人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

「大型台風は温暖化が原因」という刷り込み・・・昔の台風はもっと巨大だった

2019-10-15 02:11:00 | 温暖化問題
 

■ 台風で被害に遭われた方にお見舞い申し上げます ■

関東に上陸した台風としては近年では最大級とも言える台風19号。

多くの河川で越水や堤防の決壊が発生し、洪水の被害が大きい台風でしたが、被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

千曲川の堤防決壊現場の近くはゴールデンウィークの「東京ー直江津ワンデイライド」の時に通ったので、記憶に残っている風景なだけに、胸が痛みます。

今回の被害地域はちょっと遠いので、「災害救援のふるさと納税」か「特産品をお取り余せして応援」を考えています。

■ 「近年の巨大台風は地球温暖化が原因」という間違った刷り込み ■

大きな台風が日本列島を襲う旅に「温暖化によって台風が巨大化している」という報道がされたり、一般の方も「やっぱ、温暖化の影響だよね」などと会話されたりします。

「台風の巨大化=温暖化」という刷り込みがマスコミによってなされているからです。

しかし、台風が巨大化するのは「表層の海水温が高い」事が原因で、これは「人為的二酸化炭素による地球温暖化仮設」とは全く関係が有りません。台風のエネルギーは海面から発生する水蒸気によって供給されます。上昇気流によって水蒸気が水滴になる時に大量の熱エネルギーを発生し、それがさらなる上昇気流を生み出して気圧が加速度的に低下して台風になるのです。

1) 西太平洋や日本近海の表層海水温度が高いと台風は巨大化する
2) 伊勢湾台風や狩野川台風など、過去に巨大な台風の例は多くある
3) 人地球温暖化が進行していると言われる現在より過去の台風は大きい


科学的思考が出来る方ならば、「あれ?」っと思うハズです。

<枕崎台風>
1945年(昭和20年)
最低海面気圧 916.3hPa
最大風速51.3m/s、最大瞬間風速75.5m/s (宮崎県細島灯台)

<伊勢湾台風>
1959年(昭和34年)
最低気圧 894mb(米軍機観測)(上陸時 930mb)
最大風速 60m/s

<狩野川台風>
1958年(昭和33年)
最低気圧 877mb (上陸時960mb)
最大瞬間風速 100メートル

<2019年 台風19号>
2019年 (令和元年)
最低気圧 915 hPa (上陸時955hPa)
最大瞬間風速 43.8 m/s



上陸時の気圧の低さ(台風の勢力)順では・・・

925(mb) 1961年 高知県室戸岬の西

929(mb) 1959年 和歌山県潮岬の西

930(hPa) 1993年 鹿児島県薩摩半島南部

935(mb) 1951年 鹿児島県串木野市付近

940(hPa) 1991年 長崎県佐世保市の南
      1971年 鹿児島県大隅半島
      1965年 高知県安芸市付近
      1964年 鹿児島県佐多岬付近
      1955年 鹿児島県薩摩半島
      1954年 鹿児島県西部

上陸時の気圧の低さだけが台風の勢力を表す訳ではありませんが、温暖化が進行していると言われている現在よりも、過去に今回の台風19号よりも気圧の低い台風は沢山あります。

■ 「観測史上初」のカラクリ ■

最近良く耳にする「観測史上初」という言葉。多くの人が「温暖化している」と思い込み易い言葉です。

実は「観測史上初」というのは、「気象庁が測定点をその場所に設置してから最高の数値を観測した」という意味です。

アメダスの無かった時代には、各地の気象台や少数の観測点しかありませんでしたが、アメダスが全国津々浦々に分布した現在、年間50か所程度は「観測史上初」のデータが観測されます。

さらに、「1時間の雨量」やら「降り始めから24時間の雨量」やら、測定される数値の定義にも色々あるので、「観測史上初」が量産される訳です。

今回の台風19号は雨が長時間降った事で被害が拡大しました。



NHK NEWS WEB 「台風19号 わずか一日~二日で年間降水量3~4割の雨」より

各地の48時間の雨量は、
▽神奈川県箱根町で1001ミリに達し、
▽静岡県伊豆市市山で760ミリ、
▽埼玉県秩父市の浦山で687ミリ、
▽東京 檜原村で649ミリと年間降水量の3~4割にあたる雨となり、いずれも観測史上1位の記録を更新しました。

