ザ・クアトロ

クアトロの父のたわごと

海ぶどうぬ季節んかいなりやびたん

2010年04月25日 | インポート

Photo うちなーぬオールーい海を後んかいして、やるばると豊四季んでぃいーん海も山もねーらん田舎町へやってきたさー。
クヌ土地ぬちゅのみぐさぁ~ちや、わんぬくとぅがしちゅんなぬかしら。
ひっち-わんぬくとぅをうっとりとしちゃんみーつきで見つめるぬ。
クヌ土地でや、なま年やひーさん春んかいなってうぃびーん。
きっとワンを見て暖かいうちなーを思い浮かべているぬね。

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アカヤガラvsカサゴ

2010年04月24日 | 魚の話

Photo 「口先ばっかりでぬらりくらりとしていて信頼できないね」
カサゴはアカヤガラを痛烈に批判する。
たしかにクチバシは長いのだが、身も長くて全身が筋肉質で美味しい魚なのだ。

「あなたは頭でっかちで、大口をたたくだけで身がないじゃないか」
アカヤガラも負けてはいないのだ。
カサゴは半分が頭なのだが、白身の部分の刺身は極上である。
アクアパッツァならば頭からも良いダシが出るのだ。

間に立ったのは、舛添さんに似ているが、どちらに見方しようかと迷っているようだ。

この週末を迎え、クアトロのお客様はどちらに注文をいれるのだろうか。
クアトロとしては、どちらもおすすめである。

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アカヤガラの精度

2010年04月23日 | 魚の話

Photo_2 「わたしは晴天というものを見たことがない」
伊坂幸太郎の“死神の精度”に登場する死神が任務で地上に現れる時は必ず雨がふっている。

クアトロに“アカヤガラ”が現れるときは、不思議と雨である。
アカヤガラは死神の親戚なのだろうか。

たしかに、冷徹なその眼差しは心の奥をのぞき込むかのようだ。
そのくちばしからは生気が吸い込まれそうである。

しかし、不思議なことにそのアカヤガラをさばいて刺身にして食べてしまうと、心は晴れ晴れとなり生気がみなぎってくる。

きっとアカヤガラは生神なのであろう。

霊験あらたかなアカヤガラ様は、今日からクアトロで拝めるのである。

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ラッキーアイドル

2010年04月22日 | クアトロ・スタジオーネの話

Photo 「春がどこかへ行ってしまった」
なんとも気まぐれな春だ。
そして今日は冷たい雨が降っている。

雨の中、クアトロに来店したお客様は入り口の傘立てに傘を挿そうとすると、そこにクローバーの鉢が置かれていることに気づくことだろう。

三つ葉のクローバーはキリスト教では、希望と信仰と愛情を意味するという。
四つ葉のクローバーは十字架やマルタ十字の形に似ていることからか、四つ目の葉に幸運をもたらす意味があるという。
ちなみに五つ葉は金銭上の幸運。
六つ葉は地位・名声の幸運。
七つ葉は最大の幸運を意味すると言われている。

クアトロのクローバーの鉢には四つ葉や五つ葉までがある。
きっと幸運はクアトロの店内にあると思われます。

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パセリ、セージ、ローズマリーにタイム

2010年04月21日 | 個人的な話

Photo 「春が二階から落ちてきた」
伊坂幸太郎の“重力ピエロ”の書き出しではないが、唐突に春がやってきたようなこの水曜日。
特別な用事もなく近所の川縁を散策する。
背中に春の日差しを受ける。
背中がポカホカと暖かい。いや、熱い。
この陽気なのに黒いセーターを着ていたクアトロの父だ。
さすがにセーターも脱いで歩き続けると、小枝に止まっているカワセミに遭遇する。
カワセミの背中は瑠璃色に輝いている。
カワセミは間もなく水面にダイビングをした。
見事に餌を咥えたカワセミ。
そして、水面を滑降していくカワセミ。
とても平和なひとときだった。
映画ならば、こういう時に流れるバックミュージックは何が良いだろうか。
“パセリ、セージ、ローズマリーにタイム”ハーブの名前がリフレインされるあの名曲などはどうだろうか。
ハーブに平和を象徴させて歌った名曲の名前はさて何でしょう。
正解はクアトロで。

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