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映画・演劇のレビュー

劇団 太陽族『往くも還るも』

2008-08-10 22:43:37 | 演劇
 とても暑い夏の日に太陽族の新作を見た。長崎に原爆が落ちた日だ。そして、北京ではオリンピックの競技が開幕した日でもある。かって、岩崎さんは『憩いの果実』で天安門事件を扱ったことがある。ずっと昔から今も岩崎さんは変わることなくこの国の現在と未来を芝居を通して描いてきた。我々がこれからどうなっていくのか、そしてこの世界はどこへ向かっていこうとしているのか。そのことを演劇を通してリアルタイムの実感として提示する。岩崎さんの芝居を見ることはこの時代をどう生きていくかを考える事でもある。

 前作『越境する蝸牛』で今から20年後のこの世界(大阪の天満が舞台)を描いた彼が、今度は今から10数年前の世界(神戸の新開地が舞台)を描く。さらにはそこからさらに30年ほど以前まで射程に入れて「今」を射る。

 前作が見せた20年後では、北朝鮮出兵が描かれた。それを天満にある韓国料理店を舞台にして見せる。ほんの少し先の未来。そこにある現実。

 さて、今回は、神戸の新開地1994年。バブル後、不況の中、不安な時代(それは今も同じだが)と昭和34年(1959年)、高度成長期を舞台に2つの時代を往還し、その先にある今を描く。
 
 正直言って、どうして今頃そんな時代を芝居にするのか、訝しく思った。だが、芝居から一時も目が離せない。94年と59年という2つの時間を主人公の男は行き来する。1冊の古ぼけた本に導かれて、自分がこの世に生まれる前に死んでしまった父の面影を追いかける。バブルがはじけて会社は倒産し失意のまま、博多から神戸に逃げるように戻ってきた中年男(グレコローマンスタイルの山下晶さん、初めて彼の芝居を見たがとても雰囲気があってよかった!)。彼のドラマに引き込まれていたからだ。その結果、この芝居の大事な設定を見逃して見ていた。それだけに、ラストで、冬になり、年が改まった後、新聞の日付けを知らされて衝撃が走った。1月17日の朝、静かな旅立ちの場面で芝居は幕を閉じる。

 岩崎さんはそれでよい、と言う。過去の事を忘れて今しか見えない主人公と同じように僕もまた、彼の傷付いた心の旅だけを見つめていた。94年夏から95年冬まで半年間の出来事。神戸、新開地の古ぼけた雑居ビルの屋上で妻と2人で暮らした日々。そこで彼は35年前の幻を見る。組合が労働者を引っ張り世界を変えようとした日々、そんな中で未来を信じて必死に生きた父の姿を描く。明日を信じて生きた人たちの未来に今の僕たちがいる。そして、傷心の主人公がこのラストシーンの後迎える阪神大震災の先に僕たちの今がある。

 芝居が描く2つの時代は僕たちの今に繫がっている。この国の未来はどこにあるのか。岩崎さんが突きつける刃から目を背けてはならない。

 

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