さらに東北でも断続的に猛烈な雨が降って、13日未明までの24時間の雨量は、
▽宮城県丸森町筆甫で587.5ミリ、
▽福島県川内村で441ミリ、
▽岩手県普代村で413ミリと年間降水量の3~4割にあたる雨が一日で降り、いずれも観測史上1位の記録を更新する記録的な大雨となりました。

<引用終わり>


この報道だけ見ると、「観測史上初」の凄い雨量の様に感じますが、48時間雨量で4か所、24時間雨量で3か所の測定点が「測定点を開設してから最大の数値」を記録した事になります。測定点は関東地方だけでも大量にありあmす。

ただ、今回の台風は「広範な地域で、観測史上初に近い雨量を長時間記録した」という点で、多くの河川で越水や堤防の決壊を起こしました。「雨の被害の大きい台風」であったという事は事実です。

■ 首都圏の大河川の治水は高いレベル ■

今回の台風の引き合いに出された1958年の狩野川台風。死者不明者が1269名にのぼりましたが、多くが水害による死者です。伊豆半島で多くの死者が出ていますが、東京でもゼロメートル地帯と呼ばれる江東区や荒川区などの地域に限らず、山の手でも水害は発生しました。これは、貯水能力の高い水田などが、急激な宅地開発で失われた為とされています。

一方、今回の台風19号では、東京やその近郊での水害は、多摩川の二子玉川付近での越水と、世田谷区玉堤から野毛にかけては、多摩川に注ぐ谷沢川が氾濫して浸水被害で出ています。又、武蔵小杉で雨水の処理が追い付かずに浸水が発生しています。

以前は、この程度の大雨が降ると神田川や善福寺川などが氾濫を起こしましたが、地下の貯水施設などが整備されてた為に今回は被害は発生していません。

多摩川の水害はドラマ「岸辺のアルバム」の元ネタにもなった1974年(昭和49年)の「多摩川水害」が皆さんの記憶にもあると思いますが、堤防が決壊して家が流されました。

これだけの雨量が広範に長時間降りながら、多摩川、荒川、江戸川、利根川の下流域での洪水被害は限定的でした。上流部で堤防の決壊や越水が起きたからとも言えますが、長年の堤防整備や貯水施設の整備によって、「東京は水害に強い街」になっている様です。

■ 中流域の水害 ■

今回の台風で被害が大きかったのは、河川の中流域ので越水や堤防の決壊です。支流が本流の流れ込む部分や、本流でも川幅が狭くなる場所の上流部で被害が大きかった。



上の写真は今回千曲川が氾濫した箇所(赤の点線)のgoogleマップ(航空写真)です。川は画面下から上に向けて流れています。この個所より上流では河川敷の幅が広いのですが、下流で緑の濃いエリアでは河川敷が狭まっています。多分、この場所で流れが妨げられ、その上流の水位が上昇したと思われます。

実は千曲川は、この少し下流、中野市と飯山市の市境周辺でさらに川幅が狭くなります。しあの写真は昨年夏の「東京-直江津」ワンデイライドの時に撮影したものですが、これまで平野部を悠々と流れていた千曲川が、急に山に挟まれ蛇行していたので、思わず撮影したものです。実はこのすぐ上流の立ヶ花地区では2004年と2006年に越水が発生しています。



この様に越水や決壊が起こり易い場所は凡そ検討は付くのでしょうが、全ての危険個所の堤防を高くしたり、川底を深くする工事は急には出来ません。

多くの市町村はハザードマップを公開しています。下の図は長野市が公開しているハザードマップです。中央付近が今回堤防が決壊した場所です。



実はこのハザードマップ、「1000年に1回起きる洪水」を想定して作成されてたものです。しかし、今回の決壊も2004年、2006年の越水も「普通の台風」で発生しています。「1000年に一度」という想定は、確かに避難地域を広くしますが、実は現実的では無い様に感じます。このハザードマップを見た人も「1000年に一度なんて自分の生きている間には起こらないに決まっている」と考えるでしょう。

ハザードマップを作製するにあたり、市町村がどの程度の災害を想定するかは、結構大切な問題様に思えます。現実的な想定の方が、危険地域が分かり易いのでは無いか。(公共工事を誘致する場合は被害想定地域が広い方が良いのでしょうが・・・。)

