想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

さぶいなあ‥

2009-03-03 23:50:47 | Weblog


   ふたつの雪景色、どちらがより寒そう?
   どっちもさぶいなあ‥、でも森の家のほうが、まださぶくてもプラス楽しさが
   あるなあ。
   親分はすっごくはりきります。雪の朝のテンション、あんよは大丈夫すか?と
   心配するおっかあをふりきってゴンゴン走りだします。
   見てるだけで低血圧がだんだんと上がりセロトニンが効いてきます。

   東京で見る雪はこれが最後ねと~、とまた歌った人がいることでしょう。
   田舎モノの集合場所なのに、路面凍結に慣れていない人が多いのはなぜ?
   油断するからでしょうかね、アスファルトはぬかるまないから。

   ハイヒールのブーツ履いてる女性がけっこういますから、アホちゃうかと
   思いますが、アキレス腱が強いことをアピールしてるのかもしれんので
   見ないふり見ないふり、転んでも見ないふり(じゃなくて助ける、です)

   アホな話を羅列しているのは、さぶいからなんですよ~。
   この場合は、ふところがさぶい?
   それとも、こころがさぶい? 
   んじゃ、あたまかい?

   はい、正解はふところでした。
   車の修理代が結局、どかーんとかかりました! とほほほ。
   それから、ちょっと寂しいこともあったしなあ‥‥。

   ヘラヘラしてる親分を横目に、目を閉じて宙に飛んであったまるべか!
  
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無邪気なほどにハナが利く

2009-03-03 00:32:40 | Weblog
       (親分は犬神さま、日々、無邪気に活躍している)

  無邪気、というと可愛い意味で使われたりするが、可愛くても邪気が
  ひそんでいる時もある。
  実はそのほうが多い。
  逆に醜くて邪気があれば、鬼かと思ってしまう。
  でも鬼の面の裏に邪気があるとは限らない。
  だが、そのことを知る人は少ない。

  天の邪鬼の親分格の、天魔雄命(アメノザコオノミコト)、そのまた
  親の天逆毎媛尊(アメノザコヒメノミコト)は、たしかに姿も為すことも
  醜い。しかしこれらの邪気は簡単には見えない。
  災いを為し、被害を被ってからわかるのである。

  三種の神器の鏡。
  相対する人を鏡にたとえることもある。
  鏡には何が映っているだろうか。
  鏡を見るには力がいる。
  どういう力かというと、それは善の心であり、清らかさであり澄んでいなければ
  映らないし、つまり見えない。見る方も見られる方も問われる。
  だから自らが穢れていれば、毛頭、鏡などみないわけで、
  となると己の邪気には気づかない。
  オレ様は正しい、と盗人にも三分の理である。

  己に巣食う邪気に気づかず、可愛いこぶりっこ、いい人ぶりっこする(女に限らず)。
  ただし、この邪気がカンタンにあらわになることがある。
  それは善に相対したときだ。
  とたんに可愛い仮面ははげ落ちて、鬼の形相に変わる。

  鬼に変わった己に気づかないが、相手が逃げ出すので対決できない。
  善に向かい合えるのは、善でしかない。
  悪はへ理屈をこねて、逃げを打つ。
  現実には善の方が逃げているように見えるのだが、これは逃げるのではなく
  避けているのである。
  君子危うしに近寄らず。

  ハナが利くとはつまり、内なる鏡を磨いていることである。

 

  天は平等に計らっている。
  うさぎは弱いが、鼻が利く。逃げ足は早いし‥‥ビュン。
  長ーい耳は、忍び寄る気配にも敏感。
  たとえムシャムシャ饅頭食ってるからといって、気づいていないわけではない。
  (ただ、カメが助けにくるだろうくらい思ってるフシはあるな、確かに)
  弱くても、穢れなければ、生きて行けるよ、ビュン。 

                ※ふるごと更新しました。 
  
  
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