この映画の原作となる原田眞人のTVムービーは確か土曜ワイド劇場の黎明期90分枠の頃に作られた作品だ。『盗写1/250秒』。80年代、フォーカスやフライデーという写真雑誌が華やかかりし頃の作品で、今、芸能スキャンダルを追うパパラッチなんてもうブームを過ぎたし、この題材自体が古い。だが、敢えてこんな誰もが忘れている作品をリメイクして、劇場映画にした。以前ほどではないけど、今も生息するそんな人たちにスポットを当てるためではなく、もっと大きな意味での「時代から取り残された中年男の悲哀」こそ、この映画のテーマなのかもしれない。
映画は実に軽快で前半あれよあれよという間に、いくつものエピソードが凄いスピードで展開する。主人公のカメラマンと彼がコンビを組むことになる新人記者との凸凹コンビがどんどんネタをあげていく姿を見せていくのだ。とても楽しい。
やがて後半、連続殺人事件の犯人の今をカメラに収める部分から、ラストまで。映画の本題に至る。もちろん、ここも怒濤の展開になるのだが、敢えて、ここは丁寧にじっくり見せる。そんな緩急のつけ方も絶妙だ。スクープをものにして、でも、満たされない。昔のような興奮はない。結局は時代に取り残されてしまい、死に場所を求めていただけなのかもしれない。
写真がデジタルになり、以前ほどの緊張がなくなる。そんな時代を背景にして、(それって、映画も同じだ)簡単に撮れるカメラで、どれだけ決定的な瞬間をスクープするかが、もう大事だとは信じられなくなった時代に、それでもカメラを信じて、(というか、これしかないし)生きている化石のような男を福山雅治が演じる。初の汚れ役に挑戦し、中年のだらしない体型を作り、ぶざまな姿が、でも、かっこいい、という(要するに彼が演じると、何をしてもかっこいいのだ。しかも、嫌みなく!)なんだかなぁ、という感じ。
親友役のリリー・フランキーがまた、いい。彼が人間としてもう壊れていて、でも、そんな彼を福山は、やはり好きで、いつもつるんでいる。この2人の関係性がラストの伏線になっている。キャパに憧れてカメラマンになった、なんていうベタな部分もあるけど、ストレートな作り方がお話自体の古さを補う。へんな整合性とか、考えない。核心部分さえぶれなければ大丈夫だと踏んだのだろう。怖いけど英断だ。この題材に拘り、描くべきものさえ明確になれば、多少のお話としての不具合なんて気にしないそんな大根仁の姿勢が好き。
映画は実に軽快で前半あれよあれよという間に、いくつものエピソードが凄いスピードで展開する。主人公のカメラマンと彼がコンビを組むことになる新人記者との凸凹コンビがどんどんネタをあげていく姿を見せていくのだ。とても楽しい。
やがて後半、連続殺人事件の犯人の今をカメラに収める部分から、ラストまで。映画の本題に至る。もちろん、ここも怒濤の展開になるのだが、敢えて、ここは丁寧にじっくり見せる。そんな緩急のつけ方も絶妙だ。スクープをものにして、でも、満たされない。昔のような興奮はない。結局は時代に取り残されてしまい、死に場所を求めていただけなのかもしれない。
写真がデジタルになり、以前ほどの緊張がなくなる。そんな時代を背景にして、(それって、映画も同じだ)簡単に撮れるカメラで、どれだけ決定的な瞬間をスクープするかが、もう大事だとは信じられなくなった時代に、それでもカメラを信じて、(というか、これしかないし)生きている化石のような男を福山雅治が演じる。初の汚れ役に挑戦し、中年のだらしない体型を作り、ぶざまな姿が、でも、かっこいい、という(要するに彼が演じると、何をしてもかっこいいのだ。しかも、嫌みなく!)なんだかなぁ、という感じ。
親友役のリリー・フランキーがまた、いい。彼が人間としてもう壊れていて、でも、そんな彼を福山は、やはり好きで、いつもつるんでいる。この2人の関係性がラストの伏線になっている。キャパに憧れてカメラマンになった、なんていうベタな部分もあるけど、ストレートな作り方がお話自体の古さを補う。へんな整合性とか、考えない。核心部分さえぶれなければ大丈夫だと踏んだのだろう。怖いけど英断だ。この題材に拘り、描くべきものさえ明確になれば、多少のお話としての不具合なんて気にしないそんな大根仁の姿勢が好き。