■ 意外なところに金鉱は隠されている ■
日本のマンガほど、広いジャンルをカバーするカルチャーは類を見ません。
スポコンものから、料理・美食もの。探偵ものや犯罪もの、はたまた社会派医療もの。
夢と魔法に世界から、血塗られた裏社会の闘争まで、
小説や映画以上に様々なジャンルをカバーしています。
もうこれ以上、新しいものは登場しないと思っていると、
突然新しいジャンルが不意打ちのごとく出現するので、
たとえ少年マンガや少女マンガであっても目を離せません。
高橋留美子の「犬夜叉」などは好例かと思います。
「妖怪もの」と言えば、「妖怪人間ベム」や「ドロロン閻魔くん」、
或いは「後ろの百太郎」といった一種特異なジャンルでした。
そこに、「民話」と「タイムトラベル」いうヒネリを加え、
「勝ち抜きバトル」的な少年マンガのツボを抑えながらも、
さらには「因果と怨念の糸が絡み合う愛憎劇」という
韓流ドラマも真っ青な、ディープな人間関係構築してゆきます。
この誰も見た事のない組み合わせを、
抜群のキャラ立ちで、コミカルに演出するという、超絶技巧マンガでいした。
(これを自然に楽しませてしまうのが、高橋留美子の力量。
「人魚の森」の「民話ホラー」は「犬夜叉」に昇華したと言えます。)
私の狭い知識の中では、マンガに「民話」を最初に持ち込んだのは
手塚治の「はとよ天まで」でないかと思います。
大蛇を母に持つ兄弟が、別々の苦難の道を歩む物語です。
中学生の時に学校の図書室は、何故か初期手塚治全集が蔵書されており、
初期手塚作品のアッケラカンとした作品群の中で、
「はとよ天まで」だけが、特殊な作品とし異彩を放ていました。
■ 発掘された金鉱、「ヒカルの碁」 ■
「犬夜叉」は言わば少年マンガの王道的作品ですが、
「ヒカルのの碁」は、「少年ジャンプ」で連載が継続していた事が不思議な作品です。
活発な少年「進藤ひかる」は、祖父の家の屋根裏で見つけた古い碁盤を見つけ、
その碁盤に取り付いていた平安時代の碁の名人藤原佐為(ふじわらのさい)に憑依されます。
佐為は碁を打ちたいばかりに、ヒカルの体を借りて碁会所で碁を打ちます。
そこで天才囲碁小学生の「塔矢アキラ」を負かしてしまいます。
囲碁など興味の無いヒカルに、塔矢はライバルとして闘いを挑んできます。
しかし、ヒカルは塔矢に熱意に当てられ、自分の力で塔矢に勝ちたいと願う様になります。
そして塔矢の挑戦をはぐらかしながらも、佐為に囲碁の特訓を受けてゆきます。
一方、ヒカルの中の才能(佐為)にいち早く気付いたアキラの父「塔矢名人」は、
「神の一手」を極めんとする囲碁界の重鎮です。
同じく「神の一手」を極めんとする佐為は、塔矢名人との対極を切望しますが、
子供のヒカルの姿では、叶うべきも無く、対局はナカナカ実現しません。
そんな一種じれったい設定なのですが、
ヒカルは中学で囲碁部を立ち上げ、さらにはプロを目指す「院生」へと
確実にその実力を伸ばしてゆきます。
物語は、佐為の指導の下、素人だったヒカルが、
プロ棋士になる過程を克明に描いてゆきます。
それぞれの時代のライバル達、プロを目指してしのぎを削る院生同士の闘いと友情、
そして、ヒカルとアキラの、佐為と塔矢名人の戦いへと、
物語は緻密ながらも、力強く進んで行きます。
「少年ジャンプ」で青年誌さながらのリアルな囲碁マンガが
打ち切りにもならずに連載されたことは、驚愕に値しますが、
さらには小学生の間に一大囲碁ブームを巻き起こし、
子供の影響で親達もが囲碁を習い始めるというオマケまで付きました。
ほとんど発掘され尽くした感のある、マンガというジャンルには、
時として金鉱が隠れています。
それが代金脈であったり、直ぐに掘り尽くされる程度のものであったりするのですが、
何年かに一度、その様な金鉱が掘り当てられます。
