●5歳。
目が覚めると、枕元に大きな箱が置いてあった。
急いで包装紙を破り箱を開けると、中から大きな、本当に大きな地球儀が出て来た。
僕は父や母に「アメリカはどこ?」「日本はどこ?」「ここは何て島?」と尋ねながら、
後先のことも考えず、サンタクロースからもらったその地球儀に、油性のマジックペンで
行きたい国や知りたい場所に片っ端から印をつけまくった。
あの頃、世界は僕にとって、とてつもなく大きくて広かった、1974年。
●10歳。
何をきっかけにサンタクロースが親だと知ったのか、今ではハッキリと憶えていないが、
僕はその年、母親に向かって普通に「これが欲しい」と、オモチャが掲載された玩具店の
チラシを差し出した。その日の夜、寝たフリをした僕の枕元に、僕が欲しがっていた
「宇宙戦艦ヤマト」のプラモデルをそっと置いて部屋を出て行く、少し寂しげな母親の後ろ姿があった。
世界は簡単に剥がれるものなんだと、おぼろげに分かりはじめた気がした、1979年。
●15歳。
中学3年生。高校受験。希望校の合格ラインには達していた。
でも担任教師は、いつまでたっても決して僕に太鼓判を押してはくれなかった。
「お前は大丈夫だと分かった途端に、力を抜く」
担任教師は、僕のことをお見通しだった。
その日、僕は塾にいた。家に帰れば、勉強机に向かった。
英単語・因数分解・倒置法・1192作ろう鎌倉幕府・・・・ラジオからはワム!の「ラスト・クリスマス」。
初めての人生の分岐点。自分だけの羅針盤を手に入れて、恐る恐る世界への扉に手をかけた、1984年。
●17歳。
高校2年生。その日、僕は友達のバンドのライブに参加していた。でも、メンバーではない。
照明を考えたり、曲順やMCを考えたり、構成を考えたり・・・ちょっとした演出家気取り(笑)
でもバンドはコピー曲ばっかり。ボウイ、レベッカ、モッズ、ラフィン・ノーズ、ラウドネス・・・etc.
きっと数え切れないほどの同じようなバンドが、同じようなイベントを、同じ日にしていたに違いない。
ライブ終了後の打ち上げでのシャンパンとクリスマスケーキのあの美味しさは、今でも忘れられない。
外に出ると、星が輝いていた。僕らはいつまでも夜空を見上げていた。
あるヤツはくわえ煙草で。あるヤツは慣れない酒に足をふらつかせながら。
三つ星を誇らしげに輝かせるオリオン座が、僕らを優しく見守っていた。
あの夜、世界は、確実に僕らを中心に自転していた、1986年。
●20歳。
大学生。しかし、ろくにキャンパスには顔を出していなかった。
バブルのピーク。元号が変わり、ドイツで壁が崩れ、天安門広場で学生が戦車とにらめっこ。
その日、僕は真夜中のコンビニでアルバイト。
休みの日はアパートで寝ているか、広島の繁華街をフラフラフラフラ・・・。
友達はいっぱいいた。でも今では、みんなどこかに消えてしまった。
彼女もいた。でも今では、顔もうまく思い出せない。
毎日がグチャグチャのグルグルのドロドロのダラダラの繰り返し。
どこに行きたいのか。何がしたいのか。自分にも分からなかった。
地球儀は実家の押し入れの中で埃だらけになっていた。
羅針盤はジーンズのポケットの奥深くに仕舞い込んでいた。
目の前に少しずつ現れはじめた世界に、背中を向け続けていた、1989年。
●25歳。
僕はその日、会社で独りっきりで残業をしていた。
元旦の新聞に掲載する広告の出稿締切が目前に迫っていた。
僕はその広告のデザインや原稿と夜遅くまで格闘していた。
会社の電話が鳴った。受話器を取ると、当時の直属の上司だった。
「まだ、働いてたのか?」
「はい」
「他の連中は?」
「もう、みんな帰られました」
「そうか・・・お前も早く帰れ・・・“今日くらい”は」
「はい・・・」
受話器を置いた。
帰っても、何もないんだよ。僕は吐き捨てた。
仕事は未熟。収入も少ない。彼女もいない。何もかもすべてに自信が持てなかった。
自分が進んだ道は本当にこれでよかったのか?
羅針盤は頼りなく、いつまでも迷ったようにクルクルクルクルと回り続けるだけ。
目の前にハッキリと現れた世界に対して、怖じけてビビって立ちすくんでいた、1994年。
●30歳。
前年に結婚した僕と妻の間に娘が生まれたのは、その年の夏の終わりだった。
仕事は相変わらず。収入も相変わらず。2DKの借家はずいぶん古くて狭かったけど、
それでも、今まで持っていなかった“何か”を手に入れたことを、少しずつ実感しはじめていた。
安物のクリスマスツリーを買った。
妻は、首が据わったばかりの娘を抱っこして、「キレイだね」と娘に話しかけながら、
小さな灯りが点滅するクリスマスツリーを、いつまでも娘といっしょに眺めていた。
もしかしたら・・・・・・と、ふと、思った。
もしかしたら・・・世界とは、与えられるモノでも対決するモノでも怖れるモノでもなく、
自ら創ってゆくモノなのではないのだろうか?
