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映画・演劇のレビュー

『渇きと偽り』

2022-10-03 11:10:27 | 映画

これはアメリカ映画ではなく、オーストラリア映画だ。今のあの国の抱える問題を切り取る。ミステリー仕立てだが、描きたいのは犯罪や犯人捜しではない。乾ききった大地を舞台にして、そこに暮らす人々の渇いた心を描くことが作り手の意図だ。ここで起こる殺人は、この閉鎖的な町だから、ではなく、360日以上の日々、ずっと雨が降らない土地で暮らすことの意味や、ここで暮らす人々の祈り、諦めがこのお話の背後にはある。彼らはこの土地から逃げ出した親子を許さない。

20年後、友人の葬儀のためここに戻ってきて、彼の死を調べることになった主人公に村に人々は当然のように協力しない。妻と子を殺して自殺したという友人。だが、事実はそうではない。お話は先に書いたように問題は真犯人は誰なのか、ではなくこの排他的なコミュニティの存在だ。彼らを追い詰めたもの。もちろん答えは明確で、最初から見えている。

今回の事件を捜査する過程で20年前の事件が同時に描かれる。ラストでふたつの事件の真相が明らかになる。まぁ、よくあるパターンだ。先日の『沈黙のパレード』も同じパターンで(あれは過去の事件と今の事件の関連性を描き切れてなかったけど)あれよりはましだけど、この映画もまた全体の作り方もそうだし詰めが甘すぎて納得いかない。

なぜ20年前彼が約束の場所に行かなかったのか、という一番大事な部分が曖昧なまま終わるのが気になった。彼がちゃんと約束した川のほとりに行っていたら彼女は殺されなかったのではないのか。彼女がこの町から逃げ出したかったことを、彼がちゃんと理解できていたなら、彼女を助けられたのではないか。あの時彼を庇ってくれた親友が今回の事件を起こした。でも果たして彼が犯人なのか。真相はどこにあるのか。すべてはこの雨の降らない場所のせいなのか。そこに答えを集約するにはあまりにすべてが中途半端なままで説得力はない。


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