■ 私の自宅も水害で避難をしなければいけない地域 ■

ところで、私の住む地域は水害でどうなるのだろう・・・。以前も集中豪雨でマンションの前の市道が冠水したので、凡その見当は付きますが・・・。



バッチリ、「避難して下さい」の地域に入っています。ところで、どんな水害を想定しているのでしょうか・・・



「想定最大規模の大雨が利根川上流域に降り、江戸川が増水し、江戸川放水路が氾濫した場合」を想定したシミュレーションだそうです。「1000年に一度」よりも現実的に思えます。

ところで、今回の台風、浦安市の皆さんは結構万全の事前対応をされていました。コンビニは自動ドアを手動設定にして、養生テープで飛散防止をしていましたし、近くの美容院は入り口に土嚢を積んでいました。車のウィンドーを段ボールで養生している方もいらっしゃいました。

実は浦安の11日時点での予測最大風速は29m。直前には23m程度に下方修正されましたが、南風だったので、マジでアルミサッシの窓が風圧で割れるかとビビりました。(以外に窓ガラスは風圧では割れないものですね)

我が家は、お風呂に水を張って断水に備えました。家内が前日の午前中にスーパーに買い出しに行った時には、既に食パンは売り切れ、カップラーメンも残り僅かだったとか・・・。



ところで政府の対策会議、被害が明らかになってから設置されましたね。西日本豪雨で避難された後には、すぐに設置して「やってる感」を出していましたが、多分、政治家が出て来ると各省庁も動き難いのでしょう。今回は事前に「連絡会議」が設置され、対応も迅速だったと思います。

安部首相は森ビル会長とフランス料理を食べていらした様ですが、その方が役人も動きやすいのでしょう。やってる感を出す為には「森ビル会長と、カップラーメンを試食」の方がPR効果は有りそうですが・・・。

『無限の住人-IMMORTAL-』・・・そがファンの待ち望んだ「無限」だ!!

2019-10-11 07:32:00 | アニメ




『無限の住人-IMMORTAL-』 PV


amazonオリジナルアニメの『無限の住人-IMMORTAL-』の配信が始まりました。

過去にアニメ化やキムタク主演で映画化されましたが、どちらも残念な出来。「無限の魅力の何たるかが理解出来ているのかな?」と思わせる内容にファンは失望しきり。

しかし『無限の住人-IMMORTAL-』は、本当に「無限愛」を感じます。私達はこんな「無限」を見たかったのです。


以前、このブログの読者の方の依頼で(海外に日本をマンガを紹介するお仕事?)書かせていただいた原稿をアップします。私のこの作品への愛情が少しでもご理解いただけたら。

今期アニメの大本命です!!

何だかんだ言ったってマンガは絵の上手さだ・・・・沙村広明 「無限の住人」・・・「人力でGO」 2011/11/13




純粋な暴力」がぶつかり合う、ハードコア・パンクな「チャンバラ」・・・『無限の住人』


■ 床屋で出会った名作 ■

日本の床屋には、たいてい「マンガ」が置かれています。

床屋の待ち時間に「マンガ」を読む事を楽しみにしている人も少なくありません。私もその一人です。「マンガ」のセレクトから、床屋の店主のセンスが伺えるので、私は、マンガのセンスの悪い床屋には行かない様にしています。さらに、私は興味のあるマンガを読み尽くすと、床屋を変えたりもします。日本人にとって床屋は、新しいマンガとの出会いの場所になっているのです。私が『無限の住人』と初めて出会ったのも、近所の床屋の待合室でした。

 『無限の住人』は所謂「時代劇マンガ」です。侍が日本刀で殺し合う、伝統的なアクションマンガです。この分野は「チャンバラ」などと呼ばれます。刀の刃がぶつかり合う時の「チャン・チャン・バラバラ」という音を、そのまま呼び名にしたものです。

 私は「チャンバラ・マンガ」が好きではありません。日本で「チャンバラ・マンガ」を愛読するのは、所謂「オヤジ(50歳以上の男性)」です。ですから、この作品がズラリと並ぶ床屋の待合室に入った時、私ははっきり言って、床屋の店主は「オヤジ」で、きっと私の髪型は「オヤジ」の髪型にされてしまうと恐怖しました・・・。

