旅に出るならどこがいい? =タダシクン
そうね、なんだかわかんないけど縁(へり)がいいな。
岬とか島とか、端っこ。 =うさこ
そうか、「みのえに立つ」だな。 =カメ
わかる人にはわかる、わかんない人にはなんじゃこりゃな会話である。
縁(へり)へ行く。
半島の先端、岬。
陸から少し離れた小島。
東西南北に広がる日本列島には、東は千葉の犬吠埼、最果て西の与那国島に東崎、
鹿児島南に佐田岬、風の島と呼ばれる最北の礼文島、ミスター終点宗谷岬、
積丹半島神威岬、日本海は能登の録剛崎、少し下って島根は日御崎、‥‥
列島と島、いずれにしろこの地(くに)は島国でその端っこからは水平線が見える。
岬の先端は縁(へり)ではない。
へりという解釈は内陸を主とした発想である。
岬へ行きたいという思いは、「みのえ」への内的志向に発している。
(もちろんうさこに自覚などあろうはずもなく、いつもの無意識‥とほほな頭)
カメ曰く、みのえに立つとは、背後に背負った陸でもなく海をへだてた水平線の彼方でもなく。
今の瞬間に留まり居ること。
「みのえ」より外へ出て、咎をなし、内へ入れて、咎をなす。
「みのえ」に留まるとは、人の感情と思いを起こさぬことである。
フラットな位置である。
岬は端っこなのに、なにゆえにフラットか?
わかる人にはわかり、わからぬ人にはとんとわからない話だけど
旧事本紀に著された観念は、物から離れた思考と物を深く見据えた観察の
両方から成り立っている。
すべてが暗喩や比喩だとは限らないのが古伝書、神話解釈の必定である。
知的及び現実的経験(事実)の積み重ねがあって、その示されたイメージを正確に
とらえるのだ。
あらゆる社会的偏向を遠ざけよ、である。
岬はフラットなのである。
フラットな場所に立てば、いらぬ思惑や焦燥で波だった心はしばし静まる。
右でも左でもなく、上でも下でもない。
善悪いずれでもなく、いずこにもふみ出さない間(あわい)が「みのえ」、
境と書く。
静かに深呼吸をして、待つ。
待つでもなく、じっとする。
そこで、あーそうか! と合点してしまうと‥‥
とたんにふみ出してしまうのだ。
そしてみのえから外へ、外へ出れば内へ入れるものもいずれあり。
ふたたび乱れ、人は人の咎をなす(感情)。
岬は魂の安息場。
風が清めて通りすぎる。
(縁にある名高い天守閣頂く城下町、松江の茶菓子。
茶聖の名冠して商い上手。俗世間では好まれまする。然り、美味!)
そうね、なんだかわかんないけど縁(へり)がいいな。
岬とか島とか、端っこ。 =うさこ
そうか、「みのえに立つ」だな。 =カメ
わかる人にはわかる、わかんない人にはなんじゃこりゃな会話である。
縁(へり)へ行く。
半島の先端、岬。
陸から少し離れた小島。
東西南北に広がる日本列島には、東は千葉の犬吠埼、最果て西の与那国島に東崎、
鹿児島南に佐田岬、風の島と呼ばれる最北の礼文島、ミスター終点宗谷岬、
積丹半島神威岬、日本海は能登の録剛崎、少し下って島根は日御崎、‥‥
列島と島、いずれにしろこの地(くに)は島国でその端っこからは水平線が見える。
岬の先端は縁(へり)ではない。
へりという解釈は内陸を主とした発想である。
岬へ行きたいという思いは、「みのえ」への内的志向に発している。
(もちろんうさこに自覚などあろうはずもなく、いつもの無意識‥とほほな頭)
カメ曰く、みのえに立つとは、背後に背負った陸でもなく海をへだてた水平線の彼方でもなく。
今の瞬間に留まり居ること。
「みのえ」より外へ出て、咎をなし、内へ入れて、咎をなす。
「みのえ」に留まるとは、人の感情と思いを起こさぬことである。
フラットな位置である。
岬は端っこなのに、なにゆえにフラットか?
わかる人にはわかり、わからぬ人にはとんとわからない話だけど
旧事本紀に著された観念は、物から離れた思考と物を深く見据えた観察の
両方から成り立っている。
すべてが暗喩や比喩だとは限らないのが古伝書、神話解釈の必定である。
知的及び現実的経験(事実)の積み重ねがあって、その示されたイメージを正確に
とらえるのだ。
あらゆる社会的偏向を遠ざけよ、である。
岬はフラットなのである。
フラットな場所に立てば、いらぬ思惑や焦燥で波だった心はしばし静まる。
右でも左でもなく、上でも下でもない。
善悪いずれでもなく、いずこにもふみ出さない間(あわい)が「みのえ」、
境と書く。
静かに深呼吸をして、待つ。
待つでもなく、じっとする。
そこで、あーそうか! と合点してしまうと‥‥
とたんにふみ出してしまうのだ。
そしてみのえから外へ、外へ出れば内へ入れるものもいずれあり。
ふたたび乱れ、人は人の咎をなす(感情)。
岬は魂の安息場。
風が清めて通りすぎる。
(縁にある名高い天守閣頂く城下町、松江の茶菓子。
茶聖の名冠して商い上手。俗世間では好まれまする。然り、美味!)