まだ自分が何者でもないと思わされるのは怖い。大学に入って希望に燃えてサークル活動や勉学に全力で励んでみた。そして、次に社会に出る。自分がやってきたことを生かし、この世界に貢献したい。いや、まず社会人としてちゃんと仕事に就いて生活していきたい。大きな夢とささやかな望みを抱いて就職試験に挑む。なのに、なかなか内定をもらえない。当然希望の職種には、たどりつけそうにない。
いや、もうどこでもいいから、俺を採用してくれ、と思う。プライドも棄てて死に物狂いでエントリーシートを送り続ける。あれもこれもと、藁にも縋る思いで手を出すのに、どこからも「お前なんかいらない」と言われる。自分の存在を世の中から全否定された気になる。いや、それは気なんかではない。完全に否定された。
この世の中の人たちはみんな大人になったら社会に出て働いているのに、どうして自分だけこの世界に受け入れられないのか。絶望的な気分になり、死にたいとすら思う。
主人公と彼の親友、好き、な女の子(でも、彼女は親友のことが好きで彼の事は仲のいい友だちとしてしか思えない)、さらにはマンションの下の階の同棲中の2人も交えた彼ら5人の大学生たちの就活の日々を描く。ドキュメンタリータッチで彼らの日々を追いかけながらその揺れる心を切り取る。見ていてドキドキするのは、こんなにも頑張っている彼らが企業によって簡単にスポイルされていくさまが痛ましいからだ。でも、これが現実だ。ここから逃げてはいけない。と、思いつつも、やはり逃げたくなる。僕たちはそんなに強くはないからだ。そんな気持ちがわかる、なんて簡単には言うまい。
こんなふうに30年以上前のことを思い出しても詮ないことだ。今とあの頃とでは時代が違う。僕はとてもじゃないけど、こんな時代で生き延びることはできそうもない。でも、彼らはここから逃げ出すことは出来ない。ここで生きていくしかないのだ。
今、高校3年生の担任をしている。大学に行くため必死に頑張っている子供たちを見ながら、その先にあるものをしっかり見据えて欲しいと思う。今はまず大学に行くこと、合格することしか頭にはないのだろうが、そこはただのスタートでしかない。次のステージや、さらにその先が続く。大人になるって大変だ。
今回、三浦大輔監督は自分にとって身近な小劇場演劇の世界を入り口にしてこの映画を作った。学生劇団からプロを目指そうとする男を設定して、彼と袂を分かつ男(佐藤健)を主人公にする。映画の中には登場しないもう一人の自分は、もちろん三浦監督自身である。直接は描かれない彼の存在がこの映画を支える。
いや、もうどこでもいいから、俺を採用してくれ、と思う。プライドも棄てて死に物狂いでエントリーシートを送り続ける。あれもこれもと、藁にも縋る思いで手を出すのに、どこからも「お前なんかいらない」と言われる。自分の存在を世の中から全否定された気になる。いや、それは気なんかではない。完全に否定された。
この世の中の人たちはみんな大人になったら社会に出て働いているのに、どうして自分だけこの世界に受け入れられないのか。絶望的な気分になり、死にたいとすら思う。
主人公と彼の親友、好き、な女の子(でも、彼女は親友のことが好きで彼の事は仲のいい友だちとしてしか思えない)、さらにはマンションの下の階の同棲中の2人も交えた彼ら5人の大学生たちの就活の日々を描く。ドキュメンタリータッチで彼らの日々を追いかけながらその揺れる心を切り取る。見ていてドキドキするのは、こんなにも頑張っている彼らが企業によって簡単にスポイルされていくさまが痛ましいからだ。でも、これが現実だ。ここから逃げてはいけない。と、思いつつも、やはり逃げたくなる。僕たちはそんなに強くはないからだ。そんな気持ちがわかる、なんて簡単には言うまい。
こんなふうに30年以上前のことを思い出しても詮ないことだ。今とあの頃とでは時代が違う。僕はとてもじゃないけど、こんな時代で生き延びることはできそうもない。でも、彼らはここから逃げ出すことは出来ない。ここで生きていくしかないのだ。
今、高校3年生の担任をしている。大学に行くため必死に頑張っている子供たちを見ながら、その先にあるものをしっかり見据えて欲しいと思う。今はまず大学に行くこと、合格することしか頭にはないのだろうが、そこはただのスタートでしかない。次のステージや、さらにその先が続く。大人になるって大変だ。
今回、三浦大輔監督は自分にとって身近な小劇場演劇の世界を入り口にしてこの映画を作った。学生劇団からプロを目指そうとする男を設定して、彼と袂を分かつ男(佐藤健)を主人公にする。映画の中には登場しないもう一人の自分は、もちろん三浦監督自身である。直接は描かれない彼の存在がこの映画を支える。