 ところが、『無限の住人』を数ページ読んだ所で、私は確信したのです。きっと今日の私の髪型は最新流行の髪型になるだろうと・・・。むしろ私は、ツンンツンに尖がった、パンクヘアーになるのではないかという恐怖すら感じたのです。

■ ハードコア・パンクなチャンバラ ■


『無限の住人』より・・・・初期のパンキッシュな作画

 チャンバラには暗黙の美学があります。その美学とは、血しぶきが飛び散る様な過激な表現を避ける事です。これはマンガに限らず、チャンバラ映画やドラマでも同様な傾向があります。人々は、剣の達人の動きの美しさを堪能するのです。

 ところが『無限の住人』は全てにおいて「掟破り」なチャンバラ・マンガでした。腕はや足が断ち切られるのは当たり前。体や頭が真っ二つに切断され、内臓や脳漿が地面に散乱します。侍達はおよそ「日本刀」と呼べないような、異様な形の刀を振り回します。

 従来のチャンバラ作品をアメリカの音楽でカントリーミュージックと例えるとするなら、この作品に流れるリズムはパンクです。それも、ハードコア・パンク。

 作者は、既存のチャンバラのストイックな美学を、あざ笑うがごとく大量の血しぶきを、内臓を、そして暴力を読者に叩きつけます。主人公の「卍(マンジ)」の怒りが、直接的な暴力として読者に襲い掛かります。

■ 日本の美学に貫かれた絵柄 ■


『無限の住人』・・・敵の女性剣士の蒔絵の登場シーンはどれもスタイリッシュ

 この作品は、過激な暴力描写が繰り返えされる反面、その絵柄は極めて日本的な美学に貫かれています。剣士達が剣をふるう場面では、作者はページ全体を使って「決め」の絵柄を描きます。構図はシンメトリーで、背景には日本の伝統的な絵柄が描かれ、着物の襞の一つ一つが美しく描写されます。

しかし、浮世絵に代表される日本の絵画は、シンメトリーの構図を好みません。この作者のデザインする絵柄は、西洋美術のフォーマットの上で、日本の美学を再構築したとものとも言えます。それは一種の日本美術に対するパンク的破壊行為です。そして、この作風は同時代の日本の若者の心をガッチリと捉えます。多くの若者が、この作品を「クール」と感じたのです。

■ マンガの表現手法に、鉛筆で攻撃を加える ■


『無限の住人』より・・・鉛筆絵は印刷での再現性が難しいので徐々に減ってゆきます

 これらの特徴的な絵は、鉛筆で描かれています。普通、マンガはペンによって黒いインクで描かれます。作者は描画手法においても、既存のマンガの表現に対するパンク的破壊を試みているのです。

 「鉛筆で描かれたマンガ」は、同時代の若いマンガ家達に大きなショックを与えました。そして、『無限の住人』の発表以降、多くの若いマンガ家達が、鉛筆による表現にチャレンジしています。

 しかし、この特徴的な「鉛筆の絵」は、次第に作品の中から姿を消してゆきます。鉛筆で描かれた、微妙なトーンを印刷で再現する事は難しいのです。作者の沙村弘明は、この作品を描き始めた頃は美術大学の学生でした。しかし、彼がプロの漫画家としての自覚に目覚めるに従って、彼は「マンガは長い年月の鑑賞に堪えなえければいけない」という認識に至ります。彼は印刷での再現性に乏しい鉛筆の描写が、マンガの表現手法として適切で無い事に気づいたのです。

 ページから鉛筆の描写が減るのと同様に、作品から過剰な描写が減ってゆきます。一見するとそれは、突っ張っていた若者が、大人になるにつれて角が取れた様にも感じられます。あたかも、パンクロッカーが就職してスーツを着た様な印象を与えました。

 しかしその変化は、アンダーグラウンド・ロックの帝王Lou Reedが、『Blue Mask』の中で「I’m just an average guy.」と歌いだした時の衝撃と同種のものです。その変化は「後退」では無く、「進化」あるいは「深化」なのです。

