも不利にはならなかったと概ね好評だった。勿論一人の歌手が完璧に熟せればそれ以上の効果はないだろう。少なくとも発券状況は良いようで、私が座ったクラスの席までは殆ど売り切れている。やはり悪くはなかった評と、そのあまり知られていない内容が浸透してきたからだろう。

再び5月の新フェスティヴァルの新制作「ブルートハウス」に立ち戻った。そこで再確認することは少なからずあった。それはオペラがどうあるべきかで、モンテヴェルディの主張通りであろう。セカンダプラクティカによって、ルネッサンス音楽からより劇性の強いバロックの様式へと、その通奏低音の支えによってより自由な表現が可能となった。その背景には社会情勢が横たわっているのは断るまでもない。

このことは、バロック期に於ける長短和声の確立とは別に、器楽器演奏の高度化芸術音楽化があって、多くの所謂音楽愛好家が先ずは器楽演奏によるそれを思い浮かべ、オペラ芸術がよりエンターテイメントであるというような印象を覆している。しかし、モンテヴェルディは音楽劇場の本質に関して初めから明確にしていた。

同時に、ドルニー支配人は「ルードンの悪魔」開幕前の挨拶で、ペンデレツキ作曲のこの音楽劇場作品の本当の価値に確信を持って頂けるだろうとしていた。なるほどユロウスキー指揮の音響は素晴らしいものであった。しかしそれがどのような意味を内容を持つかということでしかない。

彼のシェーンベルクが散歩中に、12音を使った作曲法でドイツ音楽の優位性が先は百年だか保障されるとしたとされている。そこでのドイツ音楽の優位性とは何を指すのか?

イタリアのモンテヴェルディが奇しくも音楽劇場の本質として語っていた。それは本当の劇場効果だ。器楽曲若しくは演奏会におけるそれを考えるときにどうなるか。劇のような情感ではなくて抽象的な概念がそこに横たわるかもしれない。それは、最終的にはベートーヴェンに於けるレトリックの粋となるかもしれない。その意味からもペンデレツキの作品は器楽曲にしても音響的な洗練はあっても、ハースに於ける様な音楽語法のそれはない。



参照:
作品再演の普遍的価値 2022-07-04 | 文化一般
「シーズン最高の初日」の意 2022-05-24 | 文化一般
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込み上げてくる苦み

2022-07-06 | 
承前)ティテュス・エンゲル指揮のモンテヴェルディには批判があった。それは練習不足で和声が美しく出ていないというような要旨だった。特にフィナーレに於けるマドリガル「ニンフの嘆き」は重要な枠組みとなっていた。実は私自身も古楽も専門としているエンゲル指揮で素晴らしい響きが聴けると思っていたのだった。

ハイデルベルクの元音楽学研究所の女史は、モンテヴェルディの所謂音楽史的なプリマからセカンダプラクティカへとルネッサンスからバロックへの移り変わりへと、作曲家の文章を利用してその活動を生き生きと描いている。つまり、歌詞がどのように音楽を制するかの議論である。モンテヴェルディは、歌詞が感情を込めて歌われるところで音楽の規則を越えてくる、その時にそれを聴く人がいることで、初めて表現が完成するという主張を、後期のマドリガル作品への批判に対して放っている。前半は比較的馴染みのある考え方であるが、後半は最早劇場表現の本質ではなかろうか。

つまり、対位法的な法則の基礎ともなっていた歌詞の使われ方ではなくて、器楽による和声低音の確立によって、より自由なイントネーションと台詞からの叙唱となって更に歌となるというオペラの基礎が築かれる源泉にマドリガルがあるとなる。

それが具体的に何を示すかというと不協和音が怒りや恐れの感情の高まりによって頻発してくることになる。しかし作曲家は、元々の規則性があるからこそ逸脱であり表現であると念を押している。

「ニンフの嘆き」では、先ずは三声の男声をバスが支える導入があるのだが、ここが味噌だった。上での違和感は、そこでの「ニムフの痛み」での不協和へとハースの楽曲のフィナーレに続いて綴られる。ここが全てではなかったか。一番難しいのはまさに三百五十年間の歴史の流れを繋げる音響である。そこに大きな断層が横たわれば、モンテヴェルディで挟み込むコンセプトも無意味となる。

