想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

岬へ、みのえを立つる

2009-03-16 11:23:33 | 
  旅に出るならどこがいい? =タダシクン   
  そうね、なんだかわかんないけど縁(へり)がいいな。
       岬とか島とか、端っこ。 =うさこ
  そうか、「みのえに立つ」だな。 =カメ

  わかる人にはわかる、わかんない人にはなんじゃこりゃな会話である。

  縁(へり)へ行く。
  半島の先端、岬。
  陸から少し離れた小島。
  東西南北に広がる日本列島には、東は千葉の犬吠埼、最果て西の与那国島に東崎、
  鹿児島南に佐田岬、風の島と呼ばれる最北の礼文島、ミスター終点宗谷岬、
  積丹半島神威岬、日本海は能登の録剛崎、少し下って島根は日御崎、‥‥
  列島と島、いずれにしろこの地(くに)は島国でその端っこからは水平線が見える。

  岬の先端は縁(へり)ではない。
  へりという解釈は内陸を主とした発想である。
  岬へ行きたいという思いは、「みのえ」への内的志向に発している。
  (もちろんうさこに自覚などあろうはずもなく、いつもの無意識‥とほほな頭)
  カメ曰く、みのえに立つとは、背後に背負った陸でもなく海をへだてた水平線の彼方でもなく。
  今の瞬間に留まり居ること。

  「みのえ」より外へ出て、咎をなし、内へ入れて、咎をなす。
  「みのえ」に留まるとは、人の感情と思いを起こさぬことである。
  フラットな位置である。

  岬は端っこなのに、なにゆえにフラットか?
  わかる人にはわかり、わからぬ人にはとんとわからない話だけど
  旧事本紀に著された観念は、物から離れた思考と物を深く見据えた観察の
  両方から成り立っている。
  すべてが暗喩や比喩だとは限らないのが古伝書、神話解釈の必定である。
  知的及び現実的経験(事実)の積み重ねがあって、その示されたイメージを正確に
  とらえるのだ。
  あらゆる社会的偏向を遠ざけよ、である。

  岬はフラットなのである。
  フラットな場所に立てば、いらぬ思惑や焦燥で波だった心はしばし静まる。

  右でも左でもなく、上でも下でもない。
  善悪いずれでもなく、いずこにもふみ出さない間(あわい)が「みのえ」、
  境と書く。
  静かに深呼吸をして、待つ。
  待つでもなく、じっとする。

  そこで、あーそうか! と合点してしまうと‥‥
  とたんにふみ出してしまうのだ。
  そしてみのえから外へ、外へ出れば内へ入れるものもいずれあり。
  ふたたび乱れ、人は人の咎をなす(感情)。

  岬は魂の安息場。
  風が清めて通りすぎる。


  (縁にある名高い天守閣頂く城下町、松江の茶菓子。
    茶聖の名冠して商い上手。俗世間では好まれまする。然り、美味!)
コメント
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