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映画・演劇のレビュー

『ゼロ・ダーク・サーティ』

2013-02-21 22:04:34 | 映画
 キャスリン・ビグローはデビューの頃から大好きで、彼女のアクション映画は女性監督であることを忘れさせるほどにエンタメとしても優れている。『ブルースチール』も大好きだが、『ハートブルー』。あれだけの爽快な娯楽巨編を作り上げるその手腕に感動した。だが、あれから20年。彼女がとうとうここまで凄い映画を作ることになるなんて、思いもしなかった。前作『ハートロッカー』でアカデミー賞を受賞し、それまでの実績を生かしながら、社会派映画の監督として生まれ変わった気がしたが、あれはまだ、序章に過ぎなかった。今回、あの傑作すら足元に及ばないような難事業に挑み、見事成功する。

 この暗くて、淡々とした、映画を2時間38分最後まで引っ張った。その力量は半端ではない。普通作り手が根負けしてしまう。もちろん、観客もリタイアする。それくらいにこの映画は困難な映画なのだ。だが、彼女は負けない。娯楽映画で培った技術が生かされる。重く、暗く、単調な映画なのに、その緊張感の持続は半端ではない。これは、とてもキツイ映画だ。だが、なんとかギリギリのところで、ついていけるように作られてある。そのバランス感覚は彼女ならではのものだ。建て前ではなく手法として娯楽映画で培った技術があればこそ、だろう。さすがとしか、言いようがない。そんな監督としての彼女の姿は、この映画の主人公であるCIAの女性と重なる。

 ビンラディンを捕獲するためにすさまじいお金と労力を費やすCIAの先頭を切ってこの作戦の指揮をとる女性を主人公にしたこの映画は、アクション満載の娯楽映画ではない。どちらかというと、地味で、暗くて、残酷な映画である。失敗ばかりが続き、簡単には結果が出せない。これは9・11の後、アメリカが採った政策の是非を問うのではない。誰が見ても理不尽な行為。でも、それくらい必死になってなりふり構わずにする。自国の正義を守るための行為であるにも関わらず、そのやり方は残酷を極める。それくらいしても、ビンラディンの消息は依然謎のまま、である。10年に及ぶ見えない敵との戦いが描かれる。

 現地に赴任した彼女が、容疑者への拷問に立ち会うシーンから始まる。あまりのことに吐いてしまう。だが、そんな彼女がどんどん冷血になり、何をしてもまるで動じない女になる。慣れてしまうというのではないが、感覚が麻痺してくるのだろう。もちろん、彼女自身が強くなったことも事実だ。それはいいことなのか、それとも。そのへんは微妙な問題だ。

 ただ、彼女の執念と付き合い、それを目撃していくうちに、人が生きていくことの普遍的な事実に突き当たる。これは、生きざまの映画なのだ。正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。ただ、10年間、まだうら若い女性が、砂漠の町でひたすらビンラディンの亡霊を追いかけて、すべてを犠牲にして働く姿を感動的に見せるわけがない。そうではなく、その不毛とも思える行為を、生きるよりどころにして、莫大な国家予算を投入して、たったひとりの男を追いかける無謀とも思える行為を、描く。クライマックスの突入シーンには当然彼女はいない。遠くで見詰めるだけである。ビンラディン殺害の瞬間も、それを見ているわけではない。そこにはカタルシスはない。それは「彼女の」であるが、映画を見ている我々にも、である。ビンラディン捕獲はただのアメリカの落とし所でしかなく、それが勝利を意味するわけではないことは誰もがわかっている。

 この映画の深さは、娯楽映画の文法を駆使して、アメリカの深層に迫るドラマを紡ぎあげたところにある。彼女の勝利は、カタルシスにつながらない。深いため息しか残らない。たったひとり彼女のために用意された特別機で現地を去るラストシーンは、この超大作の幕切れとして、これ以上ないほどの見事なラストだ。そこにある寂寥が胸に沁みる。





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