想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

わたしの孤独

2009-03-23 00:04:42 | Weblog
    (川上順一氏(スペイン・セルビア在住画家)の作品「二十歳のころ」:テラコッタ)

  孤独はわたしの友だち、影のようにいつもそばに寄り添って‥
  わたしはひとりぼっちじゃない‥
  そう歌うムスタキの「わたしの孤独」、よく知られた歌だ。
  メロディも歌詞も静かに沁み入ってくる。
  CMやかつてはドラマの主題歌に使われたこともあってか、好きな歌に
  あげる人は多いようだ。

  だが、孤独を友と呼ぶ、その心はと考えると単純に好きな歌というより
  考えさせられる歌ではないだろうか。
  シャンソンにはそういう歌が多い。(ムスタキはギリシア人)
  でもシャンテ、歌うという行為は、孤独も寂しさも愛しさもある高みへ
  人を誘うことができる。
  メロディに乗った詩は、羽を持ち、翼となり、苦しみという重力から
  しばし解放してくれる。それは救いとなって渇いた心を潤す。

  日本人に孤独は似合わない、そう常々思ってきた。
  徒党を組んで行動を起こしてきたことは歴史をみれば明らかだし、孤独な
  ヒーローなどいない。そうそう、出る杭は打たれるという言葉もある。
  孤独を嫌い、恐れ、避けるのである。
  おおかたの人はそうではないかと思うのだが。
  孤独を避けてにぎわいを求めているように‥

  孤独を体験しようにも、孤独の淵には決して近づこうとしないのだから、
  孤独と友にはなれない。
  わがままで得手勝手なだけなのに、一人がすき、なんてほざいているのを
  聞いても阿呆らしいだけだが、孤独を知っている人は実のところ朗らかである。
  人に愛され、人を愛し、大事にするので、その人が孤独を友にしているとは
  思いもよらないのだ。
  たとえ万人に愛されようとも、孤独は避けられない。
  すべての人に愛されるより、一人のすべてを愛する方が孤独ではない。
  それはエゴイズムとは違う、別な言い方をすれば無私である。

  たった一人に愛され、たった一人を愛することしか孤独を超えることはない。
  その一人にめぐり遇うまで、「わたし」を最も赦し理解しているのは誰でもない
  それは孤独なのである。
  だからこの歌は耳に優しいというより涙を誘うので、なるべくなら聴かない。

  うさこの日常はできるかぎり感傷的にならないよう涙を惜しんで暮らせ、が
  モットーである。
  わたしの涙は、愛する人のものだからである。

  
  
    
  
  

  
コメント (2)
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