見開き2ページの文章と写真によってワンエピソードが構成されていく連作フォト・エッセイ。東京からインドへ、再び東京、そして重慶、東京。彼女の精神的な旅が、実際の旅と東京での生活を通して綴られていく。
<人間の魂と出会う場所>としてのインド。そんな紋切り型のイメージがまずある。スピリチュアルな体験を期待してしまうから、なんだか恥ずかしくてそこに足を踏み込むことが怖い気がする。でも、実際に行ってみると、そこも東京と同じように人が暮らしている生活の場でしかない。そんなこと、考えるまでもなく当たり前のことだ。
ずっと留学していた香港で、彼女がほっとする場所。重慶マンション。(『恋する惑星』のオリジナル・タイトルは確か『重慶森林』。それってここが舞台だ、と思う。多分)なぜここは「重慶」という地名を冠したのか。気になっていた。だから、実際に重慶を旅してみる。するとそこは表通りから一歩足を踏み出すと、別世界が広がる迷宮。そこは香港のかっての魔窟と呼ばれた九龍城砦を思わせる街だった。霧に煙る迷路の街をさまよう。
星野さんは、近所を散歩するように、旅する。ちょっとそこまで、という感覚で東京もインドも中国重慶も同じように旅してる。そういうところがいい。
「引越しをする必要のない子供」として育った彼女がここを「出たい」ではなく「出てみたい」という感覚で、カメラを手に旅する。セピアトーンをベースにした写真は単純なノスタルジーではなく、もっと深いところで心の一番痛いところに触れてくる。いったこともない場所なのに、懐かしい。そんな風景を見せてくれる。いつまでもこの写真を見つめていたら自分の心の中をみつめているような気になる。
「その日は朝からなんとなくいい感じだった。迷子になるには最適の日だった。」というオビの文章がすべてを表わしている。今までの香港を描いたエッセイや、東京での生活を描いたいくつもの本と同じようにこれもまたとても素敵な1冊。星野博美版『メメントモリ』って感じ。
<人間の魂と出会う場所>としてのインド。そんな紋切り型のイメージがまずある。スピリチュアルな体験を期待してしまうから、なんだか恥ずかしくてそこに足を踏み込むことが怖い気がする。でも、実際に行ってみると、そこも東京と同じように人が暮らしている生活の場でしかない。そんなこと、考えるまでもなく当たり前のことだ。
ずっと留学していた香港で、彼女がほっとする場所。重慶マンション。(『恋する惑星』のオリジナル・タイトルは確か『重慶森林』。それってここが舞台だ、と思う。多分)なぜここは「重慶」という地名を冠したのか。気になっていた。だから、実際に重慶を旅してみる。するとそこは表通りから一歩足を踏み出すと、別世界が広がる迷宮。そこは香港のかっての魔窟と呼ばれた九龍城砦を思わせる街だった。霧に煙る迷路の街をさまよう。
星野さんは、近所を散歩するように、旅する。ちょっとそこまで、という感覚で東京もインドも中国重慶も同じように旅してる。そういうところがいい。
「引越しをする必要のない子供」として育った彼女がここを「出たい」ではなく「出てみたい」という感覚で、カメラを手に旅する。セピアトーンをベースにした写真は単純なノスタルジーではなく、もっと深いところで心の一番痛いところに触れてくる。いったこともない場所なのに、懐かしい。そんな風景を見せてくれる。いつまでもこの写真を見つめていたら自分の心の中をみつめているような気になる。
「その日は朝からなんとなくいい感じだった。迷子になるには最適の日だった。」というオビの文章がすべてを表わしている。今までの香港を描いたエッセイや、東京での生活を描いたいくつもの本と同じようにこれもまたとても素敵な1冊。星野博美版『メメントモリ』って感じ。