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静岡のお茶と清水港の歴史 その二十三 静岡市内線 鷹匠町(写真はタチアオイとA3000)  

2021-07-08 12:28:08 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは  2021年7月8日の木曜日です。

表紙は静岡鉄道静岡清水線A3000とタチアオイ  2年前の撮影です。

何回も貼りますが、静鉄はやはりタチアオイ。

(デパートで展示されていた模型) 1月にも貼りましたが静岡市の路面電車は

大正11年6月 静岡駅前~鷹匠町(現 新静岡)に静岡駅前線として開業。

1989年 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より     

静岡駅前~鷹匠町 とても短かい区間でしたが まず開通しました。

1989年 「地図・空中写真閲覧サービス」より 

大正15(1926)年  左端の安西から鷹匠町まで全線開業により静岡清水線と直通運転をしていた模様

(フェルケール博物館展示 東名高速道路はまだできていないが)  

清水港までお茶が運ばれていたのだろうか。

緑印の新清水駅は開業当初「辻村」その後「江尻新道」「清水相生町?」そして「新清水」と改称されました。

1945年終戦後の12月 鷹匠町~清水相生町を軌道から地方鉄道に変更

清水相生町~波止場間休止、終戦後に廃止されたとのこと。

静岡鉄道は長沼車庫に保存されているデワ1

集電装置、今はパンタグラフですが当初はトロリーポールでした。

後部にトをつなげて清水港からの石炭輸送など貨物輸送で活躍していたようです。

1989年 「地図・空中写真閲覧サービス」より 

昭和21年12月  安西~鷹匠町は静岡清水線と分離され

安西~静岡駅前を「静岡市内線」に改名されました。   つづく。

「いいね!」ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 


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