■ 緻密に再構築された歴史の中で繰り広げられるパンク・チャンバラ■


『無限の住人』より

『無限の住人』の作者、沙村弘明が、チャンバラを題材に選んだ理由はいくつか考えられます。

1) 伝統的なチャンバラというジャンルで全く新しい表現を試みるインパクト
2) チャンバラは殺し合いなので、手足が切断され、内臓を撒き散らす様な暴力表現が可能。
3) 現代劇では問題になる暴力描写も、時代劇では許される

以上はあくまでも私の推測に過ぎません。しかし、作者は過激なチャンバラを描いている内に、江戸時代を描く魅力にすっかり魅了されてしまった様です。

彼の描きだす江戸時代の町並みや風物、生活の様子はどんどんと緻密になってゆきます。作品のページの中から、当時の時代のざわめきや、空気がふっと立ち上って来ます。

そして、生き生きと再現された江戸の街を背景にする事で、サムライ達の架空の戦いは、あたかも歴史の一コマであるかの様なリアリティーを獲得するのです。

■ 日本の若者の心を掴んだのは「伝統」では無く「先鋭」 ■

この作品を支持したのは、伝統的なチャンバラファンである「オジサン」ではありません。いわゆるオタクと呼ばれる、ある種の先鋭的センスの持ち主達によって、『無限の住人』は熱狂的に支持されています。

ネットには彼らのコスプレ画像がアップされています。彼らは、この作品を純粋に「カッコイイ」と感じています。その感覚は、キアヌ・リーヴスの「マトリクス」を見て「カッコイイ」と思う感覚と共通です。学校の歴史の時間に居眠りをしていた日本の若者達の心を捉えたのは、今まで見たことも無いような全く新しいチャンバラ・アクションであり、「江戸時代」という、現代の日本とは全く異なる、ファンタジーワールドだったのです。

 彼らにとって、チャンバラという伝統的なエンタテーメントは、むしろ「先鋭的」なジャンルに感じられたのです。

■ 生きる目的を失った男が、不死身の肉体を得る ■

『無限の住人』現在29巻が発売されています。この長大な作品の中で、作者はひたすら暴力を描き続けます。

 主人公の卍(まんじ)は、かつては将軍に仕えるえるサムライでした。彼は上司に命令されるままに、「悪人」を殺してきました。しかし、彼の殺した悪人とは、上司の不正を正そうとする人物だったのです。事実を知った卍は、上司を切り殺してしまいます。

 封建時代の江戸時代で、上司を殺す罪は許されません。切腹(ララキリ)してその罪を償うのが当時の社会のルールです。しかし彼はサムライとしての誇りを捨てます。彼は動物的な生存本能のままに、100人の追手を切り殺します。個人の誇りを守る為に、侍の社会の掟を破った卍は、自己の存在理由を見失ってしまいます。

そんな卍に、一人の尼僧が「不死の薬」を与えました。その薬は「血仙虫」と呼ばれ、肉体が破壊されればその場所に「虫」が集まり、破壊された対組織を復元します。生きる目的を失った彼は、皮肉な事に「不死身」の肉体を手に入れてしまったのです。

■ 暴力によって暴力を償う決意 ■

卍には妹が居ました。彼女の夫は卍と戦って死にました。その場に居合わせた妹の精神は崩壊してしまいました。そんな妹が、盗賊によって、卍の目の前で殺されます。彼は怒り狂って剣を振るい、何十人もの敵を惨殺します。不死身の彼に適う者は誰も居なかったのです。

大切な妹を失った事で、彼の心に変化が生じます。生きる目的を失っていた男は、「1000人の悪人を斬る」という誓いを立てます。彼は暴力によって暴力を償う決意をしたのです。

■ 凛という一人の少女を守る為の純粋な暴力 ■

神の意志が支配する西洋と違い、東洋の「善悪」とは相対的な価値観です。「完全なる悪」や「完全なる善」は東洋には存在しないのです。ですから、「1000人の悪人を斬る」と誓いを立てた所で、卍には誰が悪人なのか良く分かりません。

そんな彼の前に「凛(りん)」という少女が現れます。彼女の父親は道場を営んでいましたが、「天津影久」という男と彼の仲間に父と母を、目の前で惨殺されています。影久と凛の父親の道場の間には、祖父の代の怨恨がありました。影久は祖父の恨みを凛の父母を殺す事で晴らしたのです。

