これは凄い映画だ。連続してこの映画の後『あちらにいる鬼』を見たからかもしれないが、この映画のインパクトが強すぎて『あちらにいる鬼』を過少評価してしまったかもしれない。比較の問題ではないのだろうけど、どちらも不可解な人の心を切り取る映画だったので、ついつい較べてしまう。あれは恋愛仕立ての人間ドラマなら、こちらはミステリー仕立ての人間ドラマ。アプローチは違えども、核心は同じ。人の心の不可解さ。
弁護士の城戸(妻夫木聡)は、依頼を受けて死んだある男(窪田正孝)の過去を調べる。やがて、この別の男として生きた男の秘密が明らかになる。お話の結末にたどり着いたとき、謎は解明するけど、大事なことはそこではないことは明らかだ。消したい過去がある。消えない過去を消して別人として本当の人生を生きたい。だが、それが果たして本当の人生だといえるのか。自分の生き方を自分で選べない可哀そうな男の話として括るわけにはいかない。誰にだって大なり小なりこういうこともある、なんて言えるわけもない。
誰も知らないひとりの男として、ひとりの女と出会い、結婚して生きた3年9か月の日々。それがすべてなのだと、「すべてを知った」男の妻(安藤サクラ)は改めて思う。自分の呪われた人生をリセットした男は初めて自然体で他者と接する。ふたりの出会いから結婚、幸せな日々を描く冒頭のシーンが映画が終わった後、改めて心にしみてくる。こんなささやかな人生を生きることが望みだったのだ。ふたりが結婚したことで彼の息子になった妻の子供は彼を心から慕う。だから父(少年にとって彼は義父なんかではない!)の死をいつまでたっても受け入れられない。突然の事故は不幸な出来事だった。幸せはいきなり終わる。
それまでの最悪だった人生を生きてきた彼が、この町に来て別人として生きる覚悟。誰かをだますつもりはない。ましてや、妻子を騙すはずもない。だが、隠すしかなかった。隠したまま生きるという選択しかないのだ。心から愛する人にすら本当のことを言えない苦悩を抱えて生きた3年9か月。でも、それでもそれをずっと続けていけたならよかった。彼の死はなんだったのだろうか。まさか嘘をついた罰が当たった、はずもない。あれは偶然の事故だ。だけど、苦しみながら生きた彼がどうしてこんな目に合うのかと思う。神様なんかいないのか、なんて彼の妻子は思ったはず。
映画はあくまでも(この夫婦ではなく)妻夫木を主人公にして、彼がこの「ある男」を探し出すお話だ。ラストまで映画はその矜持を守る。だから「ある男」は自分自身かもしれないと思うラストは衝撃的だ。いつまでも冷静ではいられない。