お風呂屋の女がガンになって死ぬ。死んだあとは自宅である銭湯で焼いて欲しいと言う。故人の意志を尊重し、風呂釜で燃やす。そのお風呂にみんなで入るシーンがラストシーン。そんなぁぁ、というような唖然とする展開。まぁ、ここはたぶんファンタジーだけど、この凄まじい展開にはびっくりさせられる。でも、それだけではなく、この映画には最初から最後まで驚かされてばかり。まぁ、それは、彼女には驚かされてばかり、ということなのだが。
宮沢りえが演じる主人公の生きざまが凄まじい。いきなり末期がんの宣告を受け、あと、2,3が月の命、と言われる。そこから始まる彼女の人生の終わらせ方が描かれる。特別なことは何もしない。まず、1年前、突然夫が失踪してから閉めていた風呂屋を再開する。その前に失踪していた夫を探し出し、連れ戻す。高校で理不尽な虐めに合い、登校できない娘を意地でも学校に行かす。すべてが強引。当然ガンの治療もしない。抗がん剤とかもう役に立たないし、それよりなにより、嫌だから。
特別なことはしない。いつも通りの毎日を最後まで送りたいと願うのだ。もちろん最後は入院してベッドの生活を強いられる。でも、自分の意志は最後まで曲げない。死んだと思っていた母親に会いに行くが会うことを拒絶される。娘は自分が産んだ子ではなく、夫の前妻との子で、彼女を(前妻、ね)家に呼び戻す。さらには、夫がよそに作っていた子供も引き取る。ヒッチハイクで出会った行き場のない青年も引き受ける。
自分が死んだあと、みんなが幸せになれることが自分の幸せ。もちろん、それは彼女のわがままでもある。強引で自分の考えを押し付ける。でも、それが結果的にはみんなを幸せにする。困った人だけど、勇気のないみんなの後押しをする。彼女はこういう現代の『肝っ玉かあさん』なのだ。無茶は承知で押し切る彼女の勇気。心の強さ。
年下のダメダメ夫をオダギリジョーが演じていて実にサマになっている。本当にダメな男だけど、憎めない。ダメなりにちゃんとがんばる。娘は自分なりのやり方で虐めに立ち向かう。制服を返して、と教室で裸になる(下着姿だけど)シーンの痛ましさ。それはない、と思うけど、あの子はそんな形でしか抵抗できないのかもしれない。いろんなことが無茶苦茶だけど、納得させられる。そんな映画だ。
宮沢りえが演じる主人公の生きざまが凄まじい。いきなり末期がんの宣告を受け、あと、2,3が月の命、と言われる。そこから始まる彼女の人生の終わらせ方が描かれる。特別なことは何もしない。まず、1年前、突然夫が失踪してから閉めていた風呂屋を再開する。その前に失踪していた夫を探し出し、連れ戻す。高校で理不尽な虐めに合い、登校できない娘を意地でも学校に行かす。すべてが強引。当然ガンの治療もしない。抗がん剤とかもう役に立たないし、それよりなにより、嫌だから。
特別なことはしない。いつも通りの毎日を最後まで送りたいと願うのだ。もちろん最後は入院してベッドの生活を強いられる。でも、自分の意志は最後まで曲げない。死んだと思っていた母親に会いに行くが会うことを拒絶される。娘は自分が産んだ子ではなく、夫の前妻との子で、彼女を(前妻、ね)家に呼び戻す。さらには、夫がよそに作っていた子供も引き取る。ヒッチハイクで出会った行き場のない青年も引き受ける。
自分が死んだあと、みんなが幸せになれることが自分の幸せ。もちろん、それは彼女のわがままでもある。強引で自分の考えを押し付ける。でも、それが結果的にはみんなを幸せにする。困った人だけど、勇気のないみんなの後押しをする。彼女はこういう現代の『肝っ玉かあさん』なのだ。無茶は承知で押し切る彼女の勇気。心の強さ。
年下のダメダメ夫をオダギリジョーが演じていて実にサマになっている。本当にダメな男だけど、憎めない。ダメなりにちゃんとがんばる。娘は自分なりのやり方で虐めに立ち向かう。制服を返して、と教室で裸になる(下着姿だけど)シーンの痛ましさ。それはない、と思うけど、あの子はそんな形でしか抵抗できないのかもしれない。いろんなことが無茶苦茶だけど、納得させられる。そんな映画だ。