凛は卍に、自分の「敵討ち」の手助けを頼みます。圧倒的な強さを誇る影久と彼の率いる「逸刀流(いっとうりゅう)」を殲滅する為に、不死身の力を貸して欲しいと頼んだのです。ところが卍はその頼みを一度は断ります。彼には凛と影久のどちらが「悪」なのか判断が出来なかったからです。

ところが、卍は凛に妹の面影を見てしまいます。卍は妹を二度失う悲しみには耐えられません。彼は純粋に一人の少女を救いたいという欲求によって、その不死身の肉体を行使する事を決意します。

骨を断たれても、足を切り落とされても、心臓を突かれても死なない卍は、ある意味最強の剣士です。彼は不死身の肉体という圧倒的な暴力を、ただただ純粋に一人の少女を守る事に行使します。

■ 理想の為に行使される純粋な暴力 ■

一方、凛の両親を殺して彼の祖父の復讐を果たし天津影久は、彼の仲間「逸刀流」を率いて、日本中の流派を統一する理想に燃えています。

 江戸時代は日本の歴史の中でも、最も平和な時代です。将軍を頂点とする統治機構のシステムの完成度が高かったのです。サムライ達は日々、道場に通い剣の技を磨いています。しかし、平和な時代の剣の技は、実用性を欠き、形骸化しています。

影久は「逸刀流」を率いて全ての流派を倒す事で、形骸化した日本の剣の技を、再び実践的な技術に戻す事で、将軍に貢献しようという野心を抱いています。彼の野心は、あくまでも純粋です。

 彼に賛同する剣士も大勢表れます。「逸刀流」の流儀は単純です。それは、一対一の戦いで敵をただ倒す事です。二本の刀を使うのも、異型の刀を使うのも許されています。さらにサムライという身分にも拘りはありません。影久はただ、強い者が勝つという、戦いの基本に忠実な事を重要視したのです。

影久や逸刀流の剣士達は、容赦の無い暴力によって、他の道場を統合してゆきます。強い理想に貫かれた彼らの暴力は純粋であるが故に、強大で獰猛です。

■ 純粋な暴力の対立という現代的なテーマ ■

「大切な人を守る為の暴力」と「理想を実現する為の暴力」は、両方ともその目的は極めて純粋です。

歴史上、世界で繰り返されてきた暴力的対立は、この二つの暴力の対立に単純化する事も可能です。

近年、私達は、映画のスクリーンで、この二つの暴力の明確な対立を目の当たりにしています。『The Dark Knight Rises』です。

ゴッザムシティーを暴力から救う為に、バットマンはいつもながら「悪」に対して容赦の無い暴力を振るいます。一方、バットマンに対抗するベインの暴力の目的は、ただ大切な人を守る事です。

私は『The Dark Knight Rises』を見ながら、バットマンを単純に応援出来ませんでした。対立する二つの暴力のどちらが正義なのか、混乱してしまったのです。バットマンの振るう暴力は、時として国家が民衆に振るう暴力と同種のものです。国家というシステムを守る為にそれは正当化されます。一方、ベインは自分の愛する者の為だけに暴力を振るいます。一見、それは利己的の様に見えますが、反面、人間の根源的愛情にあふれているとも思えます。

 アメリカの社会をモデルにした『The Dark Knight Rises』では、明らかに正義はバットマンの側にあります。ところが、善悪の判断が相対的な日本を舞台にする『無限の住人』においては、この二つの暴力に善悪という優劣は付けられません。
だから、凛は影久を親の仇として憎みながらも、理念というものに縛られる影久に一種の憐みを覚えたりもします。

 『無限の住人』で殺し合うサムライ達は、どこか心の底で共感しあうものを感じています。彼らは、彼らにしか分からない暴力という言語で語り合う喜びに身を委ねているのです。既に、彼らの暴力は、コミニュケーションの手段であり、一つの文化になっているのです。

■ 女性剣士の美しさに感銘するも良し ■

 いろいろと、難しい事を書いてしまいましたが、『無限の住人』の最も正しい楽しみ方は、美しい女性剣士達の姿を、心ゆくまで堪能する事です。

 作品中の最強の剣士は、卍でも影久でもありません。槇絵(まきえ)という女性の剣士こそが、最強です。

 彼女のシナヤカな肢体から繰り出される攻撃から、屈強の男達は逃れる事は出来ません。彼女と戦った者達は、どこからとも振り下ろされる刃に、無残に内臓を散らし、彼女の美しい姿を網膜に焼き付けて息絶えます。