作曲のハースがインタヴューで語っていたのはこのフィナーレの終わり方で、そのフィナーレがまさしく「ドアを閉められる」のであって、そのもの事象は消されない。モンテヴェルディで始まり、終わりではもう一度「昔々」の様に完全に枠にはめ込む形になっていて、それは「ポッペアの戴冠」同様なフィナーレの印象だった。そこにおいての続くテトラコードの下降するバスのオスティナートの響かせ方は当然の事乍ら嘆きの典型になる様に、ここでは十分な苦みが生じているのは当然であり、昇華されたりするものではない。

それは五声の響かせ方でも決まる。ここで指揮者エンゲルがなぜに音楽劇場指揮に於ける第一人者のなのか、そのノウハウが否応なく示されたことになるだろう。その軋み方や風合いは絶妙な苦みだったのだ。(続く



参照:
モーツァルト所縁の劇場 2022-05-21 | 音
芸術音楽で可能となること 2022-05-19 | マスメディア批評
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意向に配慮せざるを得ない

2022-07-05 | 歴史・時事
新聞の文化欄に全面記事が出ている。なにかと思えばウクライナ対策だった。五人の文化施設の支配人、即ちボンのベートーヴェンハウス、スイスザンクトガーレンの劇場、ベルリンのフェストシュピーレ並びのBRのムジカノーヴァの芸術監督、ケルンのフィルハーモニーの支配人、シュトッツガルトのオペラ支配人がネットで会談した。フランクフルトターアルゲマイネ新聞の企画である。

ここでもロシアの侵攻以来幾つもの事件を扱ったが、先月末にウクライナ議会ではロシア音楽等の演奏が禁止され、ウクライナ固有のものが優先されて、その次に東西欧州などの作品が許可されるというものだ。要するに侵攻以前からのウクライナの国粋主義体制は文化的にも明らかで、EU加盟申請などに為れば厳しく裁かれる。

渦中の人ウクライナの女性指揮者オクサーナ・リニヴの事をシュトッツガルトのショーナー支配人が語っている。ボローニャでチャイコフスキー作曲「イオランテ」の指揮が出来なかった事は既知であるが、それ以降ウクライナの家族への脅迫が絶えないというのでまさしくテロの国になっている。既にリニヴは、それに対抗する立場を明白にしていて、EU加盟申請の前提をその反論にするようだ。

しかしザンクトガーレンの支配人がチャイコフスキーの「オルレアン」のオープンエアー演奏をヴェルディの同題名作に差し替えたとあった。理由は野外でどのような人の耳に届くかも分からないので配慮したと語っている。

要するに細やかな配慮は、在ベルリンのウクライナ大使がウクライナ外務省からその歴史修正主義的な発言で距離を取られたように、そうした横やりを極力避けるために特にベルリンでは慎重に処するとある。

皆が今後ともウクライナ政府が禁止したり、条件を付けているウクライナ音楽家の国外でのロシア人音楽家との共演やロシア音楽の演奏が出来る人を集う立場には変わりないようである。

一方話題になっていたウクライナのエリート演奏家管弦楽団は、ポーランドで企画されていて、その楽団は文化プロバガンダとして音楽の兵士と自らを語っている。当然の事乍ら出席者からは絶対主催しないと明白な断りの言葉が飛んでいる。

結論としては現状のウクライナの状況を考えればその意向を無視することは不可能で、配慮していくしか方法はないとなっている。

ベルギーからの地取りらしきイチゴ。安ければ、手を出さざるを得ない。



参照:
露文化排除のウクライナ 2022-05-06 | マスメディア批評
和解などない露宇兄弟 2022-04-07 | 料理
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作品再演の普遍的価値

2022-07-04 | 文化一般
承前)当夜のプログラムにはペンデレツキの作曲にも触れられている。ヨハネ二世の友人としてカトリック教徒であった作曲家が宗教音楽曲を書き、中世の題材の劇場音楽にフランドル楽派の書法を用いて、更に音列作法も使い、クラスター化した音響から生じるのは最終的にはニヒリズムだという落ちがある。恐らくそうした全体像がこの音楽劇作品をして、初演当時のフランクフルターアルゲマイネ紙のカイザーなどが、「びくびくした処女作で、音の少ない作品」と酷評したような批評を導いている。

