<今年は第40回回目のあんどん祭り 同じ沼田にちなみNHKドラマ「真田丸」の出演者も応援に来るとか…>
8月の26(金)~27日(土)の二日間にわたって、夜高(ようたか)あんどん祭りが空知管内沼田町で行われました。この時期台風が相次いで北上し北海道をかすめました。その影響もあって、26日には北海道上陸の恐れもありました。てっきりあんどん祭りも影響を受けるものと懸念していましたが、小樽、札幌、空知管内は被害はなく、道東・オホーツクでかなりの農業被害が出ました。と言う訳で27日(土)に、撮影に行ってきました。
小樽からは石狩、当別、月形、雨竜経由で沼田へと行きますが、片道約150㎞程の行程です。往復300㎞の運転は、高齢ドライバーにとってはかなりの負担ですが、途中景色を撮りながらゆっくり進めばと思い、午前11時頃出発。途中雨竜の道の駅「田園の里うりゅう」に立ち寄りました。雨竜は私が生まれ育った地で、高校時代まで過ごしました。道の駅でまずは撮れたての果物を…、寄ったのが午後3時頃だったためか、ほとんどが売り切れ。それでもトマトをはじめ野菜を大量に購入。スーパーで買うのと違い、何とも新鮮でおいしい。
道の駅には当町在住の写真家・岡本洋典氏のギャラリーが併設されています。雨竜沼の写真他当地の写真がたくさん展示されています。
樹氷ですが、大好きな1枚です。この地では真冬に郊外に出れば、かような写真が撮れます。
道の駅の横に併設されている「田園アート」、展望デッキの影と重なって幾分見ずらいですが…はて?何が描かれているんでしょうか?
大量に野菜果物を買い込んで、次の北竜に向かいます。20分も走ると北竜の街「ひまわりの里」につきます。さすがひまわりを街のシンボルとするだけあって、街路灯はじめいろんなところにひまわりのマークが見られます。シーズが過ぎたと言うこともあって、観光客らしき姿は2-3組しかおりません。それにしても不思議、シーズン中は太陽の方向に向いて、咲き誇っていたいたひまわりが、今は太陽に背を向ています。役目は終わったといわんばかりに…。
手入れがされていないために、雑草が生い茂り、蜘蛛の巣が張って…
葉も枯れかけ、種の周囲に残った僅かばかりの花びらが哀れを誘う。
時折見える観光客も、すでにシーズンオフであることを知っているせいか、さ~と見回してさっさと帰ってしまう。
さてひまわりの里をあとにして、沼田町に向かいます。ここで夜高あんどん祭りがどうして沼田町に伝えられたか見ておきます。
<夜高(ようたか)あんどん祭りの由来(沼田町公式HPから転載)>
福野村の鎮守の氏神として、伊勢神宮より御分霊を勧請した還宮の行列。御一行は、加賀と越中の国境である具利加羅峠にさしかかったところで日暮れを迎えてしまい、どうにも先へ進めぬようになってしまったのです。
この知らせを飛脚で知った村民達は、手に手に燈火用のあんどんを持って峠へとはせ参じ、村を挙げて奉迎したとか。
これを起源として祭りが生まれ、地元で代々受け継がれてきたということです。
はるか津沢で灯されたあんどんの灯は、沼田町民の心にも赤々と火を灯しつつ続けております。
薄暮の中、沼田中学校のあんどんが通って行きます。
同じく沼田中学校のあんどん。続々続いてやって来ます。
太鼓の連打+夜高節の歌声に合わせ、前列の手持ちあんどんが振り回されます。
台車の前の数人が、音頭を取って適宜夜高節を披露します。
観客の拍手にこたえるようにマイクで夜高節を歌い、両隣が拍子木、太鼓で音頭をとります。
次第に興奮して来ると台上でマイクを握り、拍子木を打ち鳴らして踊りまわります。
さて時間も経過、午後7時45分、ぶつけ合いのC会場に、二基のあんどんがやって来ます。
役場のあんどんが入って来ました。後方は自衛隊沼田基地のあんどん、第1回目のぶつけ合いはこの2基で行われます。
手前が役場の行燈、左が自衛隊の行灯。大きく持ち上げられた台車の先端が、自衛隊の行灯の前部分をぐしゃり。
すかさず、自衛隊のあんどんは壊れた前部分を取り換え、新しいあんどん(亀甲模様)に付け替えました。二回目のぶつけ合いが行われます。蒸気を吐いて気勢をあげます。
役場のあんどんの前部分のあんどんがぐしゃり、潰れ具合の良しあしで、今年の米の作況がわかるとか…