市場内で飲食歓談する方々
「小樽思い出の一枚」と題して、今までTwitter(X)とFacebook(以下FB)で掲載してきましたが、Twitterでは文字数や画像数に制約があって、載せ切れませんでした。またFBでも画像の順番が不安定なため、今回からブログで紹介することにしました。
思い出の一枚の第1回目は「小樽中央市場のガンガン屋台」です。現在ではガンガンと言っても聞きなれない言葉かもしれませんね。昭和40年代頃には、醤油や油などの食料品を詰め込んだブリキの缶のことを言います。現在でもスチール缶として使われています。(詳しくはブリキ缶で検索のこと)
なお、小樽中央市場第2棟には、竹篭やブリキ篭に日用品を詰め込んで背負い、地方に売り歩く行商人のおばさん達が描かれています。これをガンガン部隊と呼んでいました。
<参考>
思い出の一枚の第1回目は「小樽中央市場のガンガン屋台」です。現在ではガンガンと言っても聞きなれない言葉かもしれませんね。昭和40年代頃には、醤油や油などの食料品を詰め込んだブリキの缶のことを言います。現在でもスチール缶として使われています。(詳しくはブリキ缶で検索のこと)
なお、小樽中央市場第2棟には、竹篭やブリキ篭に日用品を詰め込んで背負い、地方に売り歩く行商人のおばさん達が描かれています。これをガンガン部隊と呼んでいました。
<参考>
ガンガン屋台は、平成16年頃中央市場の第2棟と、第3棟で行われていたようです。新聞等で記事を読み、平成16年に撮影に行ってきました。当時はフィルムからデジタルカメラへの転換期で、この時はモノクロフィルムで撮影しました。
H16.6.17撮影 市場内のあちこちに「ガンガン椅子+テーブル」が置かれている。現在の閑散とした市場内とは雲泥の差。
二人で歓談、ビールもつまみも話も進む。
H16.6.17撮影 つまみ等の総菜を造っている。
さて、ガンガン屋台が旺盛を極めた当時とは違い今の現状を見てみましょう。3月11日(月)昼頃中央市場第2棟、第3棟、そして念のため3月末で閉鎖が決まった中央卸売市場も見てきました。
中央市場は、海側から山手の国道5号線に向かって第1棟、第2棟、第3棟という名称が付けられています。第1棟は、店舗が市場内ではなく外側四面にあります。第2棟から店舗が市場内にあって真ん中の通路を挟んで両側にあります。
中央市場は、海側から山手の国道5号線に向かって第1棟、第2棟、第3棟という名称が付けられています。第1棟は、店舗が市場内ではなく外側四面にあります。第2棟から店舗が市場内にあって真ん中の通路を挟んで両側にあります。
第2棟の海側から入ると…
昭和30年代の間があります。裕次郎のポスターや炉端、それに前段でも見たガンガン部隊の写真等があります。
通路から奥(3号棟)を見ると昼時なので買い物客は少ないですが、なんとなくガラ~ンとした感じがします。
出口には海鮮丼で有名なガンガン亭があります。観光客らしき若い女性二人が海側に向かって降りて行きました。さて第2棟を出て、第3棟に入ります。
海側から第3棟に入ります。
一般客の買い物時間帯ではないと言え、ガラ~ンとした感じがします。空きスペースも多いようです。
ガンガン屋台は、第3棟で行われていたのかな?その名残りがあちこちに伺えます。
過去の隆盛が…今はギャラリーも閉められたまま。
中央市場第3棟を出て、小樽中央卸市場に入ります。この卸売市場は、今年3月末で売却閉鎖されることが決まっています。この建物は昭和32年の建物で、築67年老朽化が進み、また市場の利用者も激減、昨年10月に、札幌の不動産開発業者に売却されました。
3月11日訪れた時には、数店舗が営業中でしたが、どの店も在庫処分中でした。
卸売市場を出て、国道5号線を渡って見ると、小樽駅に近く立地はいいのですが、こちら側には観光客がこぞって立ち寄る、三角市場の出口と向かい合う状況。
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