 29巻での槇絵の美しさは、言葉で表現する事が出来ません。雪の中を音もなく静かに舞う彼女の周辺で、男達がハラハラと倒れてゆく描写は、この作家の初期の過剰な描写の対局にある表現です。

■ 日本独自の美学を確立した沙村弘明 ■

 沙村弘明は、ハードコアー・パンク的な過剰さを、削ぎ落とし続ける中で、日本美術の本質へと回帰しゆきます。それは、激しい動きの中にある、一瞬の「静止」す。「静」こそが日本美術の神髄尾であり、同時に日本の武道の極意とも言えます。

 日本のマンガはアメリカンコミックの影響を強く受けてきました。動きを表現する為のデフォルメやパースの強調、さらには効果線を駆使してマンガを描かれます。
沙村弘明は、それらのマンガ的な技法を捨て去る事で、日本オリジナルのマンガ表現に到達しています。

 擬音はアメリカン・コミックの偉大な発明です。表音文字の機能を最大に生かしたその手法は、日本のマンガも取り入れられています。日本語のカタカナと呼ばれる表音文字はアルファベット同様に、擬音表現のデザイン処理に適して文字です。ですから、日本のマンガにはカタカナの擬音表現が多く見られます。

 しかし沙村弘明は『無限の住人』の中で、漢字による擬音表現にチャレンジしています。「斬(切る)」という漢字は、「切る」という意味と、「ザン」という音の両方を持っています。画面に踊る「斬」という擬音表現を楽しめるのが、漢字文化のの人々に限られるのが残念でなりません。

 もし、この作品を読まれる方に日本人の友人がいらしたならば、その漢字の「意味」と「音」を教えてもらうのも楽しいでしょう。これこそが、『無限の住人』の一番、マニアックな楽しみ方かも知れません。

 是非、この素晴らしい作品をお読みになって、遠い日本の、遠い時代に思いをはせて






『波よ聞いてくれ』より

ハチャメチャでいい加減な性格のカレー屋の女店員が、ラジオのパーソナリティーに抜擢され、ハチャメチャな番組を放送してゆく話・・・・だけど佐村作品だけに一筋縄ではいかない。『無限』って実は1/4はギャグ漫画で、1/4はラブコメ漫画なんですよね。




『春風のスネグラチカ』より

凌辱趣味が程々に抑えられていて、純粋に「良作」。




安倍一極の終焉とポスト安倍・・・政界の点と線

2019-10-09 10:19:00 | 時事/金融危機
 

■ 関西電力の問題は国税局から始まった ■

原発利権に裏金が動く事などは当然ですが、それが表沙汰になる事は普通は有りません。有力政治家が絡む事件に、検察も国税も手を出しません。

ところが、今回は国税局の査察から事件が発覚した。本来ならば「しかる筋」から電話が入ってウヤムヤになる所を、事件化したという事は、裏にイロイロと政治的な思惑が渦巻いていると私は妄想しています。

国税局から事件が発覚し、操作が続行されたという事は、財務省が絡んでいる。財務省のトップは麻生氏です。

一方、原発や電力会社の所轄官庁は経済産業省。安倍総理の手駒です。

■ 安倍・麻生・菅・二階 ■

安倍政権も三期目となり、「ポスト安倍」の動きが水面下で活発化しているはず。麻生氏と菅氏はポスト安倍を巡り対立していましたが、麻生氏が息子の地盤を譲る準備に入った事から、関係は微妙に変化しているはずです。

「細田派(安倍)+ 麻生派」 VS 「菅グループ +二階派」という対立軸で語られる事の多かった自民党内の力関係ですが、仮に麻生氏が引退して求心力を失えば、バランスが変化します。安倍政権で冷遇されていた人達も、菅氏側に付く可能性が高く、優柔不断な岸田氏を菅氏が抱き込む事も・・・。そうなると、麻生氏としては安倍氏と心中する義理はありません。

