アンドレイ・コンチャロフスキーの新作だ。彼の映画が公開されるなんて、久しぶりのことではないか。ウクライナでの戦争が起こり、ロシアのとんでもない侵略が始まった今、この映画が描く1962年は遠い過去の出来事ではなく、今のロシアと重なり合う。84歳の巨匠が2020年に作った映画がこうして今の時代を撃つ作品として、公開されている。ヒトラーやプーチンという独裁者はいつの時代にもいる。過去の悲惨な歴史を描くのではなく、今の時代を描くのだという強い意志がここからは感じさせられる。どうしても今、この映画を作りたい、というコンチャロフスキーの想いが、モノクロームの冷静な映像で語られていく。同じようにモノクロ映画だったが、『ベルファスト』のあの暖かい郷愁とはこれはまるで違う。でも、ここに描かれるリアルはカラーの生々しさでは描けない。事実を客観的に見せていくことで、真実を伝える。そこで何が起こったのか。そこに何が必要で、何が未来に託されたか。
描かれるのはある母親と娘のことだ。ストライキを引き起こす原因は政権への信頼を失くしたことだ。それを政府が弾圧する。どこにでもある図式である。暗澹たる気分にさせられる。情報の遮断、市民への殺戮。娘が殺されたかもしれないという事実を目の当たりにして、感情的になるのではなく、目の前の現実を直視しようとする母親の姿が綴られていく。彼女は熱心な共産党員で、役人として働いてきた。ストライキを抑えようとしている側だ。だが、目の前の現実や、ストに参加した娘の行方を通して、この国を信じられなくなっていく。自分が信じてきたことが信じられないものなっていくという恐怖。その中でこれからどう生きるのか。ソ連が解体して30年。ロシアは同じような過ちを繰り返す。問題はロシアだけのお話ではないし、プーチンだけが悪だというわけではなかろう。今世界で起きているさまざまな残酷な現実から目を背けることはできない。
映画を見た後、暗澹たる気分で劇場を後にした。でも、こんな映画がロシアで作られて公開されている。そこにある希望をしっかりと噛み締めよう。その先に確かに未来はある。信じよう。