想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

人間の故郷~アッバス・キアロスタミ

2009-03-21 12:20:50 | Weblog
    今日もこんな感じの森の庭。
    ちょうど一年前に撮ったものだが、山がもっとくっきり見えるくらいの違い。
    カメラがないので、そっくりな一年前の3月半ばのを代用した。



   中央あたりのねじ曲がった枝にも花がつく。この木はずいぶん歳をとっているけど
   命名、くにちゃん桜(わかる人にはわかる名前であるな)。
   がんばって咲いているからなのか、命名したから元気になったのか、そこんところは
   不明だけど、突風が吹いても折れない。
   でもいつ折れるかという心配もある。
   「からだ弱いの、あたし」とか言う人ほど長生きするの説が該当することを秘かに祈る。

   ところでタイトルの「人間の故郷」というのは映画、ともだちのうちはどこ? の中の
   村の年寄りの台詞だ。
   アッバス・キアロスタミの初期傑作と名高い作品だが、何度も見ているのにこの台詞が
   ひっかかったのは今回初めて。映画を観るとは、良い本を何度も読むのと同じである。
   ストーリーの流れの、細部にある言葉に作家の想いが込められていて、それを発見する
   のは一度観たくらいではわからない。本も然りだろう。(いや、わたしの場合だが)

   「今はどこの家も鉄のドアに替えてしまう。わしの作った木のドアのどこが悪いかね。
   ここの家は四十年前にわしが作った窓が、ほら今も昔のまんまだ。
   ‥‥鉄のドアは一生壊れないから丈夫だということなんだろうが、家はそんなに持たないよ。」

   イランの風景をわたしたちが観るのはテレビニュースくらいで、キアロスタミの映画は
   世界中に戦場以外のイランを伝えた。
   そこにある風景は、土と木と石で作られた家。何代も使いつづけるだろう絨毯。
   作品は今から二十年以上も前(87年作)だから今はもっと近代化されているかと思う
   かもしれないが、日本や韓国のようにめまぐるしい早さで欧米化した国の方がむしろ
   少ないのだ。インドネシアやタイ、ベトナムなどアジアの国の発展はめざましいが
   表通りを一つは入れば、そこには昔懐かしい変わらない景色と家が立ち並び、人々が
   自分たちの暮らし方を続けている。
   つまり、そんなに簡単に文化は捨てられないのだ。

   ときどき仕事場のある南青山の風景、断片を載せるが、あの街を好きなのでは
   ない。単に長い間そこで暮らして働いてきただけのことである。
   むしろまるで植民地だと住み始めの当初から思ってきた。
   それがますます進んでテナントのほとんどが外資のビルと瀟酒で金のかかった住宅が
   整然と並んで、お金の匂いばかりが先立つ街になってきた。
   長く住んでいた年寄りは郊外へ移り、このところのリーマン・ショックで何かあった
   のか立ち退きや壊される家も目立つ。地上げされコインパーキングになるところが多い。
   しばらくするとコンクリート造りの賃貸ビルになり、規制の網がかかっているので高層
   にできないだけで、平屋や二階建ては皆無だ。
   昔はよく歩いた路地は日当りが悪くなった。
   この街にも木のドアは、もう見当たらない。

   故郷が消えて行くことで、人は何を失うのだろうか。
   都会の消費生活に倦んだ人は帰りたくなっても、どこへ行けばいいのだろうか。
   疲弊し、年金生活者となり、小さな庭に故郷を見出したくても
   それまた難しい時代、未来は暗澹としている。
   故郷は心の中さ、などと言うのは歌謡曲だけでいい。
   実際、人間が土と水と木から離れて生きていけるわけがないのである。
   
   (このごろ、俄に注目されはじめた林業事業者の回し者ではございませーん)

   ともだちのうちはどこ? の少年。
   その後はどうしているか、どういう大人になっただろうか。
   90年に起きたイラン北部の大地震で甚大な被害を受けた撮影現場の村に
   急遽駆けつけたキアロスタミ監督は、カメラを回した。
   92年の作品「そして人生はつづく」は、そのときのものである。
   

   
   
   

   
コメント
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