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映画・演劇のレビュー

片山恭一『宇宙を孕む風』

2009-07-11 09:15:11 | その他
 久しぶりに片山恭一を読んだ。『世界の中心で愛を叫ぶ』が1大ブームになる直前、あの本を読んで、、その意外に淡白な筆致に心惹かれた。でも、残念ながらそのインパクトはあまりに弱く、それ以降数冊読んだだけで、手に取ることはなかった。それより何より、あの空前のブームが訪れ、映画化作品の大ヒットで、この作家は純愛文学の中心に置かれてしまい、全くの誤解を受けることになる。少なくとも、僕はあの映画のおかげで、彼の小説への興味を失ってしまった。バカな話だ。映画は原作とは別のアプローチをして成功する。だが、それは原作者の意図とは違う。きっとあの映画を見て、片山さんはがっかりしたはずだ。だが、映画は一人歩きして、セカチュウ現象が起きる。その中心にこの小説は置かれた。不幸なことである。

 さて、今回、久々に彼の新作を読み、なんだかとても感心した。そういえば、こんなだったのだ。彼の小説は。テンションが低くて、特別なことは何も起こらなくて、(恋人がガンで死んだりするのに)でも、心の奥にゆっくりと沁みわたってくる。何よりまずセカチュウがそうだったと思い出す。

 塾の経営をしている30過ぎの男、曽根崎と、そこでバイトしながら、教師を目指す真梨子。この2人を中心にして、彼らが塾の経営や、子供たちのこと、自分たちのこと、そんないろんな出来事(でも、ささやかなこと)と向き合っていくなかで感じることの数々が丁寧に描かれていく。母の死、という事実を受け入れられないまま、生きる真梨子。流されるように生きることにほんの少し疲れてきた曽根崎。宇宙という大きなものの前ではわれわれの存在なんか本当に小さなものでしかない。だが、彼らが直面するくだらない事実のひとつひとつが僕たちを苦しめる。

 生きていくことは大変で、周囲との関係はなかなか上手くいかない。自分が正しかったとしても、まわりはそんな自分を認めないこともある。それどころか、つぶしにかかる人もたくさんいるのだ。そんなくだらない輩のなかで僕らは生きている。巨大な暴力の前で、彼らは無力だ。抵抗を試みても個人商店には何もできない。結局権力の前では膝を屈するしかないのか。ただ誠実に子供たちの手助けをしたかっただけなのに、それすらかなわない。

 現役の教師をしていて、感じることは、彼らと同じように自分は無力さだという実感だ。この小説の主人公たちと同じようなことで悩む。誠実に生きるのだが、満たされない。なんだかやるせない。でも、そこであきらめても意味はない。やれることをするだけのことだ。なんだか、気付くと、この小説に元気づけられている。

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