平成12年から14年にかけて、八王子勤務当時撮影したモノクロフィルムでの画像を紹介してきました。この間、毎日のように通勤バッグにフィルムを詰めたコンパクトカメラを入れて、通勤の行き帰りだけでなく、昼休みにも近辺を撮影して歩きました。なので、モノクロスナップが多いのですが、前二回で紹介しきれない画像がまだまだ出てきました。
今回も八王子勤務当時のモノクロ画像を紹介します。中には休日を利用して、レンタカーで富士山の周囲を一周したときのものもあります。いずれにしても、モノクロフィルでの撮影は、一眼レフカメラでのサブとして使っていたので、撮影に出かけても、撮ったり撮らなかったりといった具合で、体系的な撮り方をしておりませんので、その辺はご了解ください。
(1) 神田と銀座
全く雰囲気の違う町並みですが、神田は大手町にある本店に12年ほど通った折に、通った町です。当時の官舎は、北浦和にあって、北浦和から京浜東北線で神田まで出て、神田の街を徒歩で抜けて大手町まで通いました。十数年ぶりに見る神田の街は相変わらず、ごちゃごちゃとした下町の雰囲気が残っていました。
立ち飲みの酒屋があったり、角に氷屋さんがあり、昔とちっとも変っていません。
密集した商店街をぬけて…、以前は中古カメラ店が数件あって、通勤の行き帰りに毎日のようにウインドーを覗いておりました。しかし平成13-4年ころには、1軒も見当たらなくなりました。
こちらは日本を代表するファッションの街銀座。この日は雨でした。
何をしに行ったかと言うと、銀座松坂屋で中古カメラ市があったからです。
中古カメラ市に来ておられた田中長徳氏、写真・カメラ業界では、超有名人です。
このころから携帯電話が、猛烈な勢いで普及し始めました。単身赴任の私も、固定電話を持たず、携帯電で小樽に住む家内に操縦(?)されていました。よく見ると、携帯電話のアンテナを引き出して通話していましたね。
中年のおばちゃんも携帯電話を持つのが珍しくなくなりました。アンテナを出して、登録番号を呼び出して…
大きなバスの側面の絵は、携帯電話のPRだったような…
(2) 桜と桃の咲くころ
都内には桜の名所はいくつもあります。その中の一つ、井の頭公園に行ったことがあります。正式には井の頭恩賜公園と言います。恩賜とは旧宮内省が所有していた御料地を、公に下賜され公園として整備されたものを言います。西郷さんの銅像で有名な上野公園も、正式には上野恩賜公園なのです。さてその話は置いて、日本の桜名所100選に、ここ井の頭公園も入っています。
枝垂桜が咲き誇り、公園内の池ではボート遊びをする家族連れ、カップルが後を絶ちません。
サクラシーズンの休日には、順番待ちの列ができます。
花も団子も…
サクラのシーズンと重なるのが桃の花です。北海道では桃の花を見る機会が滅多にありません。私自身桃の花は立川市の昭和記念公園で初めて見ました。桜の花と違って1本の枝に数珠つなぎに花が咲きます。新聞で勝沼の桃の花が満開と言う記事を見て、撮影に行ってきました。
花が同じピンクでも、咲き方は桜と桃では全く違うことがわかると思います。
桃祭りが開催されていて、シートを広げ花見をしているグループがたくさんいます。
桃畑の所有者でしょうか、脚立を持って行きました。脚立にのぼって受粉作業を行うのです。
こちらのご婦人はイーゼルを抱えています。写生場所を探しているようです。
(3) やはり絵になる富士山
八王子勤務時代、官舎が立川市にありましたが、住宅の2Fベランダからマンションの横に富士山が見えました。夏はスモッグや汚れた空気で、見ることが出来ませんが。空気のきれいな冬期間には見ることが出来ました。立川は交通の要所でもあり、中央線と富士急が相互乗り入れしているために、電車1本で、スイッチバック中継駅の富士吉田か富士五湖の一つ河口湖(終点駅)まで行けます。そこでレンタカーを借りて富士五湖を回りながら富士山の麓を1周することが出来ます。3回ほど回ったことがあります。
富士急の富士吉田駅に到着。ここからスイッチバックで終点河口湖にも行くことが出来ます。
富士吉田では浅間神社からの展望が撮影スポットにもなっています。ポジフィルムで撮影しておりますが、そのカットはすでに当ブログで取り上げておりますのでそちらを参照してください(2009.4.15付「富士山を撮る…1」)。
忍野村には、富士山と雪景をからめて撮ろうとするカメラマンが大勢押し寄せます。
山中湖の氷が解けだす春先に行ってみました。山頂が雲に隠れているのが少し残念。
今度は河口湖から左回りに、西湖、精進湖、本栖湖、朝霧高原方向に進んでみます。至る所に撮影スポットがあって、自分でもどこで撮影したか記憶が定かではありませんので、間違っていたらすいません。
確か西湖の紅葉台あたりで撮影したカットだと思いますが、手前に青木ヶ原の樹海が広がって、富士山の山頂も、尖って見えます。