多彩な技法や音響が上手く焦点が当たらない結果にしているのは、演出面でもショートカットで場面を進めて行く為の配慮にも相似していて、演出のストーンが語っているように、最初の景で修道女のジャンヌが見ず知らずの愛の改革者への性的な啓示とパリのソルボンヌ中心への代替政治的な抗力との合一とされる二つの次元への焦点が合い難くされているのだろう。

後者は、所謂ナンテの勅令でのユグノーへの配慮と約百年後のルイ14世の引き締めのフォンテーヌブローの勅令の歴史の中での出来事が扱われている。そこでは魔女狩りとして、フランスやドイツにおいて、特に性的なスキャンダルをして若しくはエクソシスト行為などとして制裁を科して政治的に利用されたことがここで行われている。

そこが、このオペラに於ける音楽劇場作品としてMeTooのそしてネットでのフェークニュースやネット魔女狩りの今日性となるのだが、プログラムにおいては当時のポーランドの作曲家がこうした作品をドイツ語でドイツにおいて依頼されて初演するしかなかった環境が記憶されていて、共産党政権への視座として捉えられている。本当だろうか。

その点でストーンの演出に対して、BRの批評では、初演当時の性の解放があって、当時は集団セックスや性的な狂気はスキャンダラスなものであってとしていて、明らかに演出からとの別な視座を示している。

これらを解説すれば、1969年と今日では当然の如く既に視座が変わっていて、こうした舞台づくりの難しさを示している。それは、この作品自体がそうした時代の変化に沿って、絶えず新たな意味合いや上演価値を持ち得るかどうかにも関係している。要するに作品の普遍的な価値と再演の意義。

今回の演奏実践においては、述べたようにサウンドデザインとしての生楽器の音が使われていたが、同時に修道女のヒステリックな重唱などの見事な響きは、ペンデレツキ以前にメシアンのカトリズムの音楽の豊麗さとも呼応するのだが、やはりもう一つの政治性がとなるのだろうか。しかしそこでは対抗軸とはなっておらずに、他の次元となる。それが音楽的にどのように表現されているのか?(続く)



参照:
悪魔に取り憑かれるか 2022-06-23 | 文化一般
1968年革命の雰囲気 2022-06-27 | 文化一般
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映るアラトスカーナ

2022-07-03 | アウトドーア・環境
サイドミラーのガラスを付け替えた。自分で換えたのは初めてだと思うが、想定以上に時間が掛かった。17時ごろから開始して、その間五回ほどネットを見たりガレージまで往復して、作業終了したのは21時。ガラスだから壊したら終わりの恐怖もあったのだが、サイドミラーのカヴァーの着脱とガラスの固定に自信を持てなかったからだ。配線はヒーター用とサイドミラーブリンカーの二種類だが、後者のスライド差し込み型が見えなくても指でリードしてやらないと嵌まり難くなっていて、それを把握するまでに三時間程か経過していた。ブリンカーは自分で換えたことがあるので、その問題は既知だとあとで気が付いた。以前も無理して押し込んでいたからリードのプラスティックが変形しているのだ。

一時は明るみも薄くなってきたので壊す前に断念して翌朝にしようかと思ったが、走ったり肉屋に顔を出したりと用事があるので出来るだけ済まして仕舞いたいとも思った。その間に五本ほどはYouTubeで調べていたのでイメージトレーニングが出来ていた。少なくともウィンカーが点かなくなっていたのでコンタクトだけは清掃しておこうと思った。細やかなことを済ましておきたかった。

溶剤をつけた綿棒で洗って、ウィンカーも絶好調なことを確認、ぶつけた時にウィンカーまでは壊れていなかった。実際に傷も何もついていない。暗かったので分からないのだが時速30キロ程でぶつけたのはやわらかな緩衝体だと思われる。ガラスが外れて地面で割れた音が酷かったので吃驚したのだが、結局は衝撃で外れただけだった。