遅ばせながら、クリスマスツリーを眺める妻と娘をみつめながらそう思った、1999年。
●35歳。
2人目の子どもは男の子だった。さすがに2DKの借家は手狭になりはじめた。
どうやら僕も、将来のことをもっと本気で考えなくてはいけなくなったようだ。
デザインや小説でいくつかの賞を受賞した。仕事でお客さんに喜ばれることが増えはじめた。
少しずつ、ほんの少しずつ、自分の羅針盤がひとつの方向を示しはじめたような気がしていた。
でもその一方で、描いた夢と現実のギャップに戸惑っている自分もいた。
その夜も、僕は日課のウォーキングをしていた。うつむいたまま。おぼろげに何かを考えながら。
夜空にはオリオン座が輝いていた・・・のかどうかさえも憶えていない。
理由もなく寂しかった。理由もなく虚しかった。理由もなく怖かった。理由もなく悲しかった。
自分が築きはじめた世界と現実の隙間に、たった一度だけ小さなため息を落とした、2004年。
●39歳。
「Wii fitが欲しいーーーーー!!!!」姉弟揃って、大連呼。
「いい子にしてないと、サンタさんは何もくれませ~ん」妻はそう答えて、僕に目配せ。
「そう、お母さんの言う通り!」僕はそう言って、妻の援護射撃。
生まれ育ったこの町に帰って来て、3年。
以前暮らしていた町に比べれば少し不便だけど、やっぱり海が近いのは、いい。
今年のその夜も、きっと僕は、いつものようにウォーキングをしているだろう。
夜空を見上げる。オリオン座が見える。
昔より少し見えにくくなった気がするけど、それでも今年のその夜も、
きっとあの頃と同じように、オリオン座が僕を見守ってくれているはずだ。
強い意志を持ってたった独りで生きてきたわけではないし、かといって、
誰かに頼りっぱなしで生きてきたわけでもない。
それでも気がついたら、いつの間にか自分の世界ができていた。
それは、ちょっとしたことで壊れてしまう、脆くてヤワな世界かもしれない。
それは、他人と比べたら、とてもちっぽけで貧相な世界かもしれない。
だけど、せっかく自分で探して見つけて築いた世界ならば、ささやかでもいいから、
これからも、またそこから何かを紡いでいけたならば・・・と心の真ん中で思っている、2008年。
ちょっと早いけど・・・ I wish you a merry christmas.
目が覚めると、枕元に大きな箱が置いてあった。
急いで包装紙を破り箱を開けると、中から大きな、本当に大きな地球儀が出て来た。
僕は父や母に「アメリカはどこ?」「日本はどこ?」「ここは何て島?」と尋ねながら、
後先のことも考えず、サンタクロースからもらったその地球儀に、油性のマジックペンで
行きたい国や知りたい場所に片っ端から印をつけまくった。
あの頃、世界は僕にとって、とてつもなく大きくて広かった、1974年。
●10歳。
何をきっかけにサンタクロースが親だと知ったのか、今ではハッキリと憶えていないが、
僕はその年、母親に向かって普通に「これが欲しい」と、オモチャが掲載された玩具店の
チラシを差し出した。その日の夜、寝たフリをした僕の枕元に、僕が欲しがっていた
「宇宙戦艦ヤマト」のプラモデルをそっと置いて部屋を出て行く、少し寂しげな母親の後ろ姿があった。
世界は簡単に剥がれるものなんだと、おぼろげに分かりはじめた気がした、1979年。
●15歳。
中学3年生。高校受験。希望校の合格ラインには達していた。
でも担任教師は、いつまでたっても決して僕に太鼓判を押してはくれなかった。
「お前は大丈夫だと分かった途端に、力を抜く」
担任教師は、僕のことをお見通しだった。
その日、僕は塾にいた。家に帰れば、勉強机に向かった。
英単語・因数分解・倒置法・1192作ろう鎌倉幕府・・・・ラジオからはワム!の「ラスト・クリスマス」。
初めての人生の分岐点。自分だけの羅針盤を手に入れて、恐る恐る世界への扉に手をかけた、1984年。
●17歳。
高校2年生。その日、僕は友達のバンドのライブに参加していた。でも、メンバーではない。
照明を考えたり、曲順やMCを考えたり、構成を考えたり・・・ちょっとした演出家気取り(笑)
でもバンドはコピー曲ばっかり。ボウイ、レベッカ、モッズ、ラフィン・ノーズ、ラウドネス・・・etc.
