「終わりの街の終わり」。
変なタイトルです。ハードボイルドの様な・・・。
ところが、帯には「ネビュラ賞ノミネート!」と書かれています。
って事はSF小説なの?
受賞ではなくてノミネートって、宣伝としては中途半端じゃない??
ここの所、ライトノベルばかり読んでいて、
すっかり高校生的気分になってしまったので
久々に海外の最新小説でも読んでみようか・・・。
作者はケヴィン・ブロックマイヤー。
アメリカ期待の若手小説家の様です。
「終わりの街」とは、死後に人々がたどり着く街。
死者は、現世に自分を記憶している人がいる限り
この街に留まり、現世と同じ様に働き、恋をし、生活します。
ただ、年を取る事も無く、
そして現世に自分を覚えている人がいなくなれば街から消える・・。
そんな、死後の街の住人がある日突然減り始める。
街もどんどん小さくなっていきます。
そして、ある人数で安定してしまいます。
彼らの共通項は、「ローラの知人」である事。
現世ではいったい何が起こっているのか?
一方、ローラはコカコーラ社の環境調査員として南極に派遣されています。
外界との連絡が途絶えた為、同行の二人は、別の基地に行ったきり・・。
彼女は意を決して、彼らの後を追い、一人氷原を隣の基地を目指します。
そして、彼女がその基地で知った現実は・・・
ウィルスによる人類の滅亡・・・。
たった一人残された現世の人間ローラの死は
すなわち「終わりの街の終わり」を意味します。
終わりの街の住人も、自分達の共通項がローラである事に気付き
やがて訪れるであろう終末を静かに待ちます。
っと、あらすじを書くと「何だこれ?」みたいな本です。
全然、SFじゃないじゃん・・・。
では、つまらないかというと???
乾いた筆致による、克明な描写は特筆に価するし、
感情を排して、事象の描写を重ねる事で小説を構築する手法は
まさに、アメリカ文学血脈を受け継いでいます。
サービス過剰な小説が氾濫する中では、潔い小説ともいえます。
万人に受ける本ではありませんが、
フォークナーを読んだ後のように、
心の中が砂埃でカサカサした感じがいつまでも残ります。
延々と描写させる雪上のシーンは、
アーシュラ・K・ルグインの「闇の左手」を想起させます。
80年代のポストモダンの書き手と比べると、
圧倒的に温度感が低く(南極だし)、ドライな小説です。
だいたい私の中で小説は二つに分類されます。
「乾いている」か「湿っているか」です。
ヨーロッパの小説は「低温で湿って」いますし、
日本の小説は「生暖かく湿って」います。
ハードボイルド・リアリズムの流れを汲むアメリカの小説は「乾いて」います。
ただ、ラノベはこの分類から外れていて、
なんか、プラスチックというか、「ツルン」とした感触がします。
ところで、「終わりの街の終わり」はお勧めかと聞かれると、
多分、古本屋に持ち込まれる事もなく、
私の書棚の片隅でホコリをかぶっていく事になると思います。
多分、再読する事は無いけれど、
いつも背表紙をチラっと見て、
なんとなく鼻が乾くような気にさせてくれるのでしょう。