習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『ノーカントリー』

2008-04-07 22:45:14 | 映画
 映画を見て久々に本気になってしまった。そこそこ面白い映画はたくさんある。それどころかかなり面白いものも多いし、感動したり、楽しめたりすることはよくある。でも、本気になってしまうことは稀だ。一瞬も見逃さない。この映画と自分は闘っている。そんな気分にさせられることはめったにない。

 自分とその映画がシンクロし、反発し、そして対決する。そういう映画に出逢うと大袈裟ではなく、生きていることを実感させられる。この映画はそんな数少ない映画だ。しかも、心地いい映画ではなく、胸糞が悪くなるような映画である。しかし、不快ではない。

 この現実の中で僕らは生きているということを肯定するしかない、と思わされる。それって悲しいことだが、だからこそ生きて行かなくては、と思わされる。

 1980年が舞台となる。ベトナム戦争が終結した後。だが、この映画は今という時代の気分を見事に捉えてある。これは20数年前の昔話ではない。

 この映画の中に出てくる化け物は理屈ではない。だが、彼はただのモンスターでもない。この世の中には確かにああいう理不尽な暴力はある。出会ってしまったのが間違いなのだと諦めるしかない。善良に生きているほとんどの人は彼の存在を信じないだろう。しかし、この世界にはああいう闇が確かに存在するのだ。そこから目を背けることは出来ない。

 この現実と向き合うのが嫌ならばトミー・リー・ジョーンズの警官のように引退するしかない。しかし、引退したからといってこの世界から逃れることが出来るわけではない。

 ラストのあっけない展開も衝撃的だった。あんなにも簡単に全てが終わってしまうなんて思わなかった。主人公が死ぬ場面を見せないのである。そんなもの見せるまでもない、とでも言わんばかりである。

 これは今僕らの目の前にある世界の縮図だ。いわれない暴力を揮い、理路整然とした理屈によって行動する冷静な殺人マシーンと、感情的で説明不能な行動をとってしまうどこにでもいそうな真面目な男。そして、法の正義を全うするために生きてきたのに、この世界のあまりの凶暴さの前で無力感を抱き、リタイアしてしまうかってのヒーロー。出口のない世界で朽ち果てていくしかないのか。荒涼とした風景が目に焼きつく。

 ここまでアンチ・ハリウッドの作り方をした映画がアカデミー賞でオスカーを獲ってしまうということにもショックを受けた。だが、それくらいにアメリカは病んでいるということなのだろう。最近の映画では『クラッシュ』に匹敵する作品である。これは数年に1本あるかどうかというとてつもない映画だ。コーエン兄弟のキャリアに於いても頂点を成す傑作である。

 

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