「少年ジャンプ」はその後、「ヒカルの碁」の作画担当の小畑健で
さらに大金脈を掘り当てます。
それが「Dethnote デスノート」でした・・・。
こちらは「ダークサスペンス」の金字塔としてマンガ史にその名を刻みました。
■ 「かるた=百人一首」という金鉱 ■
近年少女マンガで発見されたマンガの金鉱には、
「オーケストラ・ギャグ漫画」という「ノダメ・カンタービレ」が思い浮びます。
そして、最近発見されたのが、「かるた=百人一首」です。
(前置きが長かったですね)
「百人一首」は誰でも小学校や中学の授業で習います。
又、柔道場の臭い畳みの上で、「かるた」としての百人一首をプレーした事もあるでしょう。
日本人ならば、その中の何首かは、暗記していると思います。
私が小学生の頃には、我が家では正月は暇潰しに、
家族で百人一首をプレーしていました。
「モモヒキヤー、古き軒端の・・・・」と読まれると、
もう股引が浮んでしまって、オカシクテ、オカシクテ・・・。
そんなホノボノとした記憶が、くすぐったくもある百人一首ですが、
「競技かるた」なるジャンルがある様です。
確かに以前はTVのニュースで、
「今年のかるたの名人は・・・」などという映像が流れていまいた。
この「競技かるた」、着物に袴といういでたちの映像であったりするので、
「けまり」などと同様に、宮中行事の保存の為に開催されているのかと思っていたら、
むしろ囲碁や将棋に近い、ガチのバトルでした。
囲碁や将棋は、比較的長い制限時間の中での戦いであり、
交互に一手ずつ指してゆくので、スピードや反射神経とは無縁です。
ところが、「競技かるた」は実はスポーツの要素が強いのです。
1) それぞれの自陣に25枚ずつの取り札を並べます。(計50枚)
2) 制限時間で自陣と相手の陣地の札の位置を暗記します
3) 読手が上の句を読み、競技者が取り札を取り合います
これだけ書けば、中学の時にプレーした普通の百人一首です。
ところが、競技かるたは、ここからが奥が深い
4) 「1字決まり」や「2字決まり」の札がある
これらは「1字」読まれたら、あるいは「2字」読まれたら
取り札が特定できます。
「一字決まり」・・・「む、す、め、ふ、さ、ほ、せ」
むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに → きりたちのぼる あきのゆふぐれ
すみのえの きしによるなみ よるさへや → ゆめのかよひぢ ひとめよくらむ
めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに → くもがくれにし よはのつきかな
ふくからに あきのくさきの しをるれば → むべやまかぜを あらしといふらむ
さびしさに やどをたちいでて ながむれば → いづこもおなじ あきのゆふぐれ
ほととぎす なきつるかたを ながむれば → ただありあけの つきぞのこれる
せをはやみ いはにせかるる たきがはの → われてもすゑに あはむとぞおもふ
同様に「二字決まり」「三字決まり」・・・となりますが、それぞれの枚数は次の通りです。
一字決まり 7枚
二字決まり 42枚
三字決まり 37枚
四字決まり 6枚
五字決まり 2枚
六字決まり 6枚
「競技かるた」の選手達は、自陣と相手人陣地の50枚に札をほぼ暗記して、
「1字決まり」が読まれたら、最初の一字を聞いたら、即その札を取りに行きます。
ここで要求されるのは、暗記力と、そして反射神経、さらには瞬発力です。
読み手は百首全て読みますが、場に出ている札は50枚なので、
「2字決まり」以降は、決まり字の最後まで確認しなければ、
「お手つき」をしてしまう事になります。
六時決まりなどは、場に何枚か候補の札がある訳ですから、
選手達は札が確定するまで、「囲い手」と言って、
