先に原作になった小説を読んでいたからかもしれないが、映画は小説の感動には及ばないような気がした。そのことに驚く。この場合原作小説といいつつも監督である西川美和が書いた作品だ。しかも、映画のために書いた映画化を前提にしたもので、どちらがどうとかいうわけではないけど、映画が小説に及ばないなんて、そんなわけない。
なのに、ここには小説を読んだ時のような衝撃はなかった。ストーリーを知っているから、ではない。何かが違う気がした。キャストは素晴らしい。子どもたちもそうだし、本木雅弘だけでなく、竹原ピストルが凄い。予定調和の芝居ではない。怖い、と思う時が何度となくある。この人がいきなりキレるかも、と思わせる瞬間が何度もある。しかし、その寸前で止まる。いや、止まってはいないかもしれない。でも、その先にはいかない。竹原だけではなく、本木もそうだ。自分の中で抑えた感情が噴出しない。そうすると、くすぶる。どんどんくすぶり続ける。ガス抜きは必要だけど、出来ない場合もある。大きなところから小さなところまで。
本木演じる小説家は妻(深津絵里)との関係に行き詰まりを感じていた。冒頭の髪を切ってもらうシーンだけでそのすべてを表現する。妻の事故死以降、彼の取る行動は普通じゃない。同じ事故で死んだ妻の親友の夫(竹原)を助けるため、彼のふたりの子供たちの世話をすることになる。子どもたちとのふれあいで彼が癒されていく、なんていうよくあるホームドラマのような展開にはならない。今まで子供と接したことのなかった彼がとんでもないことを引き受けたことで、途方に暮れる。しかし、あまりに今までの生活とかけ離れた事態に困惑よりも新鮮さを感じた。見た事もないものをそこに見る。
妻といてもひとり。自分が好きじゃないように、彼女も自分を好いてはいない、と思う。距離を作る。自分自身で。そんな彼を妻は諦める。バス事故が原因ではない。もう限界にまできていた。でも、お互いに見ないふりしていた。
失った後で、気付く。彼女を愛していたとか、そんなことではない。自分の中にある苛立ちや、弱さ。ひとりになって初めてそれと向き合うことになる。自分への言い訳。
何かが変わったわけではない。ただ、ちゃんと自分と向き合い、答えを出そうとした。彼が書いた『永い言い訳』という新作小説の内容は映画では一切触れられないけど、それは妻の死で始まる出来事をモデルにしたものであろう。この映画が描くものとシンクロするのは必定だ。それは後悔ではない。だが、ちゃんと向きあうことで乗り越えられたかもしれないことだ。
内面に踏み込まないし、説明的な描写は排除する。ただ、淡々とその後の時間を丁寧に掬い取る。小説以上にそっけない。わかっていたことだけど、僕はそこに戸惑ったのかもしれない。
大切な妻を亡くしたこと。その当たり前のことに今頃になって気付く。その喪失感をリアルに受け止めきれなかったこと。自分の心がどこにあるのかすらわからない甘えた男が、自らの罪を罰すること。そんな心の軌跡をリアルに描くためには小説の方が効果的だった。しかし、この映画はそんな完成形を成した小説を下敷きにした上で、そのさらなる先を目指そうとした。やはり、これは凄い映画だ。
なのに、ここには小説を読んだ時のような衝撃はなかった。ストーリーを知っているから、ではない。何かが違う気がした。キャストは素晴らしい。子どもたちもそうだし、本木雅弘だけでなく、竹原ピストルが凄い。予定調和の芝居ではない。怖い、と思う時が何度となくある。この人がいきなりキレるかも、と思わせる瞬間が何度もある。しかし、その寸前で止まる。いや、止まってはいないかもしれない。でも、その先にはいかない。竹原だけではなく、本木もそうだ。自分の中で抑えた感情が噴出しない。そうすると、くすぶる。どんどんくすぶり続ける。ガス抜きは必要だけど、出来ない場合もある。大きなところから小さなところまで。
本木演じる小説家は妻(深津絵里)との関係に行き詰まりを感じていた。冒頭の髪を切ってもらうシーンだけでそのすべてを表現する。妻の事故死以降、彼の取る行動は普通じゃない。同じ事故で死んだ妻の親友の夫(竹原)を助けるため、彼のふたりの子供たちの世話をすることになる。子どもたちとのふれあいで彼が癒されていく、なんていうよくあるホームドラマのような展開にはならない。今まで子供と接したことのなかった彼がとんでもないことを引き受けたことで、途方に暮れる。しかし、あまりに今までの生活とかけ離れた事態に困惑よりも新鮮さを感じた。見た事もないものをそこに見る。
妻といてもひとり。自分が好きじゃないように、彼女も自分を好いてはいない、と思う。距離を作る。自分自身で。そんな彼を妻は諦める。バス事故が原因ではない。もう限界にまできていた。でも、お互いに見ないふりしていた。
失った後で、気付く。彼女を愛していたとか、そんなことではない。自分の中にある苛立ちや、弱さ。ひとりになって初めてそれと向き合うことになる。自分への言い訳。
何かが変わったわけではない。ただ、ちゃんと自分と向き合い、答えを出そうとした。彼が書いた『永い言い訳』という新作小説の内容は映画では一切触れられないけど、それは妻の死で始まる出来事をモデルにしたものであろう。この映画が描くものとシンクロするのは必定だ。それは後悔ではない。だが、ちゃんと向きあうことで乗り越えられたかもしれないことだ。
内面に踏み込まないし、説明的な描写は排除する。ただ、淡々とその後の時間を丁寧に掬い取る。小説以上にそっけない。わかっていたことだけど、僕はそこに戸惑ったのかもしれない。
大切な妻を亡くしたこと。その当たり前のことに今頃になって気付く。その喪失感をリアルに受け止めきれなかったこと。自分の心がどこにあるのかすらわからない甘えた男が、自らの罪を罰すること。そんな心の軌跡をリアルに描くためには小説の方が効果的だった。しかし、この映画はそんな完成形を成した小説を下敷きにした上で、そのさらなる先を目指そうとした。やはり、これは凄い映画だ。