材料費の25ユーロはなんでもなかったが、五時間は結構な労力。車も捨てることになると色々なことを知り尽くす。幾らかは今後のノウハウになるだろうか。

夜中は摂氏11度ぐらいまで冷えた。快晴の中でもぜひ走っておきたかった。就寝時刻が遅かったので到底頂上攻撃は無理だったが、まだまだ日陰を走れて、早起きさえすれば今後も可能だ。危惧していた体重はそれ程増えてはいない。しかし運動不足感は免れないので何とかしないといけないと思っている。

夏場は、「三部作」、ブラームス交響曲二番三番、マーラー交響曲七番、シニトケのヴィオラ協奏曲、ショスタコーヴィッチ交響曲十番、リーム「変容」、ブルックナー交響曲九番のお勉強がある。馴染み作品ばかりなので深く入れるのではないだろうか。

走り下りて来て帰りに、洗浄液で指についた油を洗浄してあったミラーに映る風景を写したかった。態々映りのいい向きに車を停めて、我が街が映り込むミラーの写真である。アルプス以北のトスカーナ地方と呼ばれるように、ワインよし、食事よしの週末の風景である。観光案内に漢字で「桃源郷」と書かれていたのは強ち嘘ではない。



参照:
ヴェニスのシャルドネ 2022-06-29 | ワイン
垂れそうにない蝋燭 2022-07-02 | 生活
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垂れそうにない蝋燭

2022-07-02 | 生活
発注した蝋燭と火曜日早朝に飛ばしたサイドミラーのガラスが届いた。包装も破らなくても取り出せた。見た目から問題なく装着できそうだが、最も正しく装着できるように準備しておこう。カヴァーを外しておけば危なげなく装着可能の筈だ。嵌め損なって落としたら25ユーロを捨てるだけになるからだ。

さて復活祭から使えなかった蝋燭を補給した。細い蝋燭立ても二種類を使っているが、グラス型は敢えて太くしてある。だからアルミフォイルの袴をはかせて立てる。だからあまり細身では使えない。

今迄は蝋燭などには一切拘っていなかった。理由はどうせ蠟が垂れて綺麗に使いきれないとしか思っていなかったからだ。しかし今まで使ったものはいいものが多いのが分かった。綺麗に燃えていくのが一番だ。その次に匂いがないものが良い。これはワイン愛好家の食事には欠かせない。そして燃焼時間も大きな要素になる。今回のは4.5時間前後となっている。でも実際に点けてみてそれだけ燃焼させていおくことは少ない。イタリア製で一本1,4ユーロ程なので安くはないのだが、上の条件を満たすならば宜しい。

アマゾンのサイトでは商品自体は色合いが派手過ぎてというのはあっても評判は悪くはない。減点は届いたものが折れていたとかそのようなものが多かった。しかしガラスと同時には届いたそれは万全であった。これで十分な満足度が得られる筈だ。

真夏でもバルコンで陽が暮れるようになると、冷えてくる。そのようなときにはとても有り難いのは蝋燭である。あとは太い60時間とか使えるのを購入しておけば当分は用が足りる。

ここ暫くの寒暖差は結構激しい。20度近くの高温はやはり堪える。エチオピアのコーヒには満足している。こうした日常趣向品は倍の価格を払うだけでこれだけ質が違う。家庭で大量消費するとなると大分異なるだろうが、メリハリをつければ可能な贅沢だろう。

次回にミュンヘンに立ち寄るのはいつだろうとか考える。ザルツブルクのアスミク・グリゴーリアンは既に練習に入っているようで、帰りに通るのだが、市内に入る価値があるのかどうか。その後は未定で、十月末に始まる新制作「コジ・ファン・トゥッテ」の売れ行きもどうだろう。今回の印象であの音を出せれば、マーラーの編曲などのアイデアを入れながらの新たな伝統作りは可能かとも思った。そこで演出家のプロフィールに処女映画作の事が書いてあった。少し関心をもって見ている。近所ならば必ず行くのだが、失敗の制作に出かけるだけの余裕がない。



参照:
サウンドデザインの仮定す 2022-07-01 | 文化一般
ヤノフスキーのワンパターンす 2016-07-28 | 文化一般
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