きっと数え切れないほどの同じようなバンドが、同じようなイベントを、同じ日にしていたに違いない。
ライブ終了後の打ち上げでのシャンパンとクリスマスケーキのあの美味しさは、今でも忘れられない。
外に出ると、星が輝いていた。僕らはいつまでも夜空を見上げていた。
あるヤツはくわえ煙草で。あるヤツは慣れない酒に足をふらつかせながら。
三つ星を誇らしげに輝かせるオリオン座が、僕らを優しく見守っていた。
あの夜、世界は、確実に僕らを中心に自転していた、1986年。
●20歳。
大学生。しかし、ろくにキャンパスには顔を出していなかった。
バブルのピーク。元号が変わり、ドイツで壁が崩れ、天安門広場で学生が戦車とにらめっこ。
その日、僕は真夜中のコンビニでアルバイト。
休みの日はアパートで寝ているか、広島の繁華街をフラフラフラフラ・・・。
友達はいっぱいいた。でも今では、みんなどこかに消えてしまった。
彼女もいた。でも今では、顔もうまく思い出せない。
毎日がグチャグチャのグルグルのドロドロのダラダラの繰り返し。
どこに行きたいのか。何がしたいのか。自分にも分からなかった。
地球儀は実家の押し入れの中で埃だらけになっていた。
羅針盤はジーンズのポケットの奥深くに仕舞い込んでいた。
目の前に少しずつ現れはじめた世界に、背中を向け続けていた、1989年。
●25歳。
僕はその日、会社で独りっきりで残業をしていた。
元旦の新聞に掲載する広告の出稿締切が目前に迫っていた。
僕はその広告のデザインや原稿と夜遅くまで格闘していた。
会社の電話が鳴った。受話器を取ると、当時の直属の上司だった。
「まだ、働いてたのか?」
「はい」
「他の連中は?」
「もう、みんな帰られました」
「そうか・・・お前も早く帰れ・・・“今日くらい”は」
「はい・・・」
受話器を置いた。
帰っても、何もないんだよ。僕は吐き捨てた。
仕事は未熟。収入も少ない。彼女もいない。何もかもすべてに自信が持てなかった。
自分が進んだ道は本当にこれでよかったのか?
羅針盤は頼りなく、いつまでも迷ったようにクルクルクルクルと回り続けるだけ。
目の前にハッキリと現れた世界に対して、怖じけてビビって立ちすくんでいた、1994年。
●30歳。
前年に結婚した僕と妻の間に娘が生まれたのは、その年の夏の終わりだった。
仕事は相変わらず。収入も相変わらず。2DKの借家はずいぶん古くて狭かったけど、
それでも、今まで持っていなかった“何か”を手に入れたことを、少しずつ実感しはじめていた。
安物のクリスマスツリーを買った。
妻は、首が据わったばかりの娘を抱っこして、「キレイだね」と娘に話しかけながら、
小さな灯りが点滅するクリスマスツリーを、いつまでも娘といっしょに眺めていた。
もしかしたら・・・・・・と、ふと、思った。
もしかしたら・・・世界とは、与えられるモノでも対決するモノでも怖れるモノでもなく、
自ら創ってゆくモノなのではないのだろうか?
遅ばせながら、クリスマスツリーを眺める妻と娘をみつめながらそう思った、1999年。
●35歳。
2人目の子どもは男の子だった。さすがに2DKの借家は手狭になりはじめた。
どうやら僕も、将来のことをもっと本気で考えなくてはいけなくなったようだ。
デザインや小説でいくつかの賞を受賞した。仕事でお客さんに喜ばれることが増えはじめた。
少しずつ、ほんの少しずつ、自分の羅針盤がひとつの方向を示しはじめたような気がしていた。
でもその一方で、描いた夢と現実のギャップに戸惑っている自分もいた。
その夜も、僕は日課のウォーキングをしていた。うつむいたまま。おぼろげに何かを考えながら。
夜空にはオリオン座が輝いていた・・・のかどうかさえも憶えていない。
理由もなく寂しかった。理由もなく虚しかった。理由もなく怖かった。理由もなく悲しかった。
自分が築きはじめた世界と現実の隙間に、たった一度だけ小さなため息を落とした、2004年。
●39歳。
「Wii fitが欲しいーーーーー!!!!」姉弟揃って、大連呼。
「いい子にしてないと、サンタさんは何もくれませ~ん」妻はそう答えて、僕に目配せ。
「そう、お母さんの言う通り!」僕はそう言って、妻の援護射撃。
生まれ育ったこの町に帰って来て、3年。
以前暮らしていた町に比べれば少し不便だけど、やっぱり海が近いのは、いい。
今年のその夜も、きっと僕は、いつものようにウォーキングをしているだろう。
夜空を見上げる。オリオン座が見える。
昔より少し見えにくくなった気がするけど、それでも今年のその夜も、
きっとあの頃と同じように、オリオン座が僕を見守ってくれているはずだ。
強い意志を持ってたった独りで生きてきたわけではないし、かといって、
誰かに頼りっぱなしで生きてきたわけでもない。
それでも気がついたら、いつの間にか自分の世界ができていた。
それは、ちょっとしたことで壊れてしまう、脆くてヤワな世界かもしれない。
それは、他人と比べたら、とてもちっぽけで貧相な世界かもしれない。
だけど、せっかく自分で探して見つけて築いた世界ならば、ささやかでもいいから、
これからも、またそこから何かを紡いでいけたならば・・・と心の真ん中で思っている、2008年。
ちょっと早いけど・・・ I wish you a merry christmas.