■ 経産省の天下の終わりの始まり ■

官僚達も経産省の天下を面白く思ってはいません。特に森友問題で泥を被った財務省は、復讐の機会を伺っていたハズです。

稲田氏、世耕氏らが関係企業から献金を受けていた事が明らかになっていますが、世耕氏は逃げ切れません。原発の所轄大臣が、原発の受注企業から年150万円ずつ、1200万円もの献金を受けていて、問題にならなければ、この国のメディアは死んだも同然です。

経産省絡みでは菅原一秀経産相の悪い噂もチラホラ報道されています。事務所の職員への処遇が「超ブラック」でトヨマユ以上だとか・・・。

どうも経産省天下に陰りが見えて来た様です。これは同時に安倍総理の影響力の低下を意味するのでは無いか。

■ 小泉進次郎バッシングも始まった ■

将来の首相候補とされる小泉進次郎バッシングも始まっています。

これまで「軽ーい言動」を批判無しで垂れ流していたマスコミですが、ネットメディアや週刊誌から、手の平を返した様なバッシングが始まっています。

国連での「セクシー」発言に端を発して、「進次郎叩き」が解禁となった様ですが、根本的な原因は「大臣起用」にあります。

一説には菅官房長官に弱みを握られて入閣を断れなかったという小泉氏。環境大臣となりましたが、反原発発言からボロが出ています。これも罠が仕掛けられていて、前任の原田氏が「汚染水の海洋投棄も止む無し」との発言を、わざわざ退任直前に個人的見解として述べています。

当然、新任の大臣として、海洋投棄問題を問われると予想された小泉氏ですが、自ら「福島にお詫び」などと言い出した。これでネトウヨと呼ばれる人達を敵に回しました。政権内でも立ち位置も微妙になりました。

汚染水問題は時限爆弾で、かならず「海洋投棄」の決断を次期内閣はしなてはなりません。ここで、「海洋投棄反対」の立場の小泉氏は、踏み絵を踏まされる事になり、下手をすれば政治的信頼を失います。

■ 菅氏はキングメーカーが似合う ■

派閥に属さない菅氏ですが、無所属の議員の世話を良く見る事から、実質的には菅派の総領とも言えます。ただ、大きな利権を持っている訳では無さそうなので、政治資金で派閥をまとめる力に欠けます。(統合型リゾート(IR)の横浜誘致で、カジノ利権を当然狙っていると思いますが)

「令和おじさん」で人気は出ましたが、首相よりもキングメーカーの方が似合う。そうなると、次期首相に岸田氏を推す事も充分に考えられます。

岸田氏への禅譲は「安倍-菅」から約束されていましたが、どうやら「菅-二階-麻生」が岸田氏を推す形で、細田派の影響力を排除すると私は妄想しています。


■ 野崎マド氏原作の『バビロン』がムチャクチャ面白い ■


『バビロン』より

ここまで妄想をタレ流して来ましたが、ここからが本日の本題。

19秋アニメがスタートしましたが、新作はこの作品しか未だ観ていません。『正解するカド』
で良くも悪くもアニメファンを喜ばせた野崎マド氏原作の『バビロン』のアニメ化です。


東京一極集中を緩和する為に東京西部に作られた「新域」という特別区。様々な規制緩和を行う実験都市ですが、そこで何やらドロドロとした政治の駆け引きが繰り広げられています。

製薬会社の誇大広告事件を操作していた東京地検特捜部の検事二人が、この事件の裏に有名政治家が絡んでいるらしい事を突き止めます。そして、捜査を開始するのですが・・・なんと!!

1話の最後はショッキングでした!

3話まで放送されていますが、これ面白過ぎです。

流石は現在最高のSF作家との呼び声の高い野崎マド。多分、実写ドラマでは内容がヤバ過ぎるので、アニメでしか放映出来ないでしょう。

ドイツ銀行10月末に破綻?

2019-10-08 09:53:00 | 時事/金融危機
 

副島氏が「ドイツ銀行が10月末に破綻」と書かれていますね。

外れるのいが陰謀論ですが、たまに当たるから怖い。

「ラギが辞任してラガルドがECB総裁になる」とか、「急激な円高が発生する」とか、イロイロと陰謀脳を刺激する事が書かれているらしい。

まあ、何れは訪れる結末ではありますが・・・・来年までは持ってくれるといいなあぁ・・・。