習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『ニトラム』

2022-04-15 13:03:09 | 映画

つらい映画ばかり見ている。映画としては素晴らしいかもしれないけど、暗澹たる気分になるばかりだ。『親愛なる同志たちへ』を見た後、続けてこの映画を見た。スケジュールの関係でそうなったのだけど、この日、落ち込んだ。どちらもいい映画だったけど、この2本のはしごはなかろう。そこにはまるで救いがない。

ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ演じる青年がどうしてこんな愚行に及んだのかが、ドキュメンタリータッチで綴られていく。もちろんそこに感情移入なんかできない。ただただ見守るだけ。もしこれを無差別殺人にいたるドラマという枠組みを知らないまま見たならどんな気分になるのだろうか。事件を描くのではなく、事件はたまたまの結果で、映画はそこに至る彼のドラマを丹念に追っていく。だからどこにいきつくのかなんてわからないまま、見ていたかった。

母親との確執や、優しい父親という図式は今読んでいる小説(『彼女の背中を押したのは』)にも通じる。殺人犯と自殺者、病んでいるというのは同じだが、どちらも理由がわからないまま、凶行に至るという意味でも似ている。外へと向かうか、内に向かうか。でも、その差は紙一重だ。ジャスティン・カーゼル監督は彼を巡る状況を客観的にとらえていく。宮西真冬もそうだ。(でも、この小説は最後のどんでん返しで無理やり明るい答えを出してしまうのだが)

僕たちはこの映画をただただ見守るだけ。ここには答えはない。もちろんこの映画にカタルシスなんてあるわけもない。殺戮シーンは描かれない。その再現になんか意味はないと考える。ここで描きたいことはそれではない。冒頭の花火のシーンからラストまで彼の狂気と優しさがこれもまた紙一重で、どれがどこに転がるかもわからないまま、映画は続く。起承転結はない。右往左往しかない。どっから始まりどこに向かうのかも不明だ。母親が彼を甘やかしたのが悪い、なんていうお決まりの解釈はしない。もちろん彼を弁護するなんてそんな余地はない。銃を与えたことでエスカレートしていく過程は怖い。でも、銃を彼から取り上げたなら解決するわけでもない。

ヘレンとの出会いから始まる後半部分の危うさ。彼女が彼を抱え込み、好きにさせることで、彼は癒されていく。だが、そんなことで彼の病は収まらない。それどころか、彼女を死なせてしまう。どうして彼女は彼を受け入れたのか。彼の中に何を見たのか。母親は彼女に彼を奪われて戸惑う。だから彼女の死で落ち着く。息子は「ふつう」の男の子で自分が守らなくてはならないと思う。でも、そういうところからして、もう十分におかしいことなのだが。気力をなくした父親を殴りつけるシーンが強烈だ。その暴力はどこに向かうものだったのか。いくつもの突発的な行為が随所に描かれ驚かされる。彼は一体何がしたかったのだろうか。わからない。でも、それが腹立たしいわけではない。唖然とする。わからないまま終わる。心がざわつく。そんな映画に呆然としつつも、魅了されている。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『親愛なる同志たちへ』 | トップ | 『ニワトリ★スター』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。