『ナビィの恋』の中江裕司監督の久々の劇映画。前作『盆唄』はドキュメンタリーだったので、劇映画は久しぶり。しかも今回は沖縄が舞台ではない。原作は小説ではなく水上勉による料理エッセイ(「土を喰う日々 わが精進十二カ月」)ということだが、そこにはたぶんストーリーはないだろうから、これはほとんどオリジナル台本だ。でも、この映画自体もほとんどお話はない。これはドキュメンタリー映画のような作品なのである。食事を作り、食べて、ぼんやりしたり、時には仕事を(主人公は小説家だから執筆活動ね)したりもする。
そんなふうにして暮らす作家、勉(沢田研二)の日々のスケッチを淡々と描くだけの映画だ。なのにそれがとんでもなく面白い。描かれる食事自身も、手の込んだ豪華なものではなく食材を生かしたものばかりで、地味。なのにとてもおいしそうで、観客の僕らはそれを食べられるわけでもなく見ているだけなのに楽しい。
ここにはドラマはない。あるのはただの日常。田舎でのひとり暮らし。なにもないし何も起こらない。だけど、それがなぜかとてもドラマチックなのだ。近くで暮らす妻の母親が、死ぬ。なぜか葬式をすべて仕切らされる。淡々とこなす。そのシーンが映画のクライマックスになっている。そんな映画ってありなのか。彼は義弟(尾美としのり)に頼まれて、引き受ける。義弟は自分の母親なのに、まるで関心がない。肉親だから仕方なく、そこにいるだけ。勉は彼以上に義母と関わっているし、気に入られているけど、それにしてもなぁ、と思う。偏屈な老人だった義母(奈良岡朋子)との交流を描くシーンも淡々と描かれていた。だけど、そこからふたりの関係性が見事に描かれている。だから、葬儀の世話をするのも、当然のように思える。
恋人の松たか子とのお話もそう。彼女は編集者で勉の担当。だから原稿を取りにくるのだが、時々やってきて、ふたりでご飯を食べる。それだけ。13年前に亡くなった妻の骨をまく散骨シーンもさりげない。湖に舟を出してまくだけ。義母の骨も一緒に。(いいのか、あれで)全編、言葉にして何も語らない。こんなにも無口な映画なのに豊饒な映画だ。食べる、生きる。そして、やがて死ぬ。でも、今は生きている。それだけ。それがすべて。