札を手で覆って相手からブロックしておきますが、
その札が確定して、ブロックしていた手を札に下ろすよりも早く、
ブロックの隙間から、相手が札をさらって行くケースまであります。
この様に、「競技かるた」は瞬発力も要求されるので、
選手達は卓球選手の様に素振りをしたりして、その技とスピードに磨きを掛けます。
■ 「女子高生」+「競技かるた」+「スポコン」+「ラブコメ」=「ちはやふる」 ■
作年から大ブレークしている少女漫画「ちはやふる」は、
「競技かるた」のクィーンを目指す女子高生の話です。
「綾瀬千早(ちはや)」は小学生の時に、転校生の「綿谷 新(あらや)」をイジメから助けます。
新の家で誘われるまま始めた「かるた」で、千早は驚愕します。
福井訛りで口数も少ない新が、「かるた」の前では豹変するのです。
彼の払う札を、宙を舞い、唐紙に突き刺さります。
千早はショックを受けると同時に、新と男友達の真島 太一と共に「かるた」を習い始めます。
3人でチームを組んで、大会に出場するなど、その友情を深め、かるたの腕も上達してゆきます。
ここからネタバレ
ところが新の転校で楽しい時間は終焉を向えます。
ところが千早の「かるた」熱は醒めていませんでした。
都立高校に進学した千早は、「競技かるた部」を作るべく奔走します。
そして、同じ学校に進学していた太一、かるた経験者の西田、
呉服屋の娘で、日本の古典を愛する大江 奏、
がり勉で机にばかり向っているのを強引に勧誘された駒野 勉を加えて、
彼らは「競技かるた」のと大会に出場します。
エースは千早です。
千早は人並み以上の聴覚の持ち主です。
これは「かるた」大いなる武器にないります。
太一の特技は記憶力。
奏は、一首一首への愛情と理解力。
西田は経験と割り切り、
勉は分析力。
5人はそれぞれ5人なりの方法で「かるた」の腕を磨いてゆきます。
そして、5人の前には次々と強豪高が立ちふさがります。
そして、その行く手には高校生でありながら女性の最高位、
クィーンの若宮 詩暢(わかみや しのぶ)が超然と聳えています。
少女マンガ的なには、千早をめぐる新と太一の黄金の三角関係が読者を引き付けます。
「君に届け」に通じる、少女マンガの大道とも言えます。
さらには、さすがにマイナーなかるたに没頭するだけあって
「登場人物が皆どことなく変」なんです。
これなどは「のだめカンタービレ」の流れです。
しかし「ちはやふる」の本質は、「スポコン」です。
次々に現れる強敵・珍敵を、鍛錬と友情で乗り切って行く様は
ほとんど少年ジャンプの乗りです。
原作は多少マンネリ気味ではありますが、
新入生も入って、千早の「無駄美人」にも磨きが掛かっています。
クイーンとの対決がどうなるのか、新と太一の恋の行方はどうなるのか、
新刊が出るのを、家族全員楽しみにしています。
■ これは傑作になるかも知れない、アニメ版「ちはやふる」 ■
好きなマンガがアニメ化するに当たっては、
「見たい」気持と、「見たくない」気持がせめぎあいます。
原作のイメージが壊れたらどうしよう・・・
そう思いながらも、「動いて、話す」登場人物達も見てみたい。
そういった、期待半分、恐れ半分で見たアニメ版「ちはやふる」は、
予想外でした。
・・・予想外に素晴らしい仕上がりでした。
「君に届け」の様なギャグ路線になり易い原作なのですが、
その「ギャグパート」を潔く切り捨てて、
「実写ドラマ」でもいけるのではないかという落ち着いたタッチで、
等身大の千早や新や太一が描かれてゆきます。
1話目が放送されただけですが、
今期のアニメのマストではないでしょうか・・・・。
今後、小学生の彼らがどう友情を深めてゆくのか、
ファンの期待が膨らみます。
最後に、各地の高校に「競技かるた部」が設立された事は言うまでもありません。
ちょっとした「かるたブーム」が発生しています。