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映画・演劇のレビュー

ニュートラル『その公園のベンチには魔法がかかっている』(プロローグ)

2007-01-15 20:27:12 | 演劇
 3年振りのニュートラルの新作はかっての作品とは、まるでタッチの違う作品になっていて新鮮だった。創造館やAIホールという幾分大きめの空間から、再び初期のスペースゼロの頃に戻ったような小空間に帰ってきたことも影響しているのだろう。フットワークが軽く、軽快な作品となっている。客席と舞台の境目があまりない小劇場ならではの空間で、初心に戻り、しかし、全く新しい作品世界を展開しているのが興味深い。

 音楽劇というスタイルは前作『音楽が呼んでいる』を継承したものだが、アプローチがまるで違う。即興的なものを多分に含む作品作りが成されている。

 作品の内容は、ドメスティック・バイオレンス(DV)を扱っている。、エプロンを血まみれにした主婦(服部まひろ)がベンチに腰掛けるオープニングはかなり衝撃的である。明らかにヘビーな内容になりそうな幕開けなのだが、その後展開していくドラマは、重くて暗いものにはならず、反対に軽妙で明るい世界だ。

 ヤクザ3人組と、さすらいの音楽家夫婦によって展開していくノーテンキで陽気な世界が描かれる。この内部の話と、導入部のベンチにひとり座っている血まみれの女の話があまりうまくリンクしないのである。しかし、なぜか心地よい。そんなとても不思議な芝居なのである。

 外側の話である夫を殺してきたという主婦と、彼女を匿うことになる女(なかた茜)の話が、内側にあるヤクザたちと音楽家夫婦の話とどう関わるのかよく分からないまま、芝居を見続けることになる。最初は並行して、3つの話が描かれ、気付くと、3つは微妙に重なりあう。それぞれの登場人物が知り合いで、会話を交わすだけなのだが、それがかなりぎこちなく、別の物語の人物が同じ空間にいるような印象を与える。

 ヒロインである主婦は、ここに集う人たちとの関係の中で、彼らに心を開いていくわけではない。よくあるパターンの芝居なら(映画もそうだが)、心優しい人たちとの交流の中で閉ざされていたこころがほぐされて、彼女に笑顔が戻る、というようなハートウォーミングになる。しかし、この芝居は全くそうはならない。彼女は最後まで表情を変えない。頑ななまでに。そこに込められたものが、この芝居の眼目である。

 女は夫からの暴力に耐え続けた。しかし、その日、初めて夫に抵抗した。夫は血まみれになり、倒れて動かない。彼女は公園のベンチで、放心状態のまま、鼻からを血を流し、座っていた。道行く人たちは、誰も彼女と関わろうとしない。通りがかったひとりの女は彼女に話しかけ、服を与え、自分の部屋に連れて行く。芝居はここから始まる。

 ヤクザのおんな組長(まだ若い女性だ)と、たった2人の組員。彼らは組員勧誘のため、バンド活動をしようとする。音楽によって潰れかけた組の立て直しを図ろうとするのだ。2人の手下は公園にやって来た音楽家夫婦(夫は喋れない)から、歌を習うことにする。

 大沢秋生が今回仕掛けた舞台は、簡単そうに見えて、実は一筋縄ではいかない。さあ、これからこの芝居について語ろう。

 

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