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静岡のお茶と清水港の歴史 その二十一 静岡清水線 入江町-上原(写真は清水駅前)

2021-06-29 12:17:42 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは  2021年6月29日の火曜日です。

表紙は6月初旬、今年もJR清水駅東(みなと)口の公園、ジャカランダの木に花が咲きました。

静岡市議会(清水は静岡市なのだ)6月定例会補正予算案のなかに 桜ヶ丘病院を清水駅東口公園(写真)へ移転するため

モニュメントや樹木の移転費用 約7200万円を計上したとニュースで聞きました。

いつかは見れなくなるんだよな・。

1947年  国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より

お茶と清水港の歴史

清水港からお茶の輸出が開始されると、港までの輸送に重要な鉄道の敷設がおこなわれ

明治42年(1909) 鷹匠町(新静岡)から清水港の波止場まで貨物、旅客営業が始まりました。

江尻新道(新清水)からひと駅目の入江町手前

開業当初は今とルートが異なり、写真に見える東海道線を北へ跨いでいました。

富士山はマンションで見えなくなってしまいました。

現 入江岡駅舎はものすごくコンパクトなつくりとなっております。

ホームへは階段で降りるしかありません。

開業当初の入江町駅は左奥の木の向こうかな・・

追分駅は旧東海道沿い、お弁当の「いなば」さん付近あったようです。

このブログでよく登場「追分踏切」 静鉄旧線は東海道線の北側を通り

線の引き方はテキトーだが、左にカーブし

上原駅(現 狐ヶ崎駅)手前で再び東海道線を跨いでいたようです。

この石積みも当時の名残でしょうか。

跨線橋のすぐ下を流れる珍しい谷津沢川水路橋も以前紹介しました。  昭和49年7月の七夕豪雨でこのあたりは

土砂崩れや浸水など甚大な被害が発生しましたが、懸命の復旧により運休からわずか一週間後に運転が再開されました。

南進し

右カーブし再び旧東海道へ

上原駅はこの写真あったと思われます

1989年 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より

1908年開業当初は地名の上原(うわはら)駅 1927年、狐ヶ崎遊園地が開業した際に「遊園前駅」に改称

開園記念として北原白秋作詞「ちゃっきり節」♪ を制作

1967年に一旦閉園し、翌68年に狐ヶ崎ヤングランドとして再開後

駅名も「狐ヶ崎ヤングランド前駅」、80年代後半には「狐ヶ崎駅」と改称され現在に至ります。

1993年閉園まで清水市を代表する遊園地でした。

そして今年4月、約20年ぶりに入船町のエスパルスドリームプラザに遊園地

「清水マリナーサーカス」が開業するのであった。   つづく。

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