紅葉台の展望からのカットです。近くに遅咲きの桜が咲いていたのを覚えています。
朝霧高原の近く、何処までもまっすぐな道路が印象的でした。
鯉のぼりのある風景、ここは有名な撮影スポットです。
富士山最後のカットは三保の松原からの撮影です。今回この地域も世界遺産に登録されました。
同じく三保の松原からの富士山です。
(4) 葛西臨海公園
旧江戸川一本はさんで千葉県浦安市と接しているこの公園は都内有数の広さを持ち、かつて日本一の入館者数を誇った水族館を持っております。また人工の干潟を二カ所持つというユニークな公園でもあります。
ガラスドームの手前にはヨットをイメージしたテントが張られています。
海岸には遊覧船が多数、夕涼みをしています。
(5) その他
モノクロフィルムでの撮影をメインとしていなかったために、どうしてもとぎれとぎれになって、まとまりがないのが残念です。その他としていくつか挙げておきます。
入谷鬼子母神のほおずき市の時に見かけた浴衣姿の少女。かき氷が美味しそう。
多摩市にあるサンリオランド。偶然近くを通りかかり撮影。高感度フィルムを持っていなかったため、ほとんどの画像が手振れしてました。
このときはじめて、このようなキャラクターをメインとしたランドのあることを知りました。
東京都内唯一残った都電の荒川線。学習院の近くの千登世橋から撮影。
富士山を近くで撮影しようと箱根に出かけました。残念ながら雲に隠れて撮影不可。ならばと芦ノ湖の遊覧船に乗って撮影。
遊覧船を降りると、近くでサルが芸をしておりました。
八王子単身分時代のモノクロ写真の紹介は、この3回のシリーズで終わりとします。その後単身赴任を解消して、札幌で最終勤務となりましたが、退職後デジタルカメラ撮影に切り替えた後もしばらくモノクロフィルの撮影を続けておりました。それらのカットについても、スキャナーでデジタル化している最中ですので、いずれモノクロ写真の数々~その4として紹介いたします。
今回も八王子勤務当時のモノクロ画像を紹介します。中には休日を利用して、レンタカーで富士山の周囲を一周したときのものもあります。いずれにしても、モノクロフィルでの撮影は、一眼レフカメラでのサブとして使っていたので、撮影に出かけても、撮ったり撮らなかったりといった具合で、体系的な撮り方をしておりませんので、その辺はご了解ください。
(1) 神田と銀座
全く雰囲気の違う町並みですが、神田は大手町にある本店に12年ほど通った折に、通った町です。当時の官舎は、北浦和にあって、北浦和から京浜東北線で神田まで出て、神田の街を徒歩で抜けて大手町まで通いました。十数年ぶりに見る神田の街は相変わらず、ごちゃごちゃとした下町の雰囲気が残っていました。
立ち飲みの酒屋があったり、角に氷屋さんがあり、昔とちっとも変っていません。
密集した商店街をぬけて…、以前は中古カメラ店が数件あって、通勤の行き帰りに毎日のようにウインドーを覗いておりました。しかし平成13-4年ころには、1軒も見当たらなくなりました。
こちらは日本を代表するファッションの街銀座。この日は雨でした。
何をしに行ったかと言うと、銀座松坂屋で中古カメラ市があったからです。
中古カメラ市に来ておられた田中長徳氏、写真・カメラ業界では、超有名人です。
このころから携帯電話が、猛烈な勢いで普及し始めました。単身赴任の私も、固定電話を持たず、携帯電で小樽に住む家内に操縦(?)されていました。よく見ると、携帯電話のアンテナを引き出して通話していましたね。
中年のおばちゃんも携帯電話を持つのが珍しくなくなりました。アンテナを出して、登録番号を呼び出して…
大きなバスの側面の絵は、携帯電話のPRだったような…
(2) 桜と桃の咲くころ
都内には桜の名所はいくつもあります。その中の一つ、井の頭公園に行ったことがあります。正式には井の頭恩賜公園と言います。恩賜とは旧宮内省が所有していた御料地を、公に下賜され公園として整備されたものを言います。西郷さんの銅像で有名な上野公園も、正式には上野恩賜公園なのです。さてその話は置いて、日本の桜名所100選に、ここ井の頭公園も入っています。
枝垂桜が咲き誇り、公園内の池ではボート遊びをする家族連れ、カップルが後を絶ちません。
サクラシーズンの休日には、順番待ちの列ができます。
花も団子も…
サクラのシーズンと重なるのが桃の花です。北海道では桃の花を見る機会が滅多にありません。私自身桃の花は立川市の昭和記念公園で初めて見ました。桜の花と違って1本の枝に数珠つなぎに花が咲きます。新聞で勝沼の桃の花が満開と言う記事を見て、撮影に行ってきました。
花が同じピンクでも、咲き方は桜と桃では全く違うことがわかると思います。
桃祭りが開催されていて、シートを広げ花見をしているグループがたくさんいます。
桃畑の所有者でしょうか、脚立を持って行きました。脚立にのぼって受粉作業を行うのです。
