これは悪夢のユートピア、嘘くさい幸せを描くディストピア映画。悪い映画ではないし、意図するところは明確だ。だけど、なんだかあまりに単純で見ていて違和感しかない。
主人公が暮らす街は理想郷。主人公(フローレンス・ビュー)はそこで、夫と二人幸せに暮らしている。きれいな街。同じ家が並び、同じような夫婦が暮らし、夫たちは車で同じ時間に一斉に仕事に行き、妻たちはみんな専業主婦で家事をしながら夫の帰りを待つ。明るい日差しとさわやかな笑顔のもとで、主婦たちはなかよく暮らしている。砂漠に建つこの街はまるで50年代のアメリカのザバービアの風景。
この不思議な幸せ(違和感)が続く街での平穏な毎日が描かれていく。主人公の女性は、そこに疑問を抱く。ここから話が始まるのだが、その見せ方がふつうじゃない。まず、主婦仲間のひとりの女がここはおかしいと訴える。そして死ぬ。そこから悪夢が始まるというよくあるパターン。嘘くさくて、まるでリアルじゃない世界。ここは何なのか。これはきっと現実ではない。では、これは何なのか。SF映画の定番の展開がそこから始まるのだが、あまりに単純すぎて、そこに(反対に)さらなる不思議を感じる。お話のオチにあたる展開もなんだか、ペラペラで説得力がない。
中身のない卵とか、この世界の異常が日常の中で少しずつ感じさせられるという展開は悪くない。夢のような世界が目の前のひろがっているのに、それを素直に喜べない。あまりにそれが嘘くさいからだ。そして、自分たちが暮らす世界が作られた世界だということを知る。この書き割りのような生活空間の外には何があるのか。現実がコントロールされ、自分たちは何をしているのかが明確になる。だけど、なんだかよくわからない。
この映画がたどりつくのは、この理想の悪夢から逃れることで得たはずの「その先にある現実」すらなんだか嘘くさいこと。結末はホラーなのに、それまでもなんだか嘘くさい、という堂々巡りなのだ。定番の展開がここまで嘘くさく、この悪夢は目覚めることなくどこまでも続く。どこまで行こうともここから逃げ出せない。何も信じられない。すべてが嘘くさい。この文章は「嘘くさい」の連発だ!これはそんな嘘くさい映画だ。