こちらのご婦人はイーゼルを抱えています。写生場所を探しているようです。
(3) やはり絵になる富士山
八王子勤務時代、官舎が立川市にありましたが、住宅の2Fベランダからマンションの横に富士山が見えました。夏はスモッグや汚れた空気で、見ることが出来ませんが。空気のきれいな冬期間には見ることが出来ました。立川は交通の要所でもあり、中央線と富士急が相互乗り入れしているために、電車1本で、スイッチバック中継駅の富士吉田か富士五湖の一つ河口湖(終点駅)まで行けます。そこでレンタカーを借りて富士五湖を回りながら富士山の麓を1周することが出来ます。3回ほど回ったことがあります。
富士急の富士吉田駅に到着。ここからスイッチバックで終点河口湖にも行くことが出来ます。
富士吉田では浅間神社からの展望が撮影スポットにもなっています。ポジフィルムで撮影しておりますが、そのカットはすでに当ブログで取り上げておりますのでそちらを参照してください(2009.4.15付「富士山を撮る…1」)。
忍野村には、富士山と雪景をからめて撮ろうとするカメラマンが大勢押し寄せます。
山中湖の氷が解けだす春先に行ってみました。山頂が雲に隠れているのが少し残念。
今度は河口湖から左回りに、西湖、精進湖、本栖湖、朝霧高原方向に進んでみます。至る所に撮影スポットがあって、自分でもどこで撮影したか記憶が定かではありませんので、間違っていたらすいません。
確か西湖の紅葉台あたりで撮影したカットだと思いますが、手前に青木ヶ原の樹海が広がって、富士山の山頂も、尖って見えます。
紅葉台の展望からのカットです。近くに遅咲きの桜が咲いていたのを覚えています。
朝霧高原の近く、何処までもまっすぐな道路が印象的でした。
鯉のぼりのある風景、ここは有名な撮影スポットです。
富士山最後のカットは三保の松原からの撮影です。今回この地域も世界遺産に登録されました。
同じく三保の松原からの富士山です。
(4) 葛西臨海公園
旧江戸川一本はさんで千葉県浦安市と接しているこの公園は都内有数の広さを持ち、かつて日本一の入館者数を誇った水族館を持っております。また人工の干潟を二カ所持つというユニークな公園でもあります。
ガラスドームの手前にはヨットをイメージしたテントが張られています。
海岸には遊覧船が多数、夕涼みをしています。
(5) その他
モノクロフィルムでの撮影をメインとしていなかったために、どうしてもとぎれとぎれになって、まとまりがないのが残念です。その他としていくつか挙げておきます。
入谷鬼子母神のほおずき市の時に見かけた浴衣姿の少女。かき氷が美味しそう。
多摩市にあるサンリオランド。偶然近くを通りかかり撮影。高感度フィルムを持っていなかったため、ほとんどの画像が手振れしてました。
このときはじめて、このようなキャラクターをメインとしたランドのあることを知りました。
東京都内唯一残った都電の荒川線。学習院の近くの千登世橋から撮影。
富士山を近くで撮影しようと箱根に出かけました。残念ながら雲に隠れて撮影不可。ならばと芦ノ湖の遊覧船に乗って撮影。
遊覧船を降りると、近くでサルが芸をしておりました。
八王子単身分時代のモノクロ写真の紹介は、この3回のシリーズで終わりとします。その後単身赴任を解消して、札幌で最終勤務となりましたが、退職後デジタルカメラ撮影に切り替えた後もしばらくモノクロフィルの撮影を続けておりました。それらのカットについても、スキャナーでデジタル化している最中ですので、いずれモノクロ写真の数々~その4として紹介いたします。
例のポジはCDに入れてください。
井の頭公園の桜と 紅葉台からの富士山と桜 不思議な感覚がします。3Dの様な立体感が感じますが・・写し方でしょうか? 凄いですね。素敵ですね。ってこんな簡単な言葉だけでは 申し訳ないです。 カラーとは違う、深みと言うのか、何かわかりませんが 引き込まれます。
と言うことで、何かと仕事が手つかずのままです。場合によっては来年の手隙までは無理のような状態ですのであしからず、ご了解のほどを。
なんたって、料理・家事一さい不出来の私には、食べることすら、おろおろするばかり。単身赴任時代は通勤の行き帰りにワンコインの飲食店で済ませたり、惣菜を駅前で買って食べたりしていましたが、周囲にコンビニもないここでは、カップのインスタント麺で…
てなてなことで、撮影すらままならぬ状況。
モノクロ写真のコメント、最大級の、心のこもったお言葉に、ただただ感謝、暇が出来れば…お伺いいたします。
おさんどんも、大変ですが、頑張ってくださいませ。私のブログの訪問は、お気兼ねなく・・・
書くことは別に…駄文が多くて、自分でもいけないとは思うのですが気が付くと、長々と…画像だけ参照していただければ十分、有難うございます。
奥様の手術成功と、早くの御回復